• 締切済み

古いお墓について。

先祖の古いお墓(大正時代に作られたもの)の調査をしていたのですが、お墓の石の模様(シミ?)が薄れた字ぽく見えてしまいます。(ただの錯覚でしょうが) 古いお墓に、名前とか以外に、隠れた所に何か字を書くことってあったりしますか?

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  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7251)
回答No.2

石職人が、自分の仕事だということを残すために、みえないところに、1文字だけ残すことはあるようです。 ただ、見えないところです。積み上げると隠れる部分とかです。 大工が梁の隅に墨でなにか残すのと同じですね。 見えるところにあるとすれば、使用人とかの可能性があります。 そのお墓に入れるのはその一族の人たちだけですけど、仕えたひとで、あの世でもお助けしたいと考える人が納骨時に勝手に自分の名を隅に彫りつけるということがあったようです。 しかしこれはおそらく明治後期から大正の第一次世界大戦前ぐらいまでのことだと思います。 先祖代々の墓、というのは明治以降のものです。なぜなら、それ以前は土葬ですから、人間の体がまるごと土中にはいっているわけです。 先祖なんて積み上げられません。 誰でも全員が火葬という文化は明治以後です。それだったら先祖のお骨は積みこめますので。 もちろん、突っ込まれるといけないから言っておきますが、江戸時代も火葬はありました。 落語のらくだなんていうのが火葬場で踊って火屋でもいいからもう一杯といったとか、黄金餅の由来で死骸が飲みこんでいる金を取り出したくてやき場で待っているとかいうことはありました。 だけど、名前のない貧乏人だから墓の枠が買えなかったということであるため火葬だったんです。 当然そういう貧乏人は先祖代々として祭るほどの家ではありません。 第一次大戦前、というのは、そこで使用人との関係が変わったからです。 それまでは、使用人は完全に子飼いであり、犬や家畜のような存在でした。誰もそれを怪しまなかった。 ところが大正デモクラシーというのが発生し、無政府主義者なんていうのが出てくると、雇われ人にも人権があるという意識が出てきたのです。 そうすると、仮に世話になったご主人がなくなっても、それに殉じるという発想は消えていきます。 乃木大将が明治天皇に殉じたというのが話題になるような意識の変化は発生していたわけです。 そういう推理が成り立ちます。

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  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (840/4403)
回答No.1

古いものは故人の戒名しか書いてないですね。 最近のは裏か横に施主の名前が書いてありますね。

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