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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:街中にある変な石像の意味が知りたい)
街中にある変な石像の意味とは?
このQ&Aのポイント
- 街中にある変な石像の意味を知りたいです。像の特徴は、女性のモデルで身長は約170センチくらいあり、左手に金属製の鉄十字の形をした盾のようなものを持っているか、腕に下げているそうです。台座は石で作られており、四角錘台形で高さは約150センチほどです。
- この像はとても古いもので、直立して手を合わせているようにも見えますが、劣化しているため詳しいポーズはわかりません。これらの像は交差点や道の途中に置かれており、約20〜30キロの間隔で1体ずつ設置されています。特に北関東の田舎道に多く存在し、人通りの多い場所には花束などのお供えものも見られます。
- 詳細な像の情報についてはわかりませんが、街中にあるこの変わった石像の意味や由来が知りたいです。もし画像があれば、より詳しい情報を知ることができるかもしれません。しかし、通りには待避所もなく、いつも画像を撮ることができずにいます。もし誰かがこの像について知っている情報を持っているなら、教えていただけると嬉しいです。
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質問者が選んだベストアンサー
ご質問の文章だけからしますと観音像でしょう 鉄十字と見えるのは卍(まんじ)です。 如来を象徴するマークとして良く使われます。 地図のお寺を示す記号も卍です。 観音は菩薩と言いますが、如来でありながら衆生救済のために菩薩業を続けている仏様です。 坂東三十三観音、秩父三十四観音などと言われるように北関東は観音信仰が盛んな土地柄です。 村落の安寧を願って建てられた可能性があります。 観音像は、現代でも東京湾観音など空襲や海難事故死の方々の慰霊や平和を祈願して建てられることがあります。 街道沿いにあるということは道祖神かとも思われます。 道祖神として馬頭観音と呼ばれるものもあります。 像の近くに枝分かれや交差点がありませんでしょうか。 江戸時代には旅人の宿泊が厳しく制限されていました。 これを救済するために辻堂と呼ばれる祠が沿道に設けられていました。 当初は観音堂を兼ねていて木造の祠が朽ち果てて石像だけが残ったのかもしれません。
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- mm058114
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回答No.1
まず、 文章読んで一生懸命イメージしようと思いますが、 これじゃ、申し訳ないけどわかりません。 写真ないですか? 読んだ感じだと一里塚じゃなさそうだし、 像か台座の裏になんか掘ってありませんか? 文章表現じゃ、〇時代の〇様式もわかんない。 プロフィールも未登録だし、北関東だけじゃ広すぎます。 江戸時代でも、藩が10超えてるでしょ。 県名だけじゃなくて、市町村願えませんか? 街道名も欲しいね。 できれば協力したいので。
質問者
お礼
説明不足ですみません。回答ありがとうございました。
質問者
補足
その像がある場所は大田原市の中の合併前の旧黒羽町地域、とその周辺の旧須賀川町や旧小川町で見かけました。
お礼
観音像か道祖神ですかなるほど。看板はなく、台座などにも特に何も書いてないのでわからず仕舞い。参考になりました。ありがとうございます。