「彼は(月曜でも火曜でも)どちらの日でも(都合が)いいみたい」はどのようになるでしょうか?
he seems to be ok at both days.
・・・これだとなんだか間違っている気がするのですけど。
会話でよくi mean・・・と始める人がいるのですが、このi meanはどのような意味・ニュアンスなのでしょうか?
(ちなみにこの人の母国語は英語ではないです)
そのままだったら「~のつもりで言う」等となってあまり意味がないような気がするのですけど。
Msは文語であると聞いたのですが、相手を呼ぶ際に使われることは少ないのでしょうか?
会話の際のwellはどのように使われるのでしょうか?
色々意味はあると思うのですが。
宜しくお願いしますm(_ _)m
70年代の刑事ドラマからです。お願いします。
長時間勤務を終えた刑事A,B。
Bを自宅に送るため運転しているAに、Bは新聞を片手に話しかけます。
B: Pick a colour.
A: ... What?
B: A colour. I'm checking my ESP quotient. I'm testing here. Pick a colour.
疲れているから勘弁してくれよ、と言うAでしたが
Bに根負けし答えると、
その色はBが思っていたまさしくその色。
得意げなBは、さらに、
B: Pick a number.
と聞き、
Aは、疲れてるんだ、言いたくねぇよ。
と返しますが、Bは、
B: Hey, you're driving me home. You got nothing else to do. Pick a number.
ここで、Aは戦法を変えます。
A: I got a number.
B: What is it?
A: No, no, no, no. This time you're gonna tell me.
B: ... Okay. I'm getting a ... seven.
A: A what?
B: A seven.
A: ... That's it.
B: ... Okay. Man, am I qualified. (と、嬉しそう)
A: You're qualified to commit yourself.
(このあとまだ、会話は続きます)
タイトル部分がわかりませんでした。
教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
シリーズ・ヘミングウェー7
平易な文体で知られるヘミングウェイ作品を、気分次第で鑑賞していたつもりが、数々の障害に直面しては、そのたび皆さんに発問している者です。
短編「異国にて」(In Another Country)の最初のほうの部分。
(…) and there were diffrent ways of walking across the town through the dusk to the hospital. Two of the ways were alongside canals, but they were long. Always, though, you crossed a bridge across a canal to enter the hospital. There was a choice of three bridges. On one of them a woman sold roasted chestnuts.
主人公ら、傷病兵たちの通う、リハビリ病院への道筋の説明箇所。
個々の文はきわめて平明ですが、不可解なほど、複雑な、回りくどさがあります。
めまいがしそうな面倒な描写で、
・複数の道→2つの道(複数の運河)→1つの橋(1つの運河)→3つの橋→1つの橋
上記のように並べられていますが、
最初の部分、"diffrent ways"を、高見浩は「病院にゆく道順は三通りあった。」と、明確に"3つ"と限定しています。
「いろいろな道筋があった」(龍口直太郎)、「いくつも道があった」(大久保康雄)という訳と比べたとき、かなり大胆に見えます。
私としては、龍口訳が穏当な気がしたのですが……
さて、どう理解すべきなのでしょう?
今、アカデミックライティングというものを学んでいる大学生です。以下の和文を英訳してみたので、よかったら、添削と講評をしていただけないでしょうか。具体的な講評をお願いします。
心理カウンセラーを40年やってきて、「人間の心ほど移ろいやすいものはない」との思いと、「人間ほど一度思い込むとこれほど頑固なものはない」との想いの両方がある。心を柔らかく持ち、いい加減な自分を肯定したいものである。
In my experience of being a psychotherapist for 40 years, I have held opposite feelings: Nothing is more inconstant than the mind of men, and more persistent in what one once believes than the nature of them. Then, condition of our flexible mind and recognition of our susceptible one, we really need.
My forty year career of a psychotherapist have given me the realization that our mind is the most influenced by the inner or the outer, whereas our spirit is the most likely to assume one thing endlessly. Therefore it is really necessary for us to smelt our iron mind, which sometimes is like clay, and to accept it.
レイ・チャールズの作品に「i don't need no doctor」がありますが、これは「私は医者を必要としない」という意味のようですが、ホントですか?
口語(歌詞)とはいえ、2重否定だと思うのですが?
普段我々日本人同士の日本語なら「・・・なくはない」みたいな2重否定を聞き逃したりしないですよね?
