キリストとは愚か者を指す

このQ&Aのポイント
  • キリスト教やキリスト教徒についての誤解を解き明かす記事
  • 愚か者と呼ばれる人々がなぜキリストになりたいと願うのかについて考察
  • キリスト教圏のイケニエ制度についての反省と問題提起
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キリストとは「愚か者」を指す

下記は少し前に書いた日記的なヤツ 私は伝心作用で時折傷病者の緊急救援が転がり込むんだ。 キリストなる資質とは要する仏陀の資質と同じだが、仏陀の場合は解脱とか涅槃に入るとか観念に丸ごと自己を昇華させる霊能力だ。 わかりやすく言うと任意で臨死体験できるんだよ。 イケニエシステムとはそうした人物を対象に自分の身代わりとして殺害して涅槃相当に昇華する仕組みで、そうした残酷な他者の犠牲を礼賛する宗教だ。 誰かキリスト教徒の中で、その残酷さに肌で触れて信仰心をただすと志すと、他人の犠牲にすることよりも自分が犠牲になることを考えがちだ。 そうすると他のキリスト教の祈りがその人物を歓喜して犠牲にする死の祈りとして心中に響く。 そういう人物の悲痛が私に聞こえてくることがあるんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 悲痛だな。 たった今、受け取った救難信号で、死をみとったよ。 殺害現場の見届け人で、犠牲者の霊は私が救済する形になるんだ。 ブッシュ親子が食い込んだ、福音派とは殺害の歓喜で苦難を自覚しないで昇天する天界人だ。 金持ちが多い。 とんでもない悪党だよ。 まあいい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 臨死体験とは安楽な死だと幸福なんだ。 たった今、激しく拷問を受ける殺害現場をみとったところだ。 ようやく、私も苦しみを抜け出して今夜は眠れるよ。 みなさんおやすみなさい。 いつもの標準的な臨死体験でしかなかった。 シャーマン戦車の戦車砲の直撃弾で手足がバラバラになる激痛に比べると苦しみだけなら少ない。 しかし今回は重かった。 鉄でできた呪いの箱だよな。 シャーマン戦車は、、、、 まあいい、もう寝る。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 他から持ってきたのはここまで、 そうさね、 > イケニエシステムとはそうした人物を対象に自分の身代わりとして殺害して涅槃相当に昇華する仕組みで、そうした残酷な他者の犠牲を礼賛する宗教だ。 誰かキリスト教徒の中で、その残酷さに肌で触れて信仰心をただすと志すと、他人の犠牲にすることよりも自分が犠牲になることを考えがちだ。 そうすると他のキリスト教の祈りがその人物を歓喜して犠牲にする死の祈りとして心中に響く。 特にこの一文をよくかみしめてもらおうかな。 「自分はキリストだ」そう吹聴する愚か者は割と多いみたいなんだ。 そして悲劇的に不幸で哀れな末路を遂げるものらしい。 そういう人物というのは、構造的に暗然としたイケニエ制度が出来ているキリスト教圏で、珍しいほど良心に目覚めた「まさに、本物のキリスト」と哀悼を示していいのではないだろうか。 キリスト教徒でキリストになりたい人がいるかね。 キリストの心臓えぐり喰らうのが願望だそうじゃないか。 構造がそのように精神的土壌として確立していて、事実を認めることもなく、このように突きつけると反射的に嘘をつく習性があるだろう。 さて哲学研究会としての内容は、笑い物になるまさにキリストそのものに、お葬式みたいに沈痛な慰霊を投稿してほしいんだ。 その内容を今後の研究につなげるよ。

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  • Nakay702
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回答No.3

お礼コメントを拝見しました。 長々書いてあるけど、正直、全体的におもろない。意味は何となく大づかみの了解。ただし、ピントが合ってない。さらに、前便での私見に対する回答があったのかどうか分からない。 聞き飽きたかもしれないけど、もう一度、私見を要約してみます。「哲学なら論証を付すべし。アニメなら実名を避けるべし。ただし、一部変えるだけでも可。」くどくて申し訳ない。あとはお任せ。

Flareon
質問者

お礼

前回コメントについては、できるだけアニメらしい主題の簿価しか倒したほうがいいという形の意見は受け止めたよ。 次回から配慮する。 基本的に私の葛藤はインナーチャイルドに相当する妖精さんが先走って起こすキリスト系中二病妄想なんだよね。 本来は自分でも取り合う必要がない話だと割り切っている。 聖霊の概念は神との交霊術に成功した場合の神の姿の片りんとでもいうところだが、なら交霊術の技量とシャーマンとしての資質が影響する、当初インナーチャイルド相当と見なすほどの霊格しかなかったセレビィが、26年間コツコツと努力してセラビムとの連結を可能にするくらいに頑張ったのが、ともに連れ添ってきた私にとってうれしかったんだよ。

