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出来れば、トラウマの許し方を教えてください。
出来れば、許し方を教えてください。 ものごころついた時から、兄に暴力イジメを受けていました。 毎日のように泣かされていました。 (30代後半2児の父です。) 兄は小さい頃はプロレス好きで、柔道も習っていました。 3つ上の体格・筋力で柔道の寝技や叩く等のイジメを。 どんなに泣き叫んでも、やめず、どんなに抵抗しても3歳の年齢差と、道場で練習している技術にはかなうわけもありませんでした。 地域の上級生や小学校・中学校の同級生にもいじめられました。 その許しがたい行為を許すことが出来ません。 そして、全身全霊の助けを求める泣き叫びを親がキチンと受け止めてくれませんでした。知らん振りではありませんが、いじめをやめさせるところまでしてくれませんでした。 そのこともどうしても許せません。 今現在、兄や親に謝って欲しいとか、大人であるいじめた人々を恨んでいる気持ちはサラサラありません。 そして、過去のトラウマから人格が防衛的(見捨てられ不安や臆病)になっている自分が居て、そんなに怯えなくても「大丈夫だ。勇気を出せ」と自分に言い聞かせることが出来ません。 自分を許せないのです。 親が助けてくれなかったのは、私を愛していないからだと、幼児期の私は感じてしまっていました。 親は親で精一杯やっていたことと思いますが、 私の理性や知識と、子供からの心は別のものだと感じます。 どうしたら、許せるでしょうか。
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- konbusan1010
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許しません。絶対に許しません。 それでいいじゃないですか。だってそれをされた事は事実だし、 それが許されるべき行為でないからこそ、こうやって苦しまれてるのですよね。 謝られたら多少は多めに見てもいいかもしれませんが、しかしながら、それを流すなんてのは相手の思う壺です。そしたらそういう目に合ったご本人さんが可哀想じゃないですか。余りにも。 私は許すべき人と、許さざる人の2者が居ると思います。そしてそんな人をやせ我慢して許す気はさらさらありません笑 機会があったらこう言うべきだと思います。 力でねじ伏せることしか考えない、倫理観の無い人が何の御用でしょうか? 私はそんな人に割く時間などありませんが、どの面を下げていらっしゃったのでしょうか? と言う位で丁度良いと思います。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
お望みの回答になりませんが、 アナタ様が、真に、 トラウマ症状から解放されたいのであれば、 「EMDR」治療を受けるのが捷径です。 本当にトラウマとの関係性をクリアしたいのであれば、 いまの医学水準で最先端の治療を受けてみることです。 病院等で、 お金をかけたくないのであれば、 そちらの地域の こころの健康(相談)センターか、 保健所か、 保健センターかを訪れて 相談だけでもしてみませんか。 無料ですので。 治療を受けないと 治らないと思いますよ。 EMDR以外の治療は、 10種くらい有りますけど。
お礼
EMDRを少し調べました。 金額的なところも調べてみます。 ありがとうございます。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11125/34629)
強くなるしかないでしょうね。そして強くなるために、自分の弱さを認められるようにならないといけないでしょう。 ネットのコピペで「俺はいじめられるほど弱くはないし、いじめるほど弱くもない」というのがあって名言だなあと思いました。これについてはクドクドと説明する必要もないと思います。 「我が人生において一度も敗北したことがない」と豪語する人より、「僕の人生、失敗だらけですよ」と笑い飛ばせる人のほうが強いですよね。自分の弱さを認めるというのはなかなか勇気が必要です。 勇気を持てるかどうかは全て自分自身の問題で、誰かから勇気を分け与えてもらうことはできません。信仰でも持って「神様どうか私と共にいてください」と思うことくらいです。でもそれは私は悪いことだとは思いませんけどね。私も自分が苦しいときは聖書の中にあるゲッセマネの祈りを思い出して「この杯をどうか私から過ぎ去らせてください」とすがっちゃいますからね。
お礼
言い訳としてとか、防護的に 弱さを「認める自分を演じる」のではダメですよね。 自分が自分にたいして、心のそこから、弱いということを認めるということだと思います。 開き直ってワガママになるでもなく、ニュートラルに自分の弱さを認めるというのは絶望的に難しいですね。 泥酔状態にでもならないと不可能な気もします。 ありがとうございます。
お礼
2度とその様なことが起こらない様にとは思いますし、暴力行為などがあっても良いとは絶対に思いません。 私の内面の話では、いつまでもトラウマを引きずって、過防衛のため、臆病で見捨てられ不安に付きまとわれて生きていくのが嫌なのです。 それを癒すためには、もう怯えなくても大丈夫、というスタンスが必要なのかと思いました。 そのためには、辛い過去にもう終わったことだと心から感じる必要があるのかと思います。 そうすると、「暴力は許しがたいが 昔々のことは泣き寝入りに終わったのだよ!」と自分の中の終戦宣言をして、受け入れる必要があるのかと思います。 それが、悔しすぎて出来ません。 私の心のなかでは、まだ敗戦していなくて、逆襲する心があります。 理性とはかけ離れていますが 親切な回答、ありがとうございます