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源義経はなぜ官位を受けてしまったのでしょう
頼朝の許可なく官位を受けてしまったのはなぜでしょうか?ただ単純にうれしくて受けただけでしょうか。また授けた後白河法皇はやはり頼朝と義経の対立をもくろんで授けたのでしょうか。
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官位を受けた理由は、義経の理想とする体制にあります。 義経の考える体制は、朝廷の下に貴族がおり、 その下に頼朝以下、義経などの武士が横並びになることです。 なので、その理想体制に一歩近づくことになり、源氏の名誉にもなるため、 義経は喜んで官位をもらったということです。 ちなみに頼朝の理想の体制は、頂点に頼朝がおり、 その下にほかの人がいるというピラミッド型。 この体制を目指して進めているのに義経が勝手に官位を受けていては、 他人を管理することは到底できません。 義経と頼朝の考えの違いは、育ちから来ています。 義経は京都で生まれて育ち、平氏の栄華を見てきました。 そのため、源氏も平氏のようになるべきだと思っていました。 一方、頼朝は子ども時代~40歳まで伊豆におり、関東武士に詳しく、 関東武士は土地を大事にしていることを考慮した統制を考えていました。 と、以上はNHK 『その時歴史が動いた』 で源義経を取り上げたさいに 作家の杉本苑子さんが言っていたことです。 数あるうちの一説としてご理解ください。 また、アニメ 『まんが日本史』 では、 頼朝を支えるのは関東武士で、勝手に官位をもらったら統制できない。 だから、統制のために禁止していたのに義経はそういう事情が よくわかっていなかったと、軽く解説してました。
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- ipa222
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脇が甘かったのです。 黒田官兵衛は、秀吉に疑われないように、とにかく欲が無いように見えるように振る舞っていました。 義経以外にも武力統一に協力した功労者が、トップから疑いを受けて殺されるケースは世界中に無数にあります。 殺される方が通常のケースです。 あれだけ脇が甘いなら、もし官位を受けていなくても、別の理由で殺されていたでしょう。 源氏の武将は基本的に人殺しは上手だが、政治に疎いと言う特徴があります。
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ありがとうございました。No.1の方と同じようにやはり政治に疎いのが原因のようですね。
- alpha123
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そんなところじゃないですか。 朝廷があって、独立もとめる関東武士団あって(平家ふくむ)、奥羽に別勢力いて(義経はこっち)互いに抜け駆けと、他勢力の排除もくろんでいた。 官位もだが頼朝が怒ったのは「3種の神器」(1個紛失)だという説があります。 紛失だけで切腹ものですが、鎌倉に送り届けず、勝手に京都に渡してしまった。 義経は義経なりの熟慮の判断だったのでしょうけど、後世の人は「政治オンチ」「判断力なし(無能)」って評価。
お礼
ありがとうございました。確かに政治オンチだったのでしょうね。
お礼
詳しいご説明ありがとうございました。『その時歴史が動いた』で取り上げていましたか。見過ごしました。いずれにしても義経は軽率のそしりは免れないのかもしれませんね。