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史実の修正による疑問点
(1)聖徳太子をうまやどの皇子としてる。 (2)生類憐れみの令は動物愛護であり、綱吉は良い将軍だった。 (3)長篠の戦いでは鉄砲より、槍や刀が主流だった。 確かに(1)~(3)は納得出来ますが、史実として修正するならば、何故、未だに西郷隆盛を本名の西郷隆永にしないのでしょうか?
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- tarohkaja
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回答No.2
人名は、その人の最後の名をいうことが定着しているのではないですか。 「家康は桶狭間での今川義元の敗死以後・・・」と言っても “いやそのころは松平元康だ” という人はいないと思います。 家康を描いた小説などの文章ならば、幼名から時代をおって記述しますが。 異説が生じたことにより聖徳太子を厩戸皇子とするのとは違い、人名は最後に称した名でいう、前の方のおっしゃる通りと思います。
- eroero4649
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回答No.1
最初は隆永と名乗り、後に隆盛と名乗ったのでどちらも間違いではないです。ただ、一般的にはその人の最後に名乗った名前か、一番知られている名前が使われていることが多いと思います。 それをいうたら、長尾景虎⇒上杉政虎⇒上杉輝虎⇒上杉謙信、と名乗った人物をどれで呼べばいいのか分かりません。その時代に合わせて呼ぶのが相応しいとか言い出したら、歴史好きの私ならいいけどそこまで歴史好きじゃない人たちは訳が分からないですよ。 朱重八⇒朱興宗⇒朱元璋⇒洪武帝⇒太祖、となった人もいます。
質問者
お礼
西郷は一般には吉之助と呼ばれ、父親の名である隆盛を明治政府に勘違いで届けた人がいて隆永でなく、隆盛になったので今日に至るまで認識されたのでは。 上杉謙信を長尾と呼ぶのには歴史的流れとしての改名が知られてます。 また、明の洪武帝も同様です。
お礼
西郷は一般には吉之助と呼ばれていた。 明治政府に届けた人が父親の名である隆盛を勘違いで登録されたので今日に至るまで隆盛とされてる。 隆永が本名です。