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姉の自殺
姉が自殺しました。 姉とはすごく仲が良くて、喧嘩をしたりするような姉妹の関係というより、仲のいい友達、という言葉のほうが合っているような関係でした。一緒にカフェにいったりお出かけしたり、お互いのメイクや髪の毛をセットしたり、服を交換したり… 姉とは離れて暮らしているので、会えるのは年に2,3回くらいでした。 それでも会える時は一緒に遊んだり、離れていても誕生日を祝ったり、インスタの投稿に反応したり、連絡したりしていました。 絵に描いたような「いい人」で家族にもそれ以外の友達や他人にも接し方を変えたりせず、誰にでも優しく明るい人でした。 優秀で、なんでもできるような姉でしたが、見下したり偉そうにしたり、嫌みな部分が全くなく、純粋な気持ちで尊敬できる人でした。 そんな大好きな姉が亡くなったのに、これまでとあまり変わらず生活できている自分にちょっと戸惑っています。 これまでの出来事に現実味がない、というか… 姉の変わり果てた姿を見たときやお葬式の時には、過呼吸になるくらい泣きましたが、普通に笑えるし、元気だし、食欲もあるし、寝れるし、好きなことを楽しめる余裕があります。 姉が自殺したことは理解していますし、受け入れているとは思いますし、死んでいないと信じ込んでいるような病的な状態でもないのですが、なんで自分はこんなにも平気なのだろう?この現実味のなさはなんなのだろう? 現実を受け入れることを拒否しているというほどではないのですが、なんとなく信じていない、信じられなくて、もう二度と会えなくなってしまったという実感がないです。 これまでも離れてい暮らしていて滅多に会えなかったので、会えない状態に慣れてしまったからでしょうか? たまに事実を自分の中で整理してかみしめて、涙ぐむことはありますが、姉が死んでから、怒りを感じることが多くありました。(姉に対してではないです) お葬式や火葬場の人のあまりにも事務的な態度や姉の扱いの雑さや、近所の人が根掘り葉掘り興味深々で姉について聞いてきたこととか、親戚のわかりやすい同情とか、ほかにもいろいろ、悲しみよりも怒りのほうが多かったような気もします。 両親も姉と離れて暮らしていて、頻繁に会えませんでしたが、両親はわかりやすく弱っていて、余計に自分の変わらなささに驚いています。 漠然とした疑問なのですが、今私の状態はどういうものなのでしょうか? いずれ、実感がわいてきて、耐えられないような悲しみを味わうことになるのでしょうか? それがちょっと怖いです。 人の死自体が初めてで、姉のお葬式が初めてのお葬式でした。 人の死についてよくわかっていなかったからでしょうか。 同じように家族や親しい人を亡くされた方、どのような経験をされたのか、どうやって乗り越えたのかお伺いしたいです。 曖昧な質問になってしまいましたが、それ以外でも皆さんの意見を伺いたいです。 文章がまとまっておらず、読みづらいかもしれません。すみません。 よろしくお願いいたします。
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- v3050v78
- ベストアンサー率36% (43/119)
75歳男性です。私は私の宗教観からアドバイスするのですが、「死というものは決して特別なものでは無く、ごく自然な日常の普段と変わらない事である。」まずこの事を認識すべきです。貴方は「大好きな姉が亡くなったのに、これまでとあまり変わらず生活できている自分に戸惑っている」と思っている。決してそれは間違いではありません。今生かされている我々は、時折、亡くなった方を偲び供養する事は大切ですが、いつまでも「死」というものに執着してあれでもない、これでもないと、迷い戸惑うことは如何なものでしょうか?お姉さまは「自殺」という行為を選んでしまわれましたが、これはお姉さまに備わった「宿命」「運命」だったと思います。これからは、今、生きている貴方が日々の生活の中でお姉さまを供養し、次の「生」として誕生する事を願い続ける事、「死」があれば必ず「生」があります。強く生きて下さい。
- yume358
- ベストアンサー率53% (629/1186)