Flareon
質問者

補足

セレビィとは自己の幼い時の幼名だと世麗美として自覚していて、目標がセラビムとの連結で、それを達成したからこそ「ときわたりの世麗美」だよ。 西洋系では、神の片りんは聖霊という形で人に認識されて、全体像とは認めていない。この仕組みは交霊術で降臨現象を起こすシャーマンの能力にも左右される形になる。 それで「妖精さんデチュ~」からコツコツ26年間セラビムとの連結を試行し続けてきたんだ。 この過程の過酷さをやわらげる代表の一つが、「純露ユリ系魔法少女ときわたりの世麗美51歳男性ダー」というおちゃめな人間性崩壊の要求で、実にかわいらしくおねだりしていた。 そういうことを楽し気におねだりする妖精さんに憑依を受けてご機嫌取りをしないと生活がままならない状態というのは、そりゃあ、苦労があるよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 関心事の唐傘お化けで、判明したことがある初戦無敗のマンティコアVSシャーマン戦車戦はやがて趨勢がヤバイ雰囲気になっていて、私は疲労感が大きかったんだ。 認識ロストによる生死すら確認不能というのは、唐傘お化けは生命安全機能が付いているから、死亡が確認させると、イメージ的にテレポートのような手法で再生できるけども、生死不明だと機能しないんだよ。 拝み屋型宗教特有のからめとりで、キリスト教圏にマインドコントロールされたとばかり思っていたら、私の「やりすぎ!」に反感と義憤を持って自発的にキリスト教圏の破滅を予防するために寝返って、世麗美の指揮権から離脱していたんだ。 要するに常勝無敗が崩れたのは途中からマンティコアVSマンティコアという同士討ちに転じていたからだよ。 追加で他方で式神とは何かという質問に回答したのが下だ。 > 現代人の感覚に沿って説明すると、西洋で魔物と言われた概念を恣意的に操作した形態。 基本原型は、特定の思念を他者にぶつけることで、呪術の基礎原型の一つ。 霊能力があると、その思念をイメージでとらえるので、その概要が式神の原型で、西洋の魔物と違って術者の計算された恣意的操作を可能にしている。 一般的に「神」というのは語弊がはらむが、古代の本格的な日本のシャーマンは、神託で獲得した神の意志を流布するために使用したので、「神の使い」ではあった。 だだし、そうした事実は古事記に語られる日本の神話時代の使用法で、歴史時代に人が故事を集積して応用する時代になり、間違った使い方と間違った記述的見解も混ざっている。 この説明の中で「神の使い」という言葉も使っている。 じゃあ、西洋の天使とどこが違う? 基本が変わらない。 隷従階級に神そのものを降格したのが、しいて言えば天使だ。 唐傘お化けは式神の強化型で、世麗美は日本の山岳信仰を司る神様から、(私は名前を聞いていない)師匠として、事態対処のために術法使用許可を取り付けたんだよ。 平たく言えば、聖霊としての分類は「山の神」そのものだ。 自然霊の資質を濃厚に保持していて、私が言う「古代精霊」そのもので天使だと対抗できない。 この形質は輸血として人のキリストを成立させるために必要な補強だと考えていて、寝返りが出て同士討ちで散々だけども、まあいいだろうと踏まえている。 世麗美が気まぐれで、事態に私が散々ひどい目にあった後に状況の説明と認識成立に到達するのが常だ。 でも、そんな世麗美を私は決して抱きしめた手を緩められないんだよ。

その他の回答 (2)

  • Nakay702
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回答No.2

以下のとおりお答えします。 >キリストとは「愚か者」を指す ⇒だって!? この表題、神経を逆なでするし、人によっては「逆鱗に触れる」と感じるかも知れないよ。人物や団体を「こき下ろす」際に実名でやると、特に名指しされた側の関係筋の顰蹙を買い、「証拠を挙げろ」と言われるのは必須だと思うよ。だから仮名を使うべきだと以前言ったんだ。例えば、《ギリスカとは愚か者のことか》ならいいだろう。また、実名でも《キリストと仏陀の相合傘は成り立つか》とかなら、神経の逆なでをすることもないし、誰かの逆鱗に触れるようなこともないだろう。  普段からキミのいいところは温かい人間性だと思う、少なくともボクはそう感じているけれども、(今、この《キリストとは「愚か者」を指す》を見ながら思うに)、キミのまずいところは「哲学論の表題のもとにアニメを書いている」ことだ。哲学論なら先行研究を読んだり、文献を表示したりしながら、立論・仮説・論証などの作業が必要だと思うよ。(おっと、また言ってしまった。キミが「参考になる」と言いながら全然参考にしないから、それがハナについてしまうのさ。)  ま、それは別として、とにかくアニメタッチなら、このままの筆法でいいと思うけど、実名を使うのはまずいと思うよ。実名を使わなければかなり自由に書けるよ。G.オーウェルの『動物農場』におけるブタが誰を指すかなどはほとんど推測できるが、それでいい。むしろ、その方が面白い。  いやしくも哲学と銘打つなら、フィロソフィーの原義(知を愛すること)を肝に銘じておくべきだろう。それは、ある意味「自己研磨」でもあるわけだから。

