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宮沢賢治の文章「北守将軍と三人兄弟の医者」です。教えていただきたいと思います。

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  • aifen
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  • toko0503
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回答No.1

こんばんは。 質問(1)「頭の目」→ これは、宮沢賢治の独特の表現だと思います。実際に「頭の目」という所はないので、つまり、「脳の中の計算をする部分」と解釈したらいいのではないでしょうか。 質問(2)「一割いけなかったのです。」→ 将軍はこの前に「百と百をたすと、百八十」「十の二倍は十八」と答えていたので、一割分(10%)だけ答えが少なくて間違っていたわけですね。「いけなかった」とは「間違っていた」ということです。

aifen
質問者

お礼

早い回答ありがとうございました。何となく分かりました。特別な言い方ですね。

その他の回答 (1)

noname#231526
noname#231526
回答No.2

 「頭の目」について、私は、「ふるい(篩)(sieve ?)の目」という表現を連想しました。篩の目がつまって通りが1割悪くなっていた、というような感じで、「頭の目」と言っているのだと感じました。いずれにしても、他ではまず聞かないような、独特な表現だと思います。

aifen
質問者

お礼

たいへんありがとうございました。たいへん役にたちましたよ。

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    日本語を母国語としていないものであり、今賢治の童話を勉強していて問題文は「北守将軍と三人兄弟の医者」一部分です。 それからおれはもう七十だ。 とても帰れまいと思っていたが ありがたや敵が残らず脚気で死んだ 今年の夏はへんに湿気が多かったでな。 それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて 砂を走ったためなんだ そうしてみればどうだやっぱり凱旋だろう。 殊にも一つほめられていいことは 十万人もでかけたものが 九万人まで戻って来た。 死だやつらは気の毒だが 三十年の間には たとえいくさに行かなくたって 一割ぐらいは死ぬんじゃないか。 そこでラユーのむかしのともよ またこどもらよきょうだいよ 北守将軍ソンバーユーと その軍勢が帰ったのだ 門をあけてもいいではないか。」 質問(1)「今年の夏はへんに湿気が多かったでな。 それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて 砂を走ったためなんだ」 今年の夏は湿気が多いので敵の兵士は皆脚気になってしまった。下の二つのセンテンスはいくら読んでも分かりません。 質問(2)「そこでラユーのむかしのともよ またこどもらよきょうだいよ」 このセンテンスの意味も分からないのです。 分かりやすく説明していただけませんか。よろしくおねがいします。

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