- ベストアンサー
江戸時代、田んぼのランク
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
検地は基本的にはその田んぼの一部分を収穫し、取れ高を見て上田中田下田を判別することになっています。わざわざ凶作の年に検地はやらないでしょうから、そういう問題だと上田にされてしまいがちと思います。 もっとも結局は担当者の裁量によるものが大きいでしょう。 また検地で石直しで石高を減少させるケースは少なかったのではと思います。
関連するQ&A
- 江戸時代の、加賀藩の四国への国替えの話について
『江戸時代に、加賀藩が四国への国替えを、江戸幕府より打診された事がある。』という話を聞いた事があります。 その、『加賀藩が、江戸幕府より四国への国替えを打診された事がある。』という話について、下記(⇩)の3つの質問があります。 (1) その、『加賀藩が、江戸幕府より四国への国替えを打診された。』というのは、いつの話で、その理由は何だったのでしょうか? (2) 加賀藩のどの藩主が、その四国への国替えを拒否したのでしょうか? また、その拒否した理由は何だったのでしょうか? (3) 江戸幕府の思惑では、もし、加賀藩が四国への国替えを希望して受け入れたとしたら、その場合、土佐藩等の四国の藩の処遇は、どうするつもりだったのでしょうか? 以上の、上記(↑)の3つの質問の答えを教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の武士が没落
江戸時代、親のご先祖は郷士、中期から在郷藩士になり城勤めでした 郷士の頃か在郷藩士の頃かはわかりませんが、ご先祖は建造物移築のため借財をしてしまいました、それで借財が返せなくなり、お金の代わりに屋敷の土地で借財した相手に返しました 屋敷がなくなり、没落しかけたとき、親せきが、みんなでお金を出しあって家を建ててくれて没落しないで済みました 一町数反分の田んぼは残り、土地は削られたか?親せきの人たちが、土地も買ってくれたかは、わかりません 江戸時代って一回、家を失うと幕府や藩から武士身分取り上げだったり、土地や家を、そんな自由に購入できたんですか? 大きな建造物じゃないのに、神社仏閣に移築すると昔はお金がかかったんですかね?
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代に小さな村がたくさんあったのは何故
私の住んでいる市は面積は小さいですが、江戸時代に11の村に分かれていました。 それが明治になって合併を繰り返し、昭和初期には一つの町と1つの村になり、戦後に市制をひきました。 江戸時代、村落はどうしてそんなに細かく分かれていたのでしょうか? 幕府や藩の意向で、村が力を持たないように細分化したのでしょうか。 それとも村の自営は小さい方がやりやすかったのでしょうか。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の身分制度について
江戸時代の身分制度について質問です。 えた、ひにんが受けた差別は、幕府が意図的に行ったものなのでしょうか? 教科書には「こうした差別は、幕府や藩の支配に都合良く利用されました」 との記述があります。 だとすると、意図的に差別をさせるよう仕向けたということにはならないでしょうか。 しかし、調べてもそのような記述がなかなか出てきません。 幕府が差別をさせたという記録が明確にあれば納得がいくのですが… また、差別をさせたのだとしたら、その目的が 「農民の不満の矛先を差別に向けるため」 というようによく言われていますが、 それだけで厳しいしばりのあった江戸時代の農民の不満が解消されるとは到底思えません。 実際のところどのような目的と考えられるのでしょうか? 長くなりましたが、どうかご回答よろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 江戸幕府の仕組みについて教えて下さい
江戸時代のことについてふと気になったので教えてください。 幕府は大名から税金を取ることができなかったと聞いたのですが、ほんとうでしょうか? さらに、大名はなぜ幕府に忠誠を誓ったのでしょう。江戸幕府の軍事力が他の藩に比べると圧倒的だったとも聞きますが、それならその財源はどこにあったのでしょう? 考えれば考えるほどわからなくなります。 ご存じのかたよろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代に廃藩置県が起こるまで、藩によって金持ちの
江戸時代に廃藩置県が起こるまで、藩によって金持ちの財がある藩と同じ石高の藩でも貧富の差があった。 要するに藩主は国を欺き脱税していた藩には財力があった。 10万石の領地を持つ藩で金持ちの藩主がいたが、国に所有地で取れる米の量は10万石とお上の国に申告し、江戸幕府の視察団が来ても田んぼは確かに10万石しか取れない土地であったので視察団はそのまま帰っていった。 では、10万石の大名はどのように国の目を欺き脱税していたかと言うと、山の表面に米田畑を作り、裏面に売れる木を植えていたのである。 要するに副業で林業をやって木を国を通さずに直接売買して副収入を得ていたのである。 という話を聞いて、昔の藩主も脱税してたのか。 それで金持ちの藩が存在していた理由が分かった気がした。 高い銃を大量に買える財力がなぜか領土が小さい藩に存在していた。 大きい広い土地を持つ藩主は土地も広いが国に納める税金も高かったので不作のときに大きく蓄えを減らし、領土の大きさが逆に財政を悪化させていたのだ。 で、江戸幕府も小さい藩主なのに羽振りが良いので、直接藩主になぜお前の藩は不作が続いているのに人々は餓死もせずにピンピンしているのだと聞いた。 実は米が不作でも林業で現金収入があったので米を買って村人に配っていたので栄養失調にならないのでピンピンしていたのだが、さすがに脱税してるお金があって財力に余力があるからとは言えないので、江戸幕府は結局、どういうカラクリでその藩だけ疫病に掛からないのか知りたくても真実は聞けなかったというお話。 これ以外の脱税話を知ってたら教えてください。 多分、他の藩も脱税していたと思う。
- ベストアンサー
- 歴史