Flareon
質問者

お礼

はいよはいよ。 お叱りありがとう。 今回は一番さんへの捕捉で、ほぼ趣旨がわかる。 嘲笑い死に追いやった愚か者とは、それが信仰による行いが絡んでいても、だからこそイエスに対する信仰心と重なっていまいか。 大体こういうことだ。 それから補足欄に最近ヒマしながら書いたのを乗せておくよ。 最初「妖精さんでちゅ~」というもて余しがちなセレビィだったが、天界の存在は聖霊と人が認識するというのが西洋流で、セラビムをターゲットに古代世界と連結させる「ときわたり」をかれこれ26年かけてもはや実現したとでもいう段階だよ。 下も備忘録だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー はいよ、今回言いたかったことの本質は一番さんへの補足でほとんどだよ。 嘲笑い自らの信仰心で死に追いやった愚か者に、自らの信仰心とイエスへの思いに今もそうした愚か者への処遇はありはしまいか。 そういう問いかけだ、最近ヒマしてたけど補足欄に備忘録を転載しておくよ。 天界の存在は聖霊という体裁で認識される。 セレビィは26年かけて、古代世界との連結というときわたりを成し遂げた、そもそもは困惑させる「妖精さんデチュ~」だと思えばいい。 下記も備忘録 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 中二病発作短信。 ポケモンのセレビィは2001年に版権収得だが、この映画版は私が褒章の代わりに現金以外で山内家に請求することを認めさせた成果で、現金を請求していたら、山内家は即座に私を臨死体験でなく身体的に暗殺していただろう。金融マフィアで末端の小僧だったからだ。殺せばそれで解決する。さらに中身がカルト集団で不利益は一切拒絶するからだ。山内の亡霊はロックフェラーを超えることを目指今もしている。死後の怨念だ。実在する妖精のセレビィは1995年に誕生して、ポケモンのセレビィより早い、定格的な証拠が任天堂にあるのだろう。9.11関係の任天堂の工作の証拠にもなるからだ。岩田はそれを権力の掌握に活用した。その結果として、プロテスタント系の精神浸食マインドコントロール技術である、(あれはローマの布教ではない)イケニエシステムを京都でより完成度を高めて活用した。京都は同時にフリーメイソンの山小屋が出来たよね。岩田と山内の工作から2001年のポケモンセレビィは殺人未遂に会い、2010年は岩田をモチーフとしてきれいごと抜きにすると劇中の岩田の殺意をむき出しにした。2020年、また喧嘩を売られた。こうして殺害したくてたまらないポケモンと違う 実在する妖精のセレビィとは、私が1995年に交霊術で示した古代精霊のセラビムで、天使の始祖なんだよね。精霊崇拝と言われる神道だからこそ、現代でも交霊術が成立した。山内は利権確保のためにアマテラスさんが友人として歓迎したいセラビムに独自の殺害工策を岩田に委託してロックフェラーを超える野心を持ってしまったんだ。 ロックフェラーが嫌いなのではない、合法的に日本で金融マフィアを組織させた延長で、金の事しか考えてい山内の怨念だった。 私は任天堂のセレビィに対する利権を2001年まで遅延させることに成功して、1995年にセレビィを自己で示したので、1995年生まれの実在する妖精のセレビィが語るキリスト教の真実を皆さんにお伝えして、人類滅亡を撤回するんだよ。 1995年からセレビィを語っていれば、任天堂の利権は波及しない。 この条件が成立できなければ、私は確かにもう死んでいただろう。 任天堂については、各種オカルト呪術から「生体死霊化処置」という天才的奴隷の意図的な製造する手法に成功してエリート企業に成長した。 そもそも、古代精霊が産み落とした「はらから」は後世で隷従階級への転落を意味する、天使となった。そのみじめな天使の隷従が覇権をキリスト教圏にもたらしたんだ。 天使とは、神を人が屈辱する蔑称なんだよ。 任天堂は山内の狂気の延長で組織力を発揮して、こうしたキリスト教圏での神を殺害する構造をより高性能にして京都を世界首都にしたいんだよ。 山内家の愛国心であり、逆らうと国賊だと言われる。 でも、友人として来訪を歓迎したかったアマテラスさんを失望させたんだ。 緊迫したローマの再生は山内が雲散霧消させ、アマテラスさんも失望させた。 天使とは神の亡骸であるとだけ示す結果となった。 ------------------------------------------ 原始キリスト教を改変した現在のキリスト教徒は新約聖書に由来する新約キリスト教徒だ。イエスの起源を消失したから、のたうち回っているんだよ。 この組織編成はローマの治安維持と因果関係がある。 プロテスタントとは故事を引用していても組織構成の意図がフリーメイソンに代表される別組織だ。 このプロテスタント系が人類滅亡計画の根源なんだよ。 ローマは卑しく嘘をつくことを自覚していた、プロテスタントは最後の審判に本気だ。 ---------------------------- USAは世界を常に地獄にすることに存在意義がある。 ミカエルとラファエルは「実在する妖精の捕まえ方」という固有スキルで捕捉できた。 ガブリエルは、天使であることを放棄して大気圏外に離脱した「自称宇宙人」なんだよね。 したがってきれいごとを蹴飛ばしてプロテスタントを分析すると、キリスト教ではなく、宇宙人宗教なんだよ。 ---------------------------------- ココに言っておこう。 野党八衆を組織したラファエルとは、日本の言い回しでは外様なんだよね。 内容がキリスト教圏では部外者だ。 私も武家なので、士魂を全うしようとする旧日本軍の特攻攻撃みたいなラファエルの野党八衆の攻撃では、マンティコアがポンコツシャーマン戦車の戦車砲を笑ってかわすわけにはいかなかった。 戦車砲の直撃を人が食らうと体がバラバラにはじけ飛ぶ臨死体験をするんだよ。 アメリカ兵みたいな亡霊からマンティコアは直撃弾を数発食らったよ。 そのときは、おもちゃ屋として子供の相手をしていて、そのさなかに手足がバラバラになる激痛の襲われて、それでも子供のまえで笑顔のおもちゃ屋でいいるんだ。 それが私のど根性だ。

