嫌われる勇気と愛する勇気についての自信と生きる意味についての質問

このQ&Aのポイント
  • 「すべての人から好かれる(嫌われないでいる)なんてそもそも無理なこと」という言葉の裏に、「同じように、すべての人から、まんべんなく嫌われることもない」という自信が潜んでいるのではないかということです。
  • エミール・シオランの言葉によると、全人類に嫌われても自殺すべきではないと言っていますが、全人類に嫌われても生きていけるのか、そしてその上で生きる意味とは何かについての意見を求めています。
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『嫌われても平気」なわけ・・・

先に『嫌われる勇気』『愛する勇気』について質問をした際に、複数の回答を読んで感じたのは、 「すべての人から好かれる(嫌われないでいる)なんてそもそも無理なこと」という言葉の裏に、「同じように、すべての人から、まんべんなく嫌われることもない」という「自信」が潜んでいるのではないかということです。 その自信は何処から来るのか知りたいと思います。 エミール・シオランにこんな言葉があります 『自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。  だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。』 それはそうなんだけど。では、全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか? そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか? ご意見をお聞かせください。

noname#226970
noname#226970

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  • oya_zico
  • ベストアンサー率19% (398/2007)
回答No.13

>『自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。 >だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。』 これって、自分に絶望した場合は、自殺するのは仕方ないが、人に嫌われたくらいで自殺するな!!! という意味でしょうか。 嫌われる人って、自己中の人が多いと思うのですが、そういう人って、結構、自己愛が強く、自分で自分のことを愛しているような気がしますよ~。だから、なかなか絶望しないので死なないんじゃない? それから、 『あの上司、嫌いなんだけど、仕事は出来るんだよな~』と愚痴をこぼすサラリーマン、 『あのホスト、自己中なんだけど、体の相性は良いんだよね~』と言うキャバ嬢、 嫌われてても、評価されている人間も居るということですよね。 『私のことは嫌いでも、◎◎のことは嫌いにならないで下さい』と叫ぶアイドル、 自分は嫌われても良いから、自分の大切なものを守りたいという気持ちでしょうか? その辺にも、答えがあるのではないでしょうか。 ということで、全人類に嫌われても、何か、別の『生き甲斐』さえあれば、人間、生きていけると思います。 そうそう、『この子猫ちゃんさえ居れば、男なんて要らないわ!!』と豪語していた女性を、どこかで見かけた様な気がするのですが、そんな女性を見たことがあるのは、私だけでしょうか? それとも、これは、男に愛されない寂しさの裏返し? う~ん、でも子猫と幸せそうな生活を送っている人達の笑顔を見ると、嘘ではなく本当に幸せそうですけどね。 ちなみに、私が、全人類から嫌われたとしたら、 嫌いな人間に対しても大人の対応をしてくれる会社に就職し、とりあえず給料を稼ぎつつ、 生き甲斐を見つけて暮らすでしょうね。 例えば、日本一美味しい大福探しとか、世界遺産巡りとか、スタップ細胞作成とか、ロールプレイングゲームのクリアとか、ゴミという名のお宝集めとか、アイドルのおっかけとか、Q&Aサイトの回答とか。。 その人なりに、何かやりたいこと、生き甲斐を見つけるんじゃないかと思います。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 ははは。面白いご意見ですね。 >『この子猫ちゃんさえ居れば、男なんて要らないわ!!』と豪語していた女性を、どこかで見かけた様な気がするのですが、そんな女性を見たことがあるのは、私だけでしょうか? それとも、これは、男に愛されない寂しさの裏返し? う~ん、でも子猫と幸せそうな生活を送っている人達の笑顔を見ると、嘘ではなく本当に幸せそうですけどね。 そう思います。つまり「人間にまんべんなく嫌われても、尚人間以外の生命が存在する」という救いがあります。 全人類に嫌われても、この犬が、この猫がわたしを好いてくれている。それは幸せなことですね。 充分生きる価値になると思います。 >そうそう、『この子猫ちゃんさえ居れば、男なんて要らないわ!!』と豪語していた女性を、どこかで見かけた様な気がするのですが、そんな女性を見たことがあるのは、私だけでしょうか? それとも、これは、男に愛されない寂しさの裏返し? う~ん、でも子猫と幸せそうな生活を送っている人達の笑顔を見ると、嘘ではなく本当に幸せそうですけどね。 あははは!そういう考えがあったとは(笑) かなり説得力のあるご意見です。 わたし自身、「ひとにはまんべんなく嫌われている」という自覚と、まあ「自信」(?)があるので、猫や犬には好かれたいです。 鳥や獣、草や花など、自然界のあらゆる生き物と心を通わせることができたという、アッシジの聖フランチェスコのように。 とても面白いご意見を聞かせていただきました。 ありがとうございます。

