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日露戦争終結直前、樺太を占領したのは。

米国大統領ルーズベルトは、日露両国に講和を進める一方、日本には交渉を有利なものとするために樺太を占領しておくべし、と助言したそうです。 ルーズベルトの意図は何なのか、教えてください。 また、日本が樺太を占領したのは、諸外国から見て、ファインプレーですか、それとも火事場泥棒ですか。 よろしくお願いします。

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  • jkpawapuro
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回答No.1

日露戦争の結果日本はロシアから領土なり植民地なりを獲得します。 ですが日本は膨大な戦費に苦しみ植民地の独自開発をする資金がありません。 そこでアメリカは日本が戦争に勝って植民地を獲得するも独自開発はできないように講和をもちこみ、アメリカが資金を出すことにより植民地を日本と共同経営するよう画策します。 樺太を攻略し獲得領土を増やすようアドバイスしたというのもおそらくこの一環でしょう、 この試みはうまくいくかに見えたものの、日本が奇跡的に起債に成功し資金獲得できましたので、結局日本は満州を独自開発し、結果中国市場の日米対決を招き第二次世界大戦へと流れていきます。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど! そういう訳ですか! よく分かりました。

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  • ithi
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回答No.2

kouki-koureisya さん、こんにちは。 これはたぶんにおいて政略的な考えです。たぶん、東京の大本営(長岡外史)あたりから出てきた話だと思います。 戦争において敵の国土を占領するのは将来の講話交渉において絶対的に有利に働きます。事実、樺太の北半分を返還に絡んで賠償金12億円を得ようとしました。 樺太の戦い。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1905%E5%B9%B4)

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 参謀次長長岡外史の持論だったのですが、その持論が国家の方針となりましたね。 米国は、日露両国に講和を進めながら、同時に、日本の樺太侵攻方針に同意しています。 米国にとってどんな国益があると判断したのだろうか、という疑問です。

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