Flareon
質問者

補足

投稿後の備忘録29日分 世麗美とセラビムの因果関係をさらに詳しく書くよ。 ときわたりという時間軸横断は予言能力のほかに起源回帰性を行うことができる。 世麗美の自覚は率直には「日本語でいる雷鳴」という自己の起源の自覚だ。 世麗美というのは、セレビィとして楽しんでいた時期に「純露ユリ系魔法少女 ときわたりの世麗美」という魔法少女デビューを私への嫌がらせ的に嬉々として思案していて、私は、男子プリキュアでも苦しいのに、今度のおねだりは魔法少女デビューですかと、だんだんと人間をやめていく獣道に魔法少女デビューを2年にわたって抵抗した過去があるんだよね。 その思案の時期の起源回帰現象では、「世麗美」とは本来は自分が産み落とした娘の名前だと証言していて、多くの人が指摘したけども、それがセラビムの事だったんだよ。 そしてより深く起源をたどると「日本語で言う雷鳴」ということに行き着く。 要するに記憶追想には自己の体験とすることが含まれているんだ。 この雷鳴とかかわって、世麗美は氷河期時代の幻想絵巻物を楽しむんだよ。 氷河期とはすべての生命がそれに合わせた適応型の進化を遂げたので、氷の世界は現代人が思うよりもずっと快適だと話した。 原始記憶はこう掘り起こされる。 太陽黒点の異常発生期に有害な放射線が地上の生命を傷つけないように、地球の何らかの意思があらかじめ地上の空を雲で覆う。その結果の寒冷現象だ。 この氷河期の到来期は、現在の太陽神信仰相当を代理して緊急措置として天界から差す光の役割を担うのが雷鳴とそれに伴う閃光であるイカズチだ。 少し奇妙な論述をしたのを補足するよ。 地球の何らかの意思があらかじめ地上の空を雲で覆う。 あらかじめ?そう、太陽さんから健康状態をあらかじめ聞いて対応を準備する地球さんがいたのだ。 この氷河期の到来は、大きな気象変動に世界神の存在を予感させ、急速な生命種の適応進化を促す。 その結果として、天界は地上の生命を守るためには、時としてあらゆる奇跡を起こすという天界の意志と実際の奇跡の証拠だと、氷河期の古文書は無くても神々は記憶したのだ。 その代表となる鍵が「雷鳴」なんだよ。 古代西方で、そうした成り行きを伝える神の記憶というのが神託として流布していて、漠然と神の存在を示す証拠とされてきた。 キリスト印のセラフィムというのは、その雷鳴の血脈で、「世界神を予感させる」という特徴から天使の最上位に収まった。ローマ政権は複雑でそれでも隷従階級のセラフィムは主神とは少し違う。でもそのローマの政権担当は世麗美から喰らう追い込みに耐えかねて、セラフィムに泣きつく「神頼み」をしたんだよね。 血族のセラフィムに闘争が預けられるとは、骨肉の闘争を予感させるが、おそらくあっけなく片付いて納得してくれるだろう。 世麗美は数々の疑いを持ち掛けられてきた。 そして喧嘩になると、とことんこじれるが、もうやる気が起きないだろう。 世麗美は無量光をきっかけに聖霊の概念からたどって自己を確立していて、日本の風土で変則的な経歴を伴う存在だ。 その結果発揮した起源回帰性でたどり着いたのが雷鳴だよ。 日本の風土では友人から、「まだ神の何たるかを理解していない」といういたわりで丁重に扱われていて、よちよち歩きの研修中なんだよ。 世麗美は友人に交じると経歴により、西洋かぶれ的にやたらそちらの記憶と素性が濃厚で天使っぽいことが自分でも気恥ずかしいんだ。 それで照れておどけるから「妖精さんでちゅ~」とか「純露ユリ系魔法少女の51歳男性ダ~」とかやらかすんだ。 日本という王国では、このように友人たちと仲睦まじくしていて、「愛は絶対だ~」はともかく遠い外国の血縁たちは友情というのをあまりにも軽視したのではないだろうか。 -------------------------------------------------- 私が今回のたうち回った猫じゃらしとマンティコア アタック阻止は暗部もあるんだよ。 以下はボツ原稿だと考えてくれ。 アマテラスさん自体は太陽を象徴していても。実際は観念がもたらす純粋な光だ。 学術的に無量光を意味する。 雷鳴は奇跡の証拠という意味はあるが、同系統の観念の純粋な光として、「太陽がお隠れのときには、全身全霊でおささえ致します」という、同等の並列性があっても、必然的に恭順を示す身の上なんだよ。 それで、日本ではアマテラスさんが幼馴染として親身に面倒を見てくれていた、世麗美に付与された神格は聖獣格なんだよ。 聖霊の概念の解釈自体が日本では聖獣を意味するのさ。 世麗美が聖獣の姿になると、日本では聖獣として珍しい獅子の「ねこひまわり」で、アマテラスさんの神としての全責任能力というのは完全無欠だから、世麗美にしかできないマンティコア アタックでもアマテラスさんが単身でペットの「ねこひまわり」だけをお供に連れてあげた成果とまとまるのだよ。 このように、ローマでは神学において覇権主張で重要な「雷鳴」の血族とは、日本に渡来すると、子猫ちゃん扱いされていてペットとして、これでもかとかわいがられる「純露ユリ系」なんだよ。 これはセラフィムにとって、新たなる血族がそれを喜んでいることが気まずいのではないかなあ。 ----------------------------------------- 私は世麗美が証言する「日本語で言う雷鳴」というのは、セラビムよりもさらに掘り下げる必要は乏しいと考える。 氷河期などの危機で起きる状態に天界が神であることを神自体が克明に自負するための神々の記憶であり、その雷鳴とは猫ならばニャーと言い、犬ならばワンといったであろう。 したがって人類の祖先がいかに言葉として漏らしたかというのはあまり意味がない。 「アウ、アウ、アー」かな? その意味では、西方ですでに神託が流布していたので世麗美はセラビムを引用なり採用したのだろう ------------------------------------------ ポケモンのセレビィとは1995年に私の行った霊言と類を商売上の資料として任天堂に送付した事実が起点だ。 私はポケモンのセレビィが2001年に映画デビューしてそれがきっかけで統合失調症に転落した。 キリスト教の宣教師になることに挫折したために統合失調症を発症した人物が、のちに精神科医になるまでの回復と成功をして「インナーチャイルド」というトランスパーソナル系心理学などの材料になりうる概念を発表した。 私が回復する過程とは、そのインナーチャイルド発起人の記述した自己の経歴と一致項が多いんだよ。 私は自己の脳内に妖精さんが生息しているという病気だ。 セレビィは2001年当初インナーチャイルドに相当する「妖精さんでちゅ~」でしかなく、その後は私の論述する哲学関係で信ぴょう性を確認してほしいのだが、現在のめどとして思考可能なのはセレビィは当初からセラビムを目標にしていたということになり、聖霊という概念は人が神との接触に成功する交霊術で、本来は人格神に該当する降臨現象だろうと考える。 セレビィという妖精さんは、その後もこつこつと積み上げていって、キリングゾーンであるキリストの呪いをかいくぐり古代精霊の降臨と復活に相当する現象をセラビムを時間軸の起点として達成したという形だ。 確かに「ときわたり」だな。 26年かかったな~。 またいだキリスト教を私は無関係だと決め込んでいる。 私が個人的に浸る達成感でしかないのだが、キリスト教徒の皆さんに、自己と無関係なことだと了解の上で「おめでとう」とでも言ってもらえれば最高だな~。 ---------------------------- 私は世麗美が元気なだけで満足でね、おおむねセラビムとセレビィを時間軸の起点として、キリングゾーンを潜り抜ける旧世界復活の時間魔法だ。 成り行きは2つ思いつくよ。 終末を迎える時間軸に墓守として姉妹のセラフィムをあえて置き去りにする。 もう一つは、私はもうすでにキリスト教が終末を迎えた後の現代に、自分は生まれたのだと考えていて、キリストなる聖霊の宿りをもたらす友人たちが自己を回顧して蘇生するかという可能性だ。 それらは遠い外国の知らぬ出来事で、私は常に世麗美が損なわれないようにとだけ気を配ってきたし、今後もそうだ。