父母、姉は亡くしましたが、お節介ながら、当事者とは異なった立場から助言をさせていただければと思いました。私は臨床心理士、公認心理師の資格で、カウンセラーをしています。精神科クリニックに勤務していた経験もあります。 お姉さまは自殺ということですから、突然の死だったわけですよね。私の場合、母は老いて少しずつ弱っていく姿を見ていましたので、自分の中で覚悟のようなものができていたのですが、父は脳卒中で、姉は事故での急死でしたので、頭ではもちろん死を理解出来ましたが、どこか現実感、実感がない状態がしばらくありました。それでも法事、墓参りを続けるうちに、本当の意味で受け入れたというか、二人が存在しないことが自分の中でしっくりくるようになりました。 こころの準備ができていない突然のことは、深い部分で受け入れるまでに時間がかかります。特に通夜、葬儀とやらなければならないことがある近親者にとっては、十分哀しみに浸ることを抑えて、気丈に振る舞わなければならないこともあります。あなたの場合、葬儀で過呼吸になるほど泣かれたということですが、それでも人前ですから、無意識に抑えたところもあったでしょうし、また普段の生活に戻れば泣いてばかりいられませんよね。 あなたの怒りは、御自身では意識していらっしゃらないかもしれませんが、お姉さまが何故自殺せねばならなかったのか、御自身に何かできることがあったのではないか、姉の死に対して平気で日常を過ごせる自分は冷たい人間なのか、などが入り混じった感情だろうと思います。お姉さまの死の責任を誰かにぶつけたくてもそれもできず、結局御自身の中に、怒りとして抱えてしまっていらっしゃいます。その状態が続くと、怒りが体を攻撃し、体調を崩される例も少なくありません。 心理学では、喪の仕事(mourning work)ということばがあり、哀しみを受け入れていくプロセスがあり、そのプロセスで哀しみのケア(grief care)が必要とされています。つまり哀しみに浸りきり、死の現実を徐々に受け入れていくことです。初七日法要や四十九日法要は、哀しみを新たにし、そのために役に立ちます。最近は簡略化されていますし、あなたの場合離れていらっしゃるので、そうした機会に恵まれないかもしれません。その場合は、身近にあるお姉さまに関連した品物や写真などを手にして、お姉さまのことを懐かしむ。あるいはお姉さまへの感謝の手紙を書いてみる。その度に涙されるかもしれませんが、それが少しずつあなたを癒してくれるはずです。一番の味方は時間とも言われます。日常の中でお姉さまを思い出し、心の中で手を合わせ、お姉さまの死を受け入れていってください。お姉さまのご冥福をお祈りしております。
- ranguseed
- ベストアンサー率41% (116/278)
(どうやって乗り越えたのか) 私の従姉妹が自殺をしました。 従姉妹の両親はとても嘆いていましたが、お葬式の時のお坊さんの言葉にとても助けられたと言っています。(悲しみを乗り越えているかは本人にしかわかりませんが・・・) 叔母➡息子は自殺の為、両親を残し先に旅立ったが天寿を全うしていないなどの理由で天国には行けないのだろうか? お坊さん➡お釈迦様は誰であっても見捨てる事はありません。息子さんは天国のお釈迦様の下で心穏やかに過ごされている事でしょう。それに息子さんは天寿を全うされています。息子さんが今、この時に亡くなったのは神様が定めた運命なのですから。息子さんはいつでもあなたたちを見守ってくれています。あなたたちが出来るのは精一杯生き抜いて息子さんが安らかに過ごせるようにすることが最大のおもいやりなのです。 叔父叔母夫婦はこの言葉に助けられ、精一杯生き抜いてからあの世で息子に堂々と会うと前を向く決心をしたそうです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなりすみません。 私も祖父から「神様が定めた運命」だと言われました。そこだけ聞いた時は怒りを覚えましたが、続きがあったのですね。 私の姉も、苦しみから解放されて心穏やかに過ごしていることを願うしかないですね。 ありがとうございました。
- habataki6
- ベストアンサー率12% (1182/9781)
<姉のお葬式が初めてのお葬式でした 自分は知り合いに呼ばれて骨とかを拾っています、つまり 供養に参加しています、この人誰なんていうの、合った事も 無い人でも、誰かの関りは避けられません。 <近所の人が根掘り葉掘り興味深々で姉について聞いてきたこととか 不自然な死になれば、誰でも原因は知りたくなります <同じように家族や親しい人を亡くされた方、 <どのような経験をされたのか 大概は兆候が有ります、つまり相談が有ります、大概は 既に手遅れです、ですから本人も知らないのです、おかしいと 気がついて親族に問い合わせると、余命を宣告されています、 ちなみに自殺するような人も、自覚が無い人が一定数います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってしまってすみません。 誰でも原因は知りたくなります、とのことですが、それは私も知っています。 ただ、それを実際に口に出すかは別ではないですか? 子供じゃあるまいし、気になることを何でもかんでも聞いてもいいような年齢ではないですし、常識がないなと思いますが…
お礼
2つの立場からの貴重なご意見、ありがとうございます。 お礼が遅くなり申し訳ございません。 まだ実感が湧きません。 ですが姉の私物や姉の写真を家に持ち帰り、毎日線香をあげて、姉の書き残したノートなどを読み返しています。 少しずつ受け入れていけたらと思います。 ありがとうございました。