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in the past / the future

Nakay702の回答

  • Nakay702
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回答No.1

「in the past / the future」について、以下のとおりお答えします。 @{past, present, future} という概念の枠組み(枠組A)では、それぞれが枠組みを構成するデフォルト要素として組み込まれているわけだから、文中で使用される際は定冠詞がつく。この時間領域においては、具体的な行為や出来事が表現されることはない。--Don't think of the past. Mind the present and the future. もう1つの、枠組B{past, present, future})---She's busy at present, but will be free in the future. は、言語使用者によって日常常識的に把握される。我々の日常常識的な考えでは、現実の現在の時間は瞬間ではなく、比較的短めの時間であって、その時間幅は言語主体の思惑に応じて伸び縮みする。 @Aの枠組みにおける{past, present, future}という概念要素はそれぞれがつながりを持たない抽象的なものと捉えられるが、言語主体との間に隔たりがあって、主体によっては客体的に捉えられている。一方、Bの枠組みにおいては、それぞれの概念はつながりを持つ。「生きられる時間」なので、言語主体との間にもつながりがある。言語主体は、この時間を客体的に捉えることをせず、現在という時間と直接のつながりを持つ。この時、概念は客体化されないので冠詞をつけない。よって、現在は冠詞のつかないpresentで表す。pastもfutureも同様である。 ⇒ご説明の文を、要点把握のためとはいえ、勝手にこま切れにしてすみません(以下の段落でも同様の対応で進めさせていただきますね)。しかし、お説は理路整然とした内容で、ほとんど全体的に納得できます。 @これら(枠組B)の表現は副詞句として使われる。過去と現在はその境目付近が流動的で、過去の表現が「現在より以前のある時(時期)、および過去から始まって今に続く時間」を表すこともある。よって(定冠詞登場以前の時点では)現在完了の文中でin pastという語句の使用が可能だっただろう。ところが、ある時期に定冠詞が登場した結果、現在ではこの2番目の枠組みが文中で使われる時は、{in the past, at present, in the future}となる。なぜか。よく、「過去のことは確定しているから定冠詞がつく」と言われる。しかし多くの場合、過去の出来事が聞き手によって確認されようがされまいが、また、聞き手の同意の有無に関わりなく、過去を表すpastにはtheがつく。というわけで、上記の言い方に根拠がないことは明白で、これには別の根拠があるはずである。 @聞き手が過去の出来事を確定していると確認することはいかなる体験か。当然ながら、「過去は厳然たる過去なのであって人間の思惑と無関係に存在するので確認など不要だ」とする考え方(素朴実在論)はここでは成り立たない。聞き手がある過去の出来事について聞くとき、聞き手は過去を間接的に体験するにすぎない。ところが、その出来事を心の中で想起するとき、後悔や嘆きや懐かしさなどを感じる。少なくとも何らかの関心を抱くはずで、その瞬間に聞き手は過去を直接的に体験していると言える。未来についても同じことが言える。予想行為においてわくわくしたり、憂鬱になったり、ここでも直接的な体験がなされる。すなわち、聞き手は想起や予想において、過去に対しても未来に対しても直接のつながりを持つのである。