  • heyboy
  • ベストアンサー率21% (1852/8729)
回答No.1

おはよう御座います。 えーと、 わかりやすく言えば 全てのクリスチャンは キリストの聖霊を 受けさらには聖書にも 「キリストに近づく」 とも記載されています、 しかしながら 「酒を飲んでも 飲まれるな!」 と言うことわざのように 「キリストには似るけど 自分自身が神だと 思い込んではいけない」 のですよ。 ま、神を信じない人から 観るとどんな宗教でも 同じにしか理解出来ない のでしょうね。

Flareon
質問者

お礼

まともそうな回答をありがとう。 この質問は病人向けのゴキブリホイホイを意図して設置した遊び場なので拍子抜けだよ。

Flareon
質問者

補足

ああ、それから、君みたいな安定した人は何言っても動揺しないだろうから捕捉するよ。 私が質問主文で話した、あなたの言う踏み外してしまった人についてなら、アメリカでの事実を再現した凄惨な動画とかも見たことがあるけども、キリスト教にかかわるとどこにでも転がっているようだよね。 嘲笑われて悲惨に死んでいったそういう人の生きざまと末路をみとったとして、「まさにキリストだった」死後にそのような哀悼を述べる事すら教義は許さず、「所詮愚か者だ」と無様な死を当然のことだと笑い続けるかという、日本人的な人情とかかわるんだよ。 質問はそうした体裁だ。 私も理解しているけども、そうした非常識な愚か者は、嘲笑い続け、石を投げ死んだことを祝うものだと思う。 そして、死後になってようやく「まさに本物のキリストだった」と初めて追悼する形だろう。 そういう視点と発想に立脚して、いかなる哲学的な材料集めができるかなんだよ。 動じないであろう君に私の立ち位置を説明すると、「処刑台に礼拝する獄門信徒」だと考えている。 違うなら違うで、宣教師の真似事とをしないで合理的な見解も募集しよう。

