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薩摩藩のお茶・紅茶
boko10choの回答
- boko10cho
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『三国名勝図会』という、薩摩藩内の地誌を記した書物があり、 そのうちの「巻之五十九 日向國諸縣郡 都城之二」の 「物産 飲食類」の項に 「蒸茶 凡茶は、海を距ること遠くして、雲霧深き處を良とす、當邑は 霧島山の大麓にして、渓谷多く、雲霧常に深く、古來當邑は 霧海ともいふ、故に茶の品上好なり、本藩の内、煎茶は、 都城、吉松、阿久根の三所を上とす、其内當邑を以て最上とす、 都城茶と稱して、上下となく賞玩せざる者なし、旦當邑土地 廣ければ、是を製して、府下に出すことも亦多し、(以下略)」 と記され、略した部分には名品として15品が列記されており、 生産量は不明ですが、自家消費のみではなかったように思われます。 参考URLの「コマ番号 78~79」に上記引用が書かれています。
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