noname#226970
質問者

補足

『自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。  だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。』 これは回答を読んでからの「質問」の補足ですが、 「嫌われる」ということが何かのアクションの結果という因果律抜きに、 正に「自分が自分であるが故」の理由で嫌われること。を考えます。 シオランの言葉を置き換えれば、 『自分が、現にある通りのものであるがゆえに全人類が顔に唾を吐きかけてきた。』なら、どうするか? これは抽象的な議論ではなく、若いころからの質問者の切実な問いなのです。 あなたが「○○だから」きらい、ではなく「あなたがあなたであるから」きらい。と、いうこと・・・

その他の回答 (22)

noname#224992
noname#224992
回答No.23

アルチンボルドさん。大発見です。 いまは嫌われる勇気は読了して(なかなか歯ごたえのある本です) 続編の『幸せになる勇気』をよみはじめましたが、凄い内容の本です。 >「同じように、すべての人から、まんべんなく嫌われることもない」という「自信」が潜んでいるのではないかということです。その自信は何処から来るのか知りたいと思います。 まず、嫌われるという意味は自由を得ることと同義だと著者は説きます。 そこで、あわせて他者貢献ということの重要性を言っています。それが幸福感の 源泉だとも。 そして圧巻なのが、刹那に集中して生きろという主張。 自己の課題と他者の課題を分離すれば人生はシンプルになる。これは前巻の主題 他者の承認を求めることと他者貢献とは違う。このあたりが、アルチンボルドさんの この質問の答えになるのかもしれません。 私も、自己の課題に取り組み今この場を大切に生きなくちゃいけないので、この辺で 失礼いたします。本ぜひご覧になってみてください。 というか、他人の課題に介入するのはアドラーの考え方に反しますけどw

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 そうですか。非常に影響をあたえられたんですね。 いい本にめぐり逢えてよかったですね。 >嫌われるという意味は自由を得ることと同義 >他者貢献ということの重要性 >他者の承認を求めることと他者貢献とは違う なるほど、これは本を読んでみないと詳しいことはわかりませんね。 チャンスがあれば是非。 再度のお返事をありがとうございます。

noname#236410
noname#236410
回答No.22

こんばんは! 回答したいと思っていたのですが、なかなか考えがまとまらなくてー。 今回もおもしろい質問をしていただき、ありがとうございます。 質問者さまの質問に回答するのは、私は結構楽しみだったりします。 さてさてー。自分なりに質問と回答を3つに分けてみました。 1.「すべての人から、まんべんなく嫌われることもない」ということ この意見には賛成です。 というか、世界的に有名な人でもない限り、 全世界の人に自分のことを知ってもらうことってなかなかないと思うんですよ。 全世界の人は、自分のことを知らない人がほとんどで、 自分の知っている範囲内で好いたり嫌ったり無関心だったりするのだと思います。 自分の周りのコミュニティで全員に嫌われてしまう・・・とか 自分がたまたま馬鹿にしてもいいという立場を割り振られてしまって コミュニティの全員に迫害されたりすることはありえますが、 そのコミュニティのメンバー=全世界の人という訳ではないですよね。 2.生きる意味について そんなの、私にもよくわかってませんよー。 おばあちゃんになって死ぬまでに「私が生きてきた意味ってこうだったー」 という何かができればラッキーくらいに思ってます。 生きる意味なんて考えているうちに、高校の時に図書館にあった リルケの詩について思い出しました。 「誰が私に言えるだろう、私の命がどこまで届くのかを」から始まる詩で、 タイトルは忘れてしまった上、本が手元にないのでうろ覚えなのですが、 確か締めは、「私にはわからない、私は塔を旋回する鳥なのか、 それとも大きなうたなのか」という言葉で終わっていたと記憶してます。 だからなんだといわれると、自分ってこうですってことや 生きる意味はこうなんですってことを定義づけるのって、 答えは人それぞれだろうし、答え自体がない人もいるでしょう、 自分で見つけるしかないですよね、ということが言いたいのです。 3.全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか 有名な話なのでご存知の方は非常に多いと思いますが、 このことを考えたときに、サン・ティグジュペリの「星の王子様」の バラの話を思い出しました。 「あたしって世界にたった一つの花なの!」という世間知らずのバラ。 王子様がさんざんわがままをきいてやり面倒を見て・・・、 咲いてみるとふつーのバラ・・・。 でも、王子様は、「自分が平凡なバラだとしったらきっとショックだろう、 ぼくが面倒みなきゃ!」と思うんですよね。 手元に本がないのでうろ覚えなのですが、確かこういう内容だったと思います (違ってたらすみませーん)。 そして、これは作者の奥さんがモデルになったと言われていたように記憶してます。 そこで冒頭の質問に返るのですが、自分がこのバラだったら、 あるいは、面倒をみないといけないバラのような存在が身近にいたら、 矜持を持って人は生きていけるのではないでしょうかねー。などと思いました。