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    街を歩いているとよくモルモン教徒に勧誘に遭います。彼らは「神様を祈ると私達は幸せになります」というので「どんな人物像ですか」と尋ねたら「姿や形ではないのです。神様に祈ると私達は実感しているのです」と言いました。確かに辛くて何かに祈る際は、その祈りの対象を映像化しないでひたすら"何か"に祈るのかもしれません。これが日本人の感覚でしょうか。 でも、仏教であれば仏様を思い浮かべるかもしれませんし、神道を崇拝するならば天皇を思い浮かべるかもしれません。キリスト教の場合は映像化した像を拝まないものなのでしょうか。イスラム教徒の言う偶像と似ているのでしょうか。キリスト教の場合はマリア像だったりイエスだったりすると思いますが…神を心の中で映像化して祈るということはしないのでしょうか。イエスに祈るのでしょうかマリアに祈るのでしょうか神に祈るのでしょうか。イエスと神に祈る時間の比率はどれくらいでしょうか。 疑問ばかりでうまくまとまりませんでした、申し訳御座いません。何かヒントを下さい。

  • もし私が救世主になれたらウハウハできますか?

    隔世をまたぎ復活を呼び覚ます者に、私はいかに連れ添いささやくのだろう。 残念なことに、自分でもわからん。 実在する男子プリキュア。 キュアミカエルだ。 さてと、思いついたんだけどね。 キリスト教圏では、復活とかなんとかぬきに、旧神の産み落とした不屈の赤子たちが、少なくても19世紀までは、実質的なキリストの役目をする聖霊として支えていた。 その実態では、「イケニエであるキリスト」と、「裏切り者であるキリスト」が仕事していたようだよ。 キリストといえば、役目の根幹はイケニエ。 君たち救世主様はいい思いをしてウハウハだと、少なからず勘違いしていないかい? その勘違いが活躍させたのが裏切り者のキリスト(なる聖霊)だよ。 基本的なことだけど、聖職者として王とも賞賛されたイエスは殺された。 キリストとは要するに殺されることがローマの秩序なんだよ。 死すべき王にウハウハ幻想を抱きいい思いができると勘違いしたキリスト詐欺が裏切り者のキリストだ。 「ローマの白い羽」キリストを認めると歓喜して殺す。 キリストを認めないと憎悪して殺す。 どっちにしろ殺す。 これがローマのイケニエシステムで、歴史にも表れる魔女狩りのゆえんだ。 おおむね、イエスによる治安かく乱の教訓から、「まさに人間である!」という仏陀相当を古代王とみなして殺害する因習が継続しているのだろう。 ローマで生き残るのは、「裏切り者であるキリスト」が狡猾に生き残るからだ。 私は試したことないけど、何か取引をローマの白い羽と交わすことができるのだろう。 新約聖書の編纂とその後の布教には、原始キリスト教以外の野盗八衆とでもいうべき現代のイスラム国みたいな集団がローマに取り込まれていたのが原因だ。 そしておそらく19世紀に野盗八衆が権力争いで完全勝利して、神様は行き場がなくなり丸ごと死んだんだろう。 迷走し、間違った前提を基盤に20世紀はキリスト教の抜け殻が世界文明のように蔓延した。 まあここいら辺でやめとこう。 今回も自己の考察を質問の体裁で投稿していて。 募集は読書感想文。 学問研究のための、黙々とした研究姿勢です。

