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祖母が教えてくれた数え歌ご存知のかたいますか?
小さい時、祖母が教えてくれた手遊びです。詩の内容からかなり古いと思うのですが、いつごろ、どんな形で生まれたのでしょうか。また、詩の内容もわからない部分があります。(シナノカワ) 祖母は71才で、北海道池田町生まれです。(両親は宮城と山形から渡ってきました) 「一つ シナノカワ(?)お化粧だね(化粧のまね) 二つ 舟屋さんが 舟こぎ はじめた(舟こぐまね) 三つ 味噌やさんが 味噌すり はじめた(味噌するまね) 四つ 吉原の お客様(両手ついておじぎ) 五つ 芋屋さんが 芋掘りはじめた(芋掘るまね) 六つ 麦飯 どの飯うまいか(つまむ) 七つ 納豆屋さんが 納豆売りはじめた(肩でかつぐ) 八つ 山の猫 みゃおみゃおみゃおみゃお(猫のまね) 九つ 琴屋さんが 琴弾きはじめた(琴弾くまね) 10で 殿様 鉄砲かついで どずーん」(じゃんけん) もう一つは、「せっせせーぱらりとせー」で始まります。 「1かけ2かけで3かけて 4かけて5かけて橋をかけー 橋の欄干に腰掛けて はるか向こうをながむれば 17・8のねぇさんが 片手に線香お花もち ねぇさんねぇさん、どこ行くの 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治30 7~8年 刀で切られた父親の お墓参りに参ります お墓の前で手を合わし なんまいだぶつだ じゃんけん ぽん」
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- suuzy-Q
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状況劇場という劇団の、昔の芝居の挿入歌に ♪ 1かけ2かけ3かけて 4かけて5かけて 色仕掛け 駆け落ちしかけて、ちょい、待った はるか、むこうを、眺むれば 17、8のねぇさんが 髪振り乱して、駆けてゆく ねぇさんねぇさん、どこ行くの あたしを、どうしてくれる気か 掛け持ちだとは、知りつつも、 掛けた情けは、空手形 えーい、しょんないなあ っていう歌があったよ。ヒロインの 李礼仙が、歌っていて、カッコよかったんだー コレが、ルーツだったんだね!! ぜんぜん、回答じゃないんだけど、 ちょい、うれしくって、さ。
一番の歌は全国にたくさん残っている遊び歌(数え歌)の地方版でしょう。出だしの、ひとつ、シナノカワはおかしいですね。ひで始る歌詞が来るはずです。 二番の遊び歌は子供のころよく聞きました。女の子が手まり(?)をつきながら時々片足を上げて股の下をくぐらせる技に見とれていた記憶があります。 (前半省略) 私は九州鹿児島の 明治十年 三月三日 切腹(せっぷく)なされた父母の お墓(はか)参りにまいります (後省略) 西郷隆盛が西南戦争に破れ切腹したのは明治10年です。刀に切られたわけではありません。最後の歌詞はゲームに合わせて変えていたようです。(手まりつき、ではじゃんけんぽん、ではなく、なんまいだぶつを繰り返していたような気がします)
2曲目のほうは、下のサイトに詳しく載っているようです。私も知っていた曲だったのですが、島根県の歌だったとは。。。てっきり、鹿児島の歌だとばかり思っていました。残念なことに、どうして「西郷隆盛」が登場するのに「島根県」の曲なのかは分かりません(>_<) うーん、なぜだなぜだ。。。でも、鹿児島バージョン・熊本バージョンもあるらしいです。
お礼
HPも教えていただき、ありがとうございました。早速行ってきました。 1930年ころに少女達の間ではやっていたのですね。 私も鹿児島から伝わってきたのかと思ってましたが、 どうなんでしょう? でも、情報伝達手段も今ほどない時代に、日本の北まで 伝わっていたんですねぇ。。。ほう。。。 熊本バージョン聞いてみたいです。
補足
教えていただいたHPの教授からお返事をいただくことができました。西郷隆盛の歌は、全国的に歌われていたそうです。なので、「島根県」の曲といったわけではないようです。
お礼
そうなんです。年代も、「切られる」っていうのも変だなぁと思っていました。 おそらく、北まで伝わってくる間に、変形したんでしょうね。 下の方に教えていただいたHPへ行ったら、お墓参りのあとにも続きがあったのですね。 もしも私が男だったら、学校へ行って英語をならって・・・、という内容の。 よほど、庶民の同情をかっていたのでしょうね。 シナノカワ、も変ですよね。(東北だから訛った?笑) 先日、シナノキなるものを森林公園でみつけました。 繊維がとれるという。その皮なんでしょうか??? 返答ありがとうございました。