言語使用者と概念とのつながりは言うまでもなく心の働きとしてのつながりなので、よってpresentだけでなくpastやfutureにも冠詞はつかないはずなのである。 ⇒「過去は厳然たる過去なのであって、それは人間の思惑と無関係に存在するので確認など不要だとする考え(素朴実在論)」は枠組Aのことでもなさそうですね。自然科学における見方とでも言いましょうか。また、「過去を直接的に体験する」のは、いわば主観的追体験ですね。論旨明快な筆運びと内容で、ご趣旨は概ね了解・納得しました。 @ここで本題に戻って、なぜpastとfutureにtheがつくのか? pastとpresentおよびpresentとfutureは明確な切れ目を持たないが、pastとfutureは離れているから対立関係をなしていると見なせる。なぜそう言えるのか。我々が未来を予想する時、我々の意識は未来の方に向き、過去を想起する時、過去の方に向く。意識の方向性は「今」を境にしてちょうど互いに逆向きのベクトルをなしている。つまり、我々にとって(生きられる時間として)存在する時間は「今」と、想起の対象となる「過去」と、予想や意志の働きの対象となる「未来」で構成されている、という格好である。時間が過去から未来へと流れてゆくという発想は、おそらく何かのメタファーから生まれた思いこみにすぎない。 @「人間の意識 → 過去」と「人間の意識 → 未来」は、ちょうど正反対のベクトルを持っていて対称形をなしている。明白な二項対立である。この場合のpastとfutureが文中で使われる時、定冠詞が使われるのは当然のことと思われる。ちょうど、{right, left}や{front, back}のような概念集合枠組みの各要素が文中での使用時において定冠詞が使われるのと同じことだと言えるだろう。定冠詞の登場以降、枠組Bの実践バージョンは{in the past, at present, in the future}というふうになったと考えられるのである。 ⇒なるほど、確かに明白な二項対立ですね。例の鼎立でなく二項対立の連続ですね。枠組B{present:non-present〔past:future〕}という対立図式で、これが現実の表現では{at present:〔in the past:in the future〕}として実現される、ということでしょう。この第二項では、内部対立における部位指定のための定冠詞がつく、と説明できるわけですね。すなわち、心の働きのつながりで感じる過去は「-present」(現在より前)=in the past(二項のうちの一方の部位)であり、未来は「+present」(現在より後)=in the future(二項のうちの他方の部位)である、という解釈でしょうか。了解です。  1つ追加ですが、辞書によれば、in the future は「将来、未来に」の意で、「(今までとは違って)今後は」という意味ではin futureも用いられるそうですね。I'll try to do better in (the) future.「今後はがんばります」(ライトハウス英和辞典)。確かに、過去の既成事実に対してはともかく、現在・未来の未完の事柄については、話者の主観が働きやすい部分ではありますね。それで、未来については、現在と同じように、あるいはそれに準じて無冠詞で用いることがあり得る、ということでしょうか。ただ、仮にそうだとしても、これでお説の骨格がどうなるというわけでもなく、すべてが一貫した論述であることには変わりないと言えるだろうと思います。少なくともこれで、「晴れて、明快に」実践バージョンの{in the past, at present, in the future}という枠組みの意味を現場の生徒に説明することができそうですね。さすが、feedersさんのご慧眼、祝福申しあげます。