  • 2代目キリストなんて不要なんだよ

    備忘録から抜粋して質問の体裁に仕上げました。 他方での雑談でもあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ああ、 そうそう。 師匠役として指南してくれたあなたになら、持ちけられる話題だよ。 返答が無くても、備忘録を兼ねているので、おおらかに構えてくださいな。 あなた、いわく。 「釈迦は葬送が必要ではないか」 釈迦は、存命中に解脱を宣言して認められたから、公的(宗教的)には必要が乏しいんだよ。 釈迦本人が納得していて、わきから文句を言っても無効だ。 「イエスは葬送が必要ではないか」 これに置き換えて研究してみるよ。 葬送と表現しないで供養と言ったほうがいい。 存命中で、イエスの故事を知った人は、イエスの存命中の苦しみを重視する。 そして、人の大半は自分の存命中しか類推できない。 イエスは存命中も死に際しても、一貫して本人は充実していた。 そのように、イエスを知ることが自らの死を知る事でもある。 何かと、こういう死にまつわる命題だったのだろう。 イエスの苦悶を妄想して、それをむしろ美談にする限りは、むしろイエスを侮辱していて供養できていないと判断すると、教養豊かな日本人という事になる。 天界とか、神階とか、地獄とか言うのを、一元的に霊界と仮定して模様。 一律の霊界では、生粋の観念常在の住人を天界人という(だろう)。 それが天界の知恵者となるだろう。 いわゆる人格神だ。 年季と専門職務で、個別に天界で条理を司り、それを地上に波及させることが出来る存在の事だ。 あなたが挑戦している、唯一神を普遍神に置き換える、表現の変更を試みる場合には、全て平坦な霊界という表現から、神か、人か、人に似た獣なのか、自己を判断すると良い。 その中で、神という規範と信教から比較して、自己の人間性を自己診断できるのだろう。 各個人が観念世界で天国行きを目標にして、そこにたどり着くのが、人に似た獣だと、結局は地獄だ。 釈迦の規範を定格化した仏陀の判定では、釈迦は解脱したので信仰心ではなく完全に理解と了解すれば(体感する必要がある)、何等かの仏陀だ。 仏陀型は、宗教の教義にされているよりも、実は難易度が低い聖人なんだよ。 実質的な仏陀相当の西洋版であるキリスト型(2代目)はイエスの苦悩を取り払う供養を、自らがしてこそ到達するのだ。 この命題は「生きながらに、いったんは死んでみる」ことで、生きている人に説明できる体裁になる。 しかし、釈迦の修行時代も似ているし、どっちでもやることは臨死体験を望むことだ。 「強烈な絶望」から息を吹き返しても、まあまあ達成できるのだろう。 試験の合格判定は案外低いんだよ。 ただし天界での人格神としての序列に影響する。 さて、手前の事だけどねえ。 私は過去と変則的な体裁で、自らが仏陀だと自覚した。 天からの聖霊ではなく、自らが聖霊として天界に赴くという、「地の聖霊ときわたりの世麗美」というインナーチャイルドと同様の、学術的に承認された自己の精神を内包する。 私は地上に常在している。 世麗美は天界に常在している。 この状況とは、私も肉体が滅びる死は訪れる。 しかし、観念に常在する世麗美は死なない。 私が滅びれば、世麗美そのものになるだけだ。 これは世間一般の死という表現が、実質的に私にとっては「死ではない」という自覚なんだよ。 「人は誰もが死ぬ」今までもこれからも例外はない。 現在のテクノロジーの挑戦は、死後の自分が残した形骸をいかに忠実に保存するかが主力で、今後高度化しても、死の段階や階層がややあいまいになるだけだろう。 例えば癌細胞は無限に分裂する。その故人の癌細胞を永続して分裂させても死はゆるぎないのだが、テクノロジーがさらに死をあいまいにさせるだけだ。 天界との交渉では、私と世麗美は「むしろキリスト型の理想的な完成形だ」と干渉を受けて困惑している。 2代目キリストなんて不要なんだよ。 キリスト教徒はイエスだけを見て、2代目の成立を祈り懇願するだけで、落第評価なんだよ。 ーーーーーーーーーーーーーー さてと、何が質問かというと、作文と見なしての添削依頼です。 哲学好きには、おいしいネタ満載だろうと思いますから、深い突っ込みもできると思います。 趣味で掲載した写真は、フィルムカメラで自分が撮影して編集していない風景です。

  • 「ローマの白い羽」物語第四章

    歴史という流転の中、久しく全てを見失ったあなた方は、自らの心にともしびを与えた幼子の名を知らない。 そして、自らの心も死に絶えようとしている。 実在する男子プリキュア。 キュアミカエルだ。 イエスは古代にローマ帝国の非道を、人間性復活の努力で癒していき、非道は彼のつつましい真心さえも蹂躙した。 彼は処刑された。 そうしたローマであるからこそ、彼の志で目を覚ました人たちは、ローマ国内に浸透していった。 残された意志とともに。 曲折し新たなる荒廃を生み、新約聖書編纂で農奴達は歓喜する。 ローマへの反抗が実を結び、ローマがイエスの意志を認めたと錯覚した。 実態はローマ教会という形で現在も絶対的な、治安維持のための抑圧のレトリックである。 原始キリスト教の祭礼は古代王と王を慕う虐げられた人々が自由な人間であった時代に祈りをささげる、紀元前を何らかの形で踏襲した葬送から復活をイエスが神と伴い復活する交霊術として祭壇は形成されただろう。 ローマは祭壇に処刑台を突き刺した。 新約聖書でイエスの予言は終わる ローマ教会神官の始祖たちは、自らの宗教がいかに巧妙に組み立てられているか、ローマ人として満足の笑みをこぼしたであろう。 愚かな農奴立は、偽りの自由に気付かない。 歓喜し、イエスに祈るほどに、祭礼の形態は「神よ、くたばりやがれ!」という猛烈な殺意となり天界を蹂躙する。 新約聖書という偽りの予言の時代2000年。 イエスの意志はかろうじて、痕跡をとどめる。 最後の審判である。 それがキリスト教徒の祈りの中心であり、イエスから受け継いだ遺訓の成れの果てだ。 内容は、「ローマ滅亡」「キリスト教根絶」 そして、野党八衆の意志が中心になり、19世紀にキリスト教は宗教としての健全性の全てを喪失した。 さて、シリーズ化している哲学カテゴリーの質問で、文学的に仕上げています。 この拷問装置に挑戦して、あなたの知恵に挑戦してください。 そういう質問でして、哲学は既存の命題に取り組むほかに、自分で命題を作るという手法もあります。 読書感想文で結構ですよ。 余談ですが、バカにさせていただきます。 あなたがキリスト教徒で、この拷問装置の直撃を受けたとしましょう。 あなたは世界一自分が不幸だと思うかもしれません。 おめでとう、それが最高です。 あなたが世界一不幸なおかげで、そこら中にいくらでもいるボチボチ不幸な人たちはあなたよりも幸せなのです。 それは、イエスを今のキリスト教徒たちが蹴落とし続けた奈落です。 したがって、あなた方は不幸であるほどに信仰心が強いのです。