noname#226970
質問者

お礼

こんばんは。 >回答したいと思っていたのですが、なかなか考えがまとまらなくてー。 そうですか。そろそろ締め切ろうと思っていたのですが、みなさんが興味深い意見をポツポツと寄せてくださっているので、まだ開けておいてよかった。 変わり者の質問に興味を持っていただいてうれしく思います。(笑) >「すべての人から、まんべんなく嫌われることもない」 とか、「全人類が顔に唾を吐きかけてくる」ということは、確かに現実には起こりえないことですね。歴史を見ても、どんな暴君でも少なからぬ支持者、信奉者を持っています、ヒトラーでも、スターリンでも、ネロでも。 ですから、ここではあくまでも比喩としての表現です。 例えばBeatlesの歌、Misery でもこんな風に歌っていますよ。 ”The world is treating me bad... Misery” 「世界中がぼくを邪険に扱う」なんてことは現実にはありえないこと。 でもそんな風に感じること、自分の限られた周囲が、全世界に同一視されることって、ないですか? 「生きる意味」の問いは、「全世界に嫌われても、尚、生きる意味は?」という質問でした。 確かに生きる意味は誰にもわからない。というよりも、誰にも当てはまる「意味」なんてそもそもないのでしょう。それがあったら、逆に生きる意味なんかないとも言えます(笑) それぞれが試行錯誤しながら自分の、おそらくは最後まで見つからないであろう人生の意味を探し求めながら生きること、それだけのような気がします。 いいですねえ、さらっとリルケなんかが出てくるのって、 この詩は知りませんでしたが、いい詩ですね。 この『星の王子さま』の話は知りませんでした。 いいお話ですね。 >自分がこのバラだったら、 あるいは、面倒をみないといけないバラのような存在が身近にいたら、 矜持を持って人は生きていけるのではないでしょうかねー。などと思いました。 リトル・プリンスにとって、またこのバラの花にとっては、お互いがスペシャルな存在=「世界にたった一つの花」なのかもしれませんね。 わたしはまだめぐり逢っていないのか、気づかないだけなのか、めぐり逢うことはないのかはわからないけれど、 誰もが、誰かにとっての「特別な」存在でありたいと願う者じゃないかと感じています。 その時、確かにその薔薇はせかいでたった一つの花になるのだと。 いろいろと面白いお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。