表題の文章の持つ日本語の意味を米人に判るように英訳したいのですが、どなたか助けていただけませんでしょうか?
work honestly by using own hands for practical bottom level of work..... では意味は通じませんよね。。
よろしくおねがいします。
シリーズ・ヘミングウェー7
平易な文体で知られるヘミングウェイ作品を、気分次第で鑑賞していたつもりが、数々の障害に直面しては、そのたび皆さんに発問している者です。
短編「異国にて」(In Another Country)の最初のほうの部分。
(…) and there were diffrent ways of walking across the town through the dusk to the hospital. Two of the ways were alongside canals, but they were long. Always, though, you crossed a bridge across a canal to enter the hospital. There was a choice of three bridges. On one of them a woman sold roasted chestnuts.
主人公ら、傷病兵たちの通う、リハビリ病院への道筋の説明箇所。
個々の文はきわめて平明ですが、不可解なほど、複雑な、回りくどさがあります。
めまいがしそうな面倒な描写で、
・複数の道→2つの道(複数の運河)→1つの橋(1つの運河)→3つの橋→1つの橋
上記のように並べられていますが、
最初の部分、"diffrent ways"を、高見浩は「病院にゆく道順は三通りあった。」と、明確に"3つ"と限定しています。
「いろいろな道筋があった」(龍口直太郎)、「いくつも道があった」(大久保康雄)という訳と比べたとき、かなり大胆に見えます。
私としては、龍口訳が穏当な気がしたのですが……
さて、どう理解すべきなのでしょう?
以下のそれぞれ ”as I am”、”as they are” を含む(1-a) と(2-a)の2つの英文は私はそれぞれ文法的に正しい英文だと思うのですがこの理解でよろしいでしょうか?
●わが国のある英語文法書に日本語付きで次の例文が載っています。
(1-a) Sitting at the back as I am, I can’t hear a word.
(こんなに後ろの方にすわっているので、一言も聞こえない)
(← 安藤貞雄著『現代英文法講義』(開拓社、p.242))
●また、出典は不明ですが次の英文が最近の「教えて!goo・>教育>英語」に引用されていました。
(2-a) With home values falling as they are, very few houses are going on the market right now. (御ぞんじのように不動産価格が下落していますので…)
(← http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2428721の質問)
それとも上の2文は本来それぞれ”as I do”、”as they do”であるべきであって
(1-b) Sitting at the back as I do, I can’t hear a word.
(2-b) With home values falling as they do, very few houses are going on the market right now.
が文法的に正しいのでしょうか?
なお、手近の学習文法書には次の例文のように、従属節の-ingをとる動詞がいわゆる状態動詞用法を中心とするのものしかとりあげられていませんでした。
(3) Living as I do in such a remote country, I seldom have visitors.
(←綿貫陽ほか著『ロイヤル英文法 改定新版』、旺文社、p.523)
最近このカテに関連する興味深い質問が出ていたのですが、すでに回答が締め切られています(上掲のサイト)ので新たに質問いたしました。ご教示ください。
What time do you get up?
-At seven.
を1. It is seven.
How many students are there in the room?
-There're ten students.
を2.Ten students are.
3.Ten students are there.
1.2.3.はいずれも必ず間違いでしょうか。
もし間違いなら,その理由を説明したいのですが,上手く言えません。
1.はitが指すものがないから。
2.は?
3.はこのthereがthere areのthereではなく,「そこに」のthere,=in the roomを指すとすれば正解でしょうか。
よろしくお願いします。
the comparison of the heart to a pump(心臓をポンプに例えること)という例文が辞書に載っていたのですが、このthe heartの部分は自分は英作文とかだったらa heartと書くと思うのですが、a heartではダメなのでしょうか。また、文頭のthe comparisonのtheをaに変えることはできるでしょうか????
CLUBで働いてるのですが、
お店の雰囲気をみたい。
言う外人に、みるのはいいけど、
『(念のために)君の鞄かなにか、預からせてもらうよ。』※戻ってこない場合もある為。
ってなんて言うんですか?
(1)何か(あなたの持ってるもの)あずかれますか?
Keep me one of your belongings,please?
(2)アメリカンビューティはやってないよ。※カクテルの名前
we don't have any AMERICAN BEAUTY.
(3)ここに(書いて)あるメニューのみです。
we have a drink only on the menu.
(4)今は休憩中なんだよ。
I am off right now./ i have been a rest.
(5)値引きはしないよ。できないよ。
I can say other price.
(6)(全部出てしまい)コークはもうないよ。
I'm sorry,Coke is gone.
(7)プールは壊れてるんだ。修理はこれから。※ビリヤード台
It's broken and,gonna be fixed
お願いします!!