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資本主義が限界を迎えているという論調ありますが

公地公民制(社会主義の色彩)が退潮し、墾田永年私財法(資本主義の色彩)ができ、その荘園(保護主義の色彩)ができ、その後、群雄割拠(サプライチェーンの分断、ブロック経済の色彩)の時代に向かい、云々 多少無理くりな理屈を当てはめましたが、私には時代が繰り返されているように思えます ご意見お待ちしております

noname#252333
noname#252333

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

歴史を研究して、いいとこどりをしてるのが中国ではないでしょうか? 最近気になるのは、土地を永久所有する意味です。 所有者不明とか相続で複雑化して売るに売れないとかが増えているようです。 欲しい人がいないと売れない(国に返せない)のも問題のようです。 中国は70年の権利。人の一生を考えれば、70年はちょうどいいように思います。70年後に住んでいれば無料で更新できるようです。

noname#252333
質問者

お礼

中国人と仕事したことありますが、彼ら彼女らはよく働く人達でした ご回答ありがとうございました

その他の回答 (1)

noname#252623
noname#252623
回答No.2

確かに 西欧 東欧みていると表面的には 民族の戦い いつもあり 戦国時代みたい 平和と理想の国々とか言われていましたが 現実はかなり厳しそうだし 中世への逆戻りみたい

noname#252333
質問者

お礼

東欧と聞くと何か平和なイメージを持っていましたが、現実は厳しいのですか、以外です ご回答ありがとうございました

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