noname#231734
noname#231734
回答No.21

こんにちは(^-^) まんべんなく嫌われることはない・・ という自信・・ は過去の経験から・・。 全人類に嫌われるような人はいないと 思いますけど・・。 人に嫌われても 別に生きていけるでしょうけど、 それではやっぱり寂しい・・ と私は思ってしまいます。 犬でも犬同士、相性がいいと 仲良く遊んでいます。 微笑ましい光景です。 人間はあれこれ考え過ぎて 人間関係が複雑になりますね。 出来る事なら、好きになった人には 好かれたいです。 自分に正直にしてて嫌われるのは 仕方ないですけど・・。 他の方の回答を読んでも、 何だか難しくてわかりません。 私のはなんだか子供みたいな回答ですね。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >他の方の回答を読んでも、 何だか難しくてわかりません。 私のはなんだか子供みたいな回答ですね。 そうですか(笑) 「哲学」のカテゴリーなんかいくとチンプンカンプンですよ(笑) 子供みたいとは思いませんし、こどもみたいじゃいけないでしょうか? >犬でも犬同士、相性がいいと 仲良く遊んでいます。 微笑ましい光景です。 人間はあれこれ考え過ぎて 人間関係が複雑になりますね。 映画『めぐり逢い』で、デボラ・カーが 「何が人生をこんなに難しくしているんでしょう?」 と訊くと、ケイリー・グラントが 「人間・・・」 って答えますよね。 動物のほうが実は高等なのかもしれません。人間は退化した動物なのかもしれないと思います。 いつもお返事をありがとうございます。

noname#224992
noname#224992
回答No.20

アルチンボルドさん おはようございます。 そもそも岸見一郎という著者はアドラーの研究者で、アドラーは 一連の自己啓発本の本尊みたいな人ですから、唯識論につながって いておかしくないですね。 というかプラグマティズムと唯識論の合体みたいな印象がある。 実利主義の心理学だからこそ、自己啓発本につながるのですね。 かくいう私は、D.カーネギーからはじまってN.V.ピールはては ナポレオン・ヒルまで読んでました。友人が来ると、それをフッサールや フーコーの分厚い本の後ろに隠す。 ですから、私にとってはフロイトやユングが硬派ならアドラー心理学は 極めて軟派。アカデミズムの傍流という印象でした。 『嫌われる勇気』の面白いのは、現代人の心の悩みを一刀両断に断ち切る 論法の爽やかさなんでしょう。 詳しく書くとネタバレになりますので避けますが、ここ10年ネットに 関わっていて「お悩み相談」に偉そうに私見を述べていた私のような輩 であれば誰しもこういう本が書けたらいいのにと思っていた内容の本。 とにかく、「チビ・デブ・ブサイク・ハゲ・・・モテません」という人も 「無職です、これからどうしたらいいでしょう」という人でも 「離婚したほうがいいでしょうか」と悩む主婦にとっても、 自分で、自分の人生を変えるきっかけを与えてくれる本です。 ただ、そこが居心地よくて自分は変わりたくないと毎日決断している 人は仕方がないと著者は言っています。 今までに読んだことのない「視点」でしたね。 アルチンボルトさんのことだから、読まれたとばかり思ってました。 いずれにしろ、こういう面白い本にふれる機会を得られて感謝しています。 ちなみに、岸見一郎という人は、アルチンボルドさんの分身のような在野の 顕学。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 あ、アルボルト、結構気に入っていますからそう呼んでくださっても結構ですよ(笑) へえ、わたしは「自己啓発本」っていうのはほとんど手に取ったことがありません。『嫌われる勇気』それ自体は本屋で品切れだったり、図書館で250人待ちだったりでまだ読んでいませんが、ネット上で見た限りでは「絶賛」の声しか聞こえてこないようです。 アマゾンではものすごい数のレビューがあるようですが、とても全部に目を通せるわけもなし。 だた天邪鬼なわたしとしては、「悪くいう人がほとんどいない」という時点で敬遠です(苦笑) それにご指摘のように、わたしは生き辛さに苦しんではいますが、自分を変えてまで生きやすくなりたいかと言われれば、それはどうも違うようです。 上の回答をくださった方の引用されたシオランの言葉、 >「幼虫の身分に固執するべきだった。進化を拒み、未完成に踏みとどまり、諸元素の午睡を楽しみ、胎児の恍惚に包まれて、静謐のうちに滅び去ってゆくべきであった。」 図書館から借りているシオランの本はすべてアフォリズムですので、気まぐれに開いて読んでいるので、この言葉は初めて聞きましたが、わたしは成長することを拒んでいるのだと思います。 >「人は変われないのではなく、変わらないという決断を常に行っているだけだ」 多分そうだろうと思います。 ニルヴァーナのカート・コバーンはいろいろと面白いことを言っています。 “I'd rather be hated for who I am, than loved for who I am not.” ― Kurt Cobain 「自分でいるために憎まれる方が、自分をなくして好かれるよりましだ」 同感ですが、やはりひとりはサビシイデスネ。 いつもお返事をありがとうございます。

