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「言う」と「言った」、よく分かりません

「 「いよう、おつかれさん」  そんな村の麦畑の一角で荷車に麦を積んでいる農夫に声をかけた。よく実った麦だ。先物《さきもの》買いをした連中はほっと胸をなでおろしていることだろう。 「おー?」 「ヤレイさんはどの辺にいるかな」 「おお、ヤレイさんならあっちの、ほれ、あっちで人がたかってるだろ。あの畑だな。今年はヤレイさんのところは若い者ばっかでな。手際が悪いせいで今年はあそこの畑の誰かが『ホロ』だな」  農夫は日焼けした顔にいっぱいの笑みを浮かべながら楽しそうに言う。商人には絶対にいない、裏表のない人間だけが浮かべることのできる笑顔だ。  ロレンスは農夫に商売用の笑顔で礼を言って、馬をヤレイ達のほうに向けた。 」 皆さん、こんにちは それはライトノベル「狼と香辛料」の一部です。 「・・・楽しそうに言う」の「言う」の時制はよく分かりません。 それを「言った」に書き換えたら、意味・ニュアンスはどう違いますか。 教えてください、よろしくお願いします

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  • kuzuhan
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日本語は英語とは異なりはっきりとした時制の概念がありません。 「言う」は主に現在のこと(現在形)、今まさに起こっていることを言います。 「言った」は主に完了のこと(完了形)、完了していることから過去に起きたことを言います。もちろん、現在であっても「言うという動作が完了している」なら「言った」を使っても間違いとまでは言えません。 作中で「言う」が使われているのは、場面が第三者視点で今起きている事象を書いているからと考えられます。この「言う」を「言った」に変えてしまうと、場面が第三者視点で過去に起こった事象を書いていることになります。 大きく意味は異ならないと考えられますが、場面として「現在進行で書かれている」か「(回想などで自分は未来の立ち位置にいるなどで)過去進行で書かれている」かの違いでしょう。 ただ、「声をかける」という動作に対して、文中では「声をかけた」という完了形でかかれています。ここは時制をそろえるよりも読みやすさや、「主語のある動作に対してあえて変えている」のかもしれません。

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  • 回答No.4
noname#224719

>「・・・楽しそうに言う」の「言う」 >の時制はよく分かりません。 あなた自身が使ってます。 >時制はよく分かりません。 分かりませんでした。 「あなたが分からなかったのは何時ですか?」 誰も聞かないでしょう。

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すみません、意味は分かりますけど、いつも誤用しています。もっと練習します。ありがとうございました。

  • 回答No.3
  • SPS700
  • ベストアンサー率47% (14711/31294)

 「た」は、過去の他に、下記のように完了、存続、確認などの意味があるからでしょう。  http://国語文法.com/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%83%BB%E5%AE%8C%E4%BA%86%E3%83%BB%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%83%BB%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%AE%E5%8A%A9%E5%8B%95%E8%A9%9E%EF%BC%88%E3%81%9F%EF%BC%88%E3%81%A0%EF%BC%89%EF%BC%89.html

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ご回答ありがとうございました

  • 回答No.1

一般に小説などで、過去のできごとであるにもかかわらず、現在形が使われることがよくあります。 語り手が自分が語っているできごとを、あたかも目の前で起きているかのように述べるという効果があります。 欧米の言語でもよく使われる手法なので、 historic (hitorical) present dramatic present narrative present という名前もついています。 ここでは 「よく実った麦だ。」 「先物《さきもの》買いをした連中はほっと胸をなでおろしていることだろう。」 「農夫は日焼けした顔にいっぱいの笑みを浮かべながら楽しそうに言う。」 「商人には絶対にいない、裏表のない人間だけが浮かべることのできる笑顔だ。」 がそうです。 過去形でもいいのですが、生き生きとしたイメージが弱まり、客観的な印象が強くなります。

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