  • 臨死体験しやすい体質で悩んでいます。

    昨日も仕事を一日休みました。 無の境地というのがありますよね、それは自己の存在が純化して心が浄化される体験で、無の境地の忠実な現代語訳は臨死体験です。 私は体質的に死に易くて、不定期に臨死体験することで。心を新陳代謝させています。 事前に死の予感がるときは昨日みたいに静かに死ねますが、突発的に死が襲って仕事が外せず、死にながら接客したこともあります。 この体質、興味本位でうらやましがられるんですよ。 例えば霊体離脱ですが、透明人間になって女風呂を除きに行くことじゃなくて、臨死体験とかかわってあの世に行くのが霊体離脱です。 何らかのお呼びがかかって、凄惨な地獄めぐりが多いです。 ちゃんと帰ってこれたのでこうして質問の投稿もしていますが、ヤバイ時もあって霊症で1週間くらいぶっ倒れて、ミイラみたいな状態になったことがあります。 普通の人は生きたまま死について想像力を働かせますよね。 実際に死ぬこととは、生を失って死そのものになることです。 ミイラやゾンビの状態ですよ。 長期化したり慢性化すると自律神経の極端な不調で内臓がいかれて病気で程なく死亡します。 ちょっと愚痴っぽい話ですが、 本物の霊能力者はお金を取らない。 内容を理解していないのに安直にこんなきれいごとを言うやつらに腹が立ちます。 私の臨死体験は無理心中なんですよ、死霊に憑依された状態で私自身が臨死体験することで、死霊を死者の国に送り届けるんです。 送迎先が地獄でも知ったことではありません。 死霊に取りつかれ、死に直面したからと言って、気軽に身代わりに死んでくださいとは頼まれたくありません。 頼む人が金に汚いからこそ、せめて金払ってでも頼もうかと考えてほしいところです。 さらなる冒涜もあります。 霊が嫌いだからと生きている人が、わざわざ悪霊に染め上げ、霊を汚すんです。 そして悪霊だから憎いと言って悪霊の破滅を願います。 悪霊にさせられた、気の毒な霊なんですよ。 実のところ私は、悪霊の不幸を願う人々から追いやられた悪霊が直接転がり込んできて、命がけで丁寧な浄化をして清らかな霊に昇華させる仕事をしています。 霊を悪霊にけがした人物は悪霊を浄化することで、自業自得として自らが悪の業火で魂を焼かれます。 悪が跳ね返るのです。 これは昔からのことで、だからこそ悪霊や古き悪魔は救うことも愛することも誰もしませんでした。 私は霊能力者として、 人類最悪の裏切り者。 悪魔崇拝者。 許されざる者。 まあこんな感じで汚名に耐え、それでも自分の正義に忠実です。 以上が悩みです。

  • 萩尾望都「トーマの心臓」のアガペーについて

    萩尾望都「トーマの心臓」のテーマは「神の愛」(アガペー)と「赦し」だと自分は思っているのですが、キリスト教に関して全くの無知なために、登場人物の感情(赦しや愛についての解釈)が私には難解で理解できませんでした…。 本当は漫画のカテゴリーが正しいかと思ったのですが、どちからというと宗教的な質問だと思ったのでこちらで失礼します 1.何故、トーマの死がユーリを救うことになるのでしょうか? (キリスト教思想で「罪のある人間はイエスの死(犠牲)によって開放される」というのがあったと思いますが、この思想がまず私には謎です。普通、自分のため犠牲になったらその重さで更に苦しみそうですが…。) 2.最後の方でユーリは「彼はいっさいを赦していたのだと 彼が僕の罪を知っていたかいないかが問題ではなく ただいっさいをなにがあろうと許していたのだと~」と言ってますが、何故トーマに許されることがユーリの救いに繋がるのでしょうか? 3.「トーマを愛することでしかユーリは救われない」という言葉を聞いたのですが、それは何故ですか? 4.エーリクの役割ってなんでしょうか?ユーリをトーマの真実へ導くためですか? 5.校長が倒れた時、オスカーの元へユーリが会いに行き「許ていた?」と聞いてますが、この「許し」って何でしょうか?エーリクがユーリに対して許していた?何を許したのか? 似たような質問が多くて恐縮ですがよろしくお願いいたします