feeders
質問者

お礼

ありがとうございます。

feeders
質問者

補足

回答ありがとうございました。私の考えに賛同を頂けたようですね。 他にも確認したいことがあります。 ●定冠詞の登場以前の古期英語において存在していたと想定される{in past, at present, in future}という実際的な枠組Bは定冠詞の登場以降、{in the past, at present, in the future}という枠組みになったと考えられます。 この場合のthe pastとthe futureを明確に区切られた(話者によって客体的にとらえられた)時間領域(生きられる時間ではありません)と考える時、presentは双方に囲まれて区切られた領域と考えるしかなくなります。その場合は、presentは他の2つの領域との対立関係から文中でthe presentと表されます。枠組Aはこのようにして作られたのではないかと思います。いかがでしょうか。 ●もう一つあります。yesterday, today, tomorrowについても考察しておきます。 これらは出来事や事態を言い表す時に背景として使われるものなので、通常は(名詞から転用して)時を表す副詞として使われます。時間領域を構成するものとしてその集合を標示すると{yesterday, today, tomorrow}ですが、仮にこれら3つが名詞の意味しか持っていなかったならば、{in yesterday, at today, in tomorrow}と言う枠組みが作られ、それらを文中で使う時は、yesterdayと tomorrow の対立関係からin the yesterday, at today, in the tomorrowというふうに使われた可能性が高いのではないかと思います。半ば興味本位に考えてみましたがいかがでしょうか。もしかすると、前置詞の選択を間違えているかも知れません。 ●さらにもう一つあります。二項対立の説明の時に少し触れましたが、左右の方向を表す言葉にはthe right, the leftというふうにtheがつきます。周囲の環境はrightとleftという2つの方向によって言い表されますが、この用法が始まった時、話者の身体を基準に左右が認知されたのではないかと思います。つまり、生活環境においては、認知主体にとってright, myself, leftという3つの<場>があるわけですが、myselfはrightおよびleftと切り離されることはあり得ません。myselfの中にだって左右が存在するわけですから。rightもleftも独自の領域を持つことはできません(同じことがfrontとbackの関係、northとsouth, eastとwestの関係、及びpastとfutureの関係についても言えると思います)。  結局、theがつくのは単に両者の対立関係に依るものでしかないと思います。ちなみに、認知の際の意識の方向性は<私の意識>を境にして互いに逆向きのベクトルをなしています。この考えでいかがでしょうか。 ●もう一つ、時間が過去から未来へと流れてゆくという(英語の世界における)発想についてですが、この考えは、人が生まれ、生き、死ぬという不可逆的な進行や上流から下流への川の流れの不可逆性からネタファー的に連想されたものであるか、又は、キリスト教の終末論的発想(天地創造から終末に至るまで時間が進んでゆく)から来ているように思われます。この場合もネタファー的な連想です。というふうに、時間が流れるという考えには、時間それ自体に根拠があるわけではないと思います。 ここで<前後>(front, back)について考えてみます。人がある地点から別の地点へと移動する時、それまで<前>だった空間領域は<後ろ>の空間領域によってどんどん浸食されていきます。これは、人が<前>へ移動していることによって相対的に引き起こされる現象です。 同様に、<過去>から<未来>へと時が流れてゆくかに見えるのは、人が(誕生から死へと)生き続けることによって相対的に時間が流れるように見えているだけのことです。時間が流れているわけではないと思います。この考えでどうでしょうか。 ●<1つ追加ですが、辞書によれば、in the future は「将来、未来に」の意で、「(今までとは違って)今後は」という意味ではin futureも用いられるそうですね。I'll try to do better in (the) future.「今後はがんばります」(ライトハウス英和辞典)。確かに、過去の既成事実に対してはともかく、現在・未来の未完の事柄については、話者の主観が働きやすい部分ではありますね。それで、未来については、現在と同じように、あるいはそれに準じて無冠詞で用いることがあり得る、ということでしょうか。> -この問題も取り上げたかったのですが、スレッド立ち上げ時の投稿では4000語しか入れられないのではしょってしまったのです。 <現在・未来の未完の事柄については、話者の主観が働きやすい部分ではありますね> -とのことですが、全く同感です。でも、なぜアメリカ用法ではin futureがないのかという疑問が残ります。  アメリカ用法ではin the futureが標準です(in futureは少ないようです)。 イギリス用法ではin future 「これから先は= from now on」, in the future 「将来、未来に」というふうに使い分けがなされています。イギリス英語でin the future以外にin futureが使われるのがなぜかということを考えてみました。もちろん、私の推測の産物でしかありません。 定冠詞が登場するに及んで、in past (前身はラテン語のin praeteritum)にはtheがついたわけですが、in future (前身はラテン語のin futuro ---「未来のある時点又は時期において、及び、これから先は」)には基本的にはtheがつくはずなのに、theをつけない表現も残りました。つまり、in futureという用法を捨てなかった人たちが大勢いたことになります。もしかしたら、in future (前身はラテン語のin futuro)があまりにも生活に密着していた、あるいは聖職者階級がこれまで通りの使い方を存続させることにこだわったとも考えられます。正確なことはラテン語の専門家に聞いてみればわかるかもしれません。 googleの検索結果では、in praeteritum 189,000件 in praeteritum nos (nos = we)147件、in futuro 43,100,000件、in futuro nos 3820件です。予想通りの検索結果でした。nosと主語をつけたのは、 in praeteritum / futuro 名詞の形を避けるためです。 一方でin the futureに移行した人たちもいるわけですから、この時点でin the futureとin futureが共存することになります。棲み分けを図るために意味的な差異を作らなければなりません。そこで、in the futureは「未来のある時点又は時期」を表し、in futureは「今から先ずっと」を表すことになったのではないかと思います。説教において、「汝、すべからく---せよ。」という要請・命令を伝える時、「これから先ずっと~せよ」という言い方が多かったのではないかと推測しています(もちろん、私のこじつけです)。 一方、アメリカに移住した人たちはほとんどが新教徒だったためラテン語が敬遠された、あるいは新大陸ではラテン語が好まれなかったのではないかと思います(in futureには冠詞が使われないので前身のin futuroを思い起こさせたのではないかと思います)。おそらく、アメリカ版の聖書の英語訳にはin the futureが使われていたはずです。 根も葉もない仮説ですがどう思われますか。ご意見を伺えればうれしいです。

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