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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:1979年お茶の間文化はどうでしたか?)

1979年のお茶の間文化の魅力とは?

このQ&Aのポイント
  • 1979年のお茶の間文化は、明るい未来を夢見る組織ぐるみの日本の最後の年とも言える年でした。
  • 芸能界では、ピンクレディーの人気が下降し、アメリカの音楽や映画がブームとなりましたが、旧来のアイドルたちは人気を取り戻しました。
  • 漫画では、ドラえもんのTVアニメ化やあしたのジョーのリバイバルヒットなどが話題となりました。この時代は、大衆文化が個の時代に移り変わる一歩手前の時期とも言われています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2127/7993)
回答No.1

 1979年と言えば、米国でスリーマイル原発事故が起こった年ですね。原発が大規模事故を起こした最初の事件でしたが、当時の私は20歳でした。パソコンに関心を持ち始めた年齢でしたが、8ビットパソコンでさえ高値の花で、関数電卓しか買えませんでした。  当時は米国で復古主義が台頭し、日本叩きが始まった頃で、あまり良い年では無かったですね。ビデオデッキやビデオカメラが普及を始めた頃でしたし、テレビゲームはファミコン以前の初期型ゲーム機が出始めた頃でした。アーケードゲームではブロック崩しやインベーダーが人気を呼んでいた時期です。  バブル時代に入る少し前で、田中角栄が贈収賄事件で逮捕され、政治の流れが大きく変わり始めた時期でもありました。情報社会が始まったものの、まだ実像が明白では無かった頃ですね。今のように、全ての情報をパソコンやスマートフォンに保存して使うのとは雲泥の開きがある時代でした。  そう言えば、ルービックキューブがブームでしたね。私も必死になって遊んでいました。解き方を知らなかった頃は2面合わせるのがやっとでしたが、解き方がわかってからは全面揃えられるようになりました。偽物が乱造された時代でもありましたね。  あの頃から、ハイビジョンテレビなどの高画質テレビへの傾斜が始まって、テレビ文化が大きく変わって行きました。今のようにテレビ番組が飽きられて、誰も見なくなると考える人は少なかったようですが、新聞、テレビ、出版などが不必要になって消えて行く話は、当時から噂になっていました。  アニメ全盛期と呼ばれていますが、アニメ離れが始まった時期だと思います。視聴者が嫌うアニメ番組が増え始めて、気持ち悪かった年でしたよ。

Yepes
質問者

お礼

ありがとうございます。キューブは81年くらいに知りましたが、 そのころからブームだったんですね。そういえばインベーダーゲームがはやりました。ゲームセンターあらしとかいう漫画を覚えています。

その他の回答 (1)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6891/20374)
回答No.2

日本電気、パソコン「PC‐8001」 17万円でディスプレーは別。 3年間で25万台。 まだまだ茶の間の主役はテレビでしたね。日本坂トンネル事故 三菱銀行人質立てこもり事件 など大きな事件もテレビで緊迫した雰囲気を味わっていました。 パソコンという言葉も知らない時代。

Yepes
質問者

お礼

ありがとうございます。パソコンという言葉はもう少し後でしょうか。 当時はワープロって言ってましたかね。事件の多い年だったんですね。

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