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8代将軍・徳川吉宗の権力の大きさについて
8代将軍・徳川吉宗の権力の大きさや強さはどれ程のものだったのでしょうか? 徳川吉宗の将軍権力の大きさや強さは、日本史上や世界史上の他の人物に例えたら、誰と同じぐらいでしょうか?
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- fujic-1990
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回答No.1
権力者としてはすごく小さくて、世界史に出てきて、我々が名前を知っているような人物には及ばないと思います(日本史は後)。 もともと、日本には絶対王政のような強権時代がなく、当時の日本も 権威は、朝廷に抑えられ、 権力は、老中に抑えられ、 財力は、商人に抑えられ、という時代でした。 財政基盤が米で、天候や米相場で税収がおおきく増減するという欠陥財政(だから明治政府はすぐ改めた)。 将軍は、公領を支配できるだけで、大名領は支配できませんでした(監督権はあったわけですが)。つまり、支配地は小さい。 そういう時代の日本の将軍にすぎません。 結果として、上米の制で諸大名から借財し、幕府財政の破綻を天下に知らしめてしまいました。 諸大名も財政破綻していたので反乱はおきませんでしたが、これは「幸い」というべきです。 そういう「立場」の人です。 日本史上の人物ということだと、権力でも財政力でも信長・秀吉・家康に劣るでしょうね。 ライバルがいた頼朝、尊氏よりは権力(財政を含む)が大きいでしょう、と言ったところではないでしょうか。