  • oya_zico
  • ベストアンサー率19% (398/2007)
回答No.19

回答No.13です。補足ありがとうございます。 ネットでも検索してみましたが、私みたいに、深く考えない能天気な男には、 エミール・シオランは難しいかも。 E・M・シオラン 『生誕の災厄』 「幼虫の身分に固執するべきだった。進化を拒み、未完成に踏みとどまり、諸元素の午睡を楽しみ、胎児の恍惚に包まれて、静謐のうちに滅び去ってゆくべきであった。」 成長し、『自分が、現にある通りのものである』ことに気づかなければ良かった。。。と言っている? 深く自分を見つめない(見ようとしない)私は、ここまで思いつめて考える前に逃避しちゃうから、 「私が女性にモテないのは、私の良さを理解出来ない女の方が悪い」とか、 「私が不遇なのは、今の社会や親が悪い」とか、 全部、自分以外のものに責任をなすりつけ、一生、『自分が、現にある通りのものである』ことに気づかないで、幼虫のまま生きていけるのでしょう。 ということで、もし、全人類に嫌われて居たとしても、その原因を他の所為にするか、または嫌われて居ないことにして、『自分が、現にある通りのものである』ことに気づかないで居られるとすれば、幼虫のまま生きていけるのでしょう。 >それはそうなんだけど。では、全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか? >そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか? そこまで、自分を追い詰めますか? でも、そうすることで、人類のために1冊、『生誕の災厄』みたいな素晴らしい哲学書?詩?学術書?が生まれるのであれば、それもありかな? 成虫になれたんです。生きた意味はあったと思いますよ。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 前回のお答えへのお礼、ちょっと回答分からのコピーを間違えました。 >ちなみに、私が、全人類から嫌われたとしたら、 嫌いな人間に対しても大人の対応をしてくれる会社に就職し、とりあえず給料を稼ぎつつ、 生き甲斐を見つけて暮らすでしょうね。 >例えば、日本一美味しい大福探しとか、世界遺産巡りとか、スタップ細胞作成とか、ロールプレイングゲームのクリアとか、ゴミという名のお宝集めとか、アイドルのおっかけとか、Q&Aサイトの回答とか。。 この部分がとても気に入りました。ああ、そういう考えもあったかと。(笑) シオラン、ネット上で読めるんですか? あの本は、こっちで言っていることの反論のような断章が、あちらにかかれていたりして、哲学の体系としてはなんら一貫性はないんですが、わたしは昔からああいう読書をしてきました。(パスカルの『パンセ』とか、ニーチェとか) 「自分が現にある通りのものであるがゆえに嫌われている」という意識から抜け出せませんね。ただ、それを「成虫になった」あるいは「成長した」と言えるのかどうか? >そこまで、自分を追い詰めますか? でも、そうすることで、人類のために1冊、『生誕の災厄』みたいな素晴らしい哲学書?詩?学術書?が生まれるのであれば、それもありかな? 成虫になれたんです。生きた意味はあったと思いますよ。 うーん、自分で自分を追いつめているつもりはないんです。 ただ、孤独で苦しんではいますが、それを何か他の人や世間のせいにするのって、自己欺瞞のような気がしてしまうんです。 これも云ってみれば「悪い癖」みたいなものですね。(苦笑) みなさんのご意見、いろいろと参考になります。 いつもありがとうございます。

noname#224992
noname#224992
回答No.18

アルボルトさんこんにちは。 今日駅の本屋で『嫌われる勇気』をみつけたので、なにげなく手にとったら 予想に反する内容の本だったので買って読み始めています。 すべての悩みは「対人関係の悩みである」 「人は今瞬間から幸せになることができる」 若者と哲学者との対話という形式も読みやすいです。 「人は変われないなおでなく、変わらないという決断を常に行っているだけだ」 心が洗われるような箴言がちりばめられた名著ですね。 >全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか? そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか? この問いの答えは、「他者の期待に応えるために生きてはいけない」 「人は客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした 主観的な世界に住んでいるのです」 「我々がどう見ているか」という主観がすべてであり、自分の主観から 逃れることはできません。 問題は、世界がどうであるかでなく、あなたはどうであるかなのです。」 いや、すごいこと言ってますよ、この本。 感動しました。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 へえ、「嫌われる勇気」買われたんですね。 >この問いの答えは、「他者の期待に応えるために生きてはいけない」 「人は客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした 主観的な世界に住んでいるのです」 「我々がどう見ているか」という主観がすべてであり、自分の主観から 逃れることはできません。 問題は、世界がどうであるかでなく、あなたはどうであるかなのです。」 あれ、でもこれは前からrepresentative2さんの仰ってる「唯識論」とおなじでは?今更目新しくもないのではありませんか? >感動しました。 そうですか。 ではわたしもいずれ(笑) いつもありがとうございます。 アルボルト

  • adele244
  • ベストアンサー率20% (36/176)
回答No.17

14です。お礼ありがとうございます。 本当によくわからない回答でした。。 (-_-;) ご質問をよく読んでみると、前半と後半で、「嫌われても平気」な前提が違うようです。 前半部分は、>だって誰かは自分のことを好いてくれる人がいる(はず)・・だから一定数に嫌われたって平気だ、と。 どんな嫌われ者でも、たった1人くらい、自分を好きで愛してくれる人、理解してくれる人はいるでしょうから、その他大勢には嫌われても平気かもしれません。例えそれが母親1人でも。(笑) 後半部分は、たった1人も好きでいてくれる人もいない、という前提で、 >全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか?そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか?という問いですね。 「嫌われる」と言っても、積極的に「嫌われる」というより、>「避けられる」「敬遠される」「無視される」ということですね。蛇とか、ゴキブリみたいなもの?(・_・;) 本人には罪がないのに、嫌われるというのは辛いでしょうね。陰湿なイジメですね。 >他者との友好的な関係はかけがえのないものだけれど、そうできないのなら必ずしも他者を必要としなくても生きられる、ということでしょうか? 人間は孤独にどこまで耐えられるかは個人差もあるでしょうが、例えば、音楽、絵画など、抽象的なものに、生きる歓び、情熱を持つことが出来れば、生きていけるでしょう、と思います。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 再度のお返事をありがとうございます。 前半と後半、そうかもしれません 基本的にシオランの書いたものと同じように、一貫性がないもので。(苦笑) >蛇とか、ゴキブリみたいなもの?(・_・;) まあ、そうですが、これも蓼食う虫もなんとかで、蛇が好きな人、ゴキブリが好き(?)な人がいないとも限りません。(笑) >人間は孤独にどこまで耐えられるかは個人差もあるでしょうが、例えば、音楽、絵画など、抽象的なものに、生きる歓び、情熱を持つことが出来れば、生きていけるでしょう、と思います。 確かにそういうものは大切です。わたし自身も音楽やアート、文学がなければとても生きてゆけません。でもやはり同時に「生身の人間」として人肌恋しい、といったところでしょうか。(苦笑)

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1255/3431)
回答No.16

NO.4です。 またもや回答しに参りました。(短くするつもりが、長文になってしまって申し訳ありません) >「主流」と「反・主流」。わたしはそこにもう一つ、「異端」という存在を仮定しています。わたしは個人的に「異端邪説」というものに興味があります。つまり、主流・反主流共に、或る一定数の賛同者を持ちますが、 異端は孤立する。という考えです。なぜって異端は「正」にも「反」にも帰属しませんから。 集団に於ける個の捉え方として。 分母が多きくなればなるほど、個というのは平均化し薄れていくものだと考えています。 クラスメイト→全員の顔と名前を知っている 同級生→全員の顔はわかるが、名前を知らない人もいる 全校生徒→顔すら見たことがない人がいる また、集団というものは、分母が大きくなればなるほど個性は埋没し、集団としての性格が形を成していきます。 ※日本人的な考え、中国人的な考え、アメリカ人的な考え、フランス人的な考えなど。 そう考えると。「異端」とは、自分が属する集団の内側でしか存在しないのかもしれません。 その異端ですが、必ずしも「孤立」するものでしょうか。 私は否と答えます。 もし異端が異端のまま孤立したならば、日本にキリスト教徒はいないでしょう。 では孤立する異端と、受け入れられる異端の違いとはなんなのでしょうか。 私