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源義経。本当はどうなったの??
なにせ、とうの本人はもちろん、当事者も、もう既に亡くなっているので、本当の本当は分からないわけですが、本当に衣川で殺されたのでしょうか??どうも怪しい、、、だって、死亡確認するまでに43日もかかって、しかも六月(夏)ですよ!そりゃ、死体なんて腐ってて誰が誰だか分からないはず。ほら、いろいろな説があるじゃないですか。モンゴルに行ったとか、京都で死んだとか、宇宙人だったとか、、、とにかく、妙に納得の行くと言うか、説得力って言うんですかね?そんな説を知っているあなた!話を(ロマンを)聞かせてください。では。
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新説としては蝦夷地(北海道)にわたってアイヌ民族の首領になるとか… もし万が一あるとすれば、これが有力かもしれません。 チンギスハン説は、活躍年代が近すぎるので、まず不可能 藤原3代のミイラは清衡、基衡、秀衡のものですので、死亡時年齢が違いすぎるのでありえないかと… 4代目の泰衡もミイラになっていれば可能性あったんですけどね…
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- myeyesonly
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テレビで見たのですけど、金色堂の藤原3代のミイラありますよね。あれの一つが源義経じゃないかと言う説があるそうですよ。 私はこのお話が気に入ってます。(^^ゞ
お礼
うーん、、となると、やっぱり泰衡が金色堂を立ててそこに義経の怨念ごと閉じ込めちゃったのかなぁ、、、秀衡建立だと、なんか変になちやうものね。 なんか、当時は今以上に神仏、神懸り、祟り、占い、等の文化が人々に根付いていたらしいしね。。。 そもそも、この疑問が自分の中で生まれた理由が、あれだけの人物を、ただ殺して海に捨てるなんて事を神仏オタクの頼朝がするのかな??ってところから湧き出てきたんです。 本当に義経が居る場所に行ってみて、義経として参拝してみたいです。 ご協力ありがとうございました!! (すると、誰のミイラが無いんだろう???)
- Eivis
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私の好きな話は仮に嘘っぽくても「蝦夷(北海道)からユーラシア大陸に渡り、蒙古高原でジンギスカンになったというの説です。
お礼
結構スタンダードな話だけど、私も好きです。(なんかかっこいいもん!) ただね、もしこの偉大なヒーローを義経としてしまうってことは、モンゴル人最高の英雄は実は日本人だった、、、みたいな感じになるわけで、それを考えちゃうとモンゴルの人にすごく不快感を与えてしまっているような感じも受けてしまうんですよね、、、まぁ、考え方を変えれば、義経はこの小さな日本(日本人)よりも限りなく広大で自然のエナジーが溢れ出しているモンゴルの大地に魅入られそして、モンゴルの人々に魅入られた、、、その瞬間、彼はモンゴル人としての血(OS)が再び起動しだした。(ほら、日本人ってもともとモンゴルからきた人々説ってありますよね)って感じもあり? そうそう、それと静の舞った歌。 ~しずやしず しずのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな~ 「義経様!私は吉野山の誓いを忘れてないからね♪」って歌なんだけど 万葉読みにするとぉ~!、、、なすよしもがな → 成吉思汗(ジンギスカン)みたいな♪
お礼
いいかも!!アイヌ民族の首領か、、、ちょっとかっこいい♪ それと、こんなのも本で読みました。。。藤原三代のミイラ(金色堂)の建立自体実は、秀衡ではなく、泰衡の手によって行われた、、それは、あれだけ秀衡に「義経を守れ」って言われてたのに、鎌倉にちくっちゃうし、しかも殺そうとまでしたため、先代の祟りを恐れた根性無し お坊ちゃん、、金色堂にて怨念封印。。けっこうそれって、イケてますよね!! アイヌ民族の首領、、、ホウガン様→判官、、、みたいな♪♪ うーん、、深いです。 ご協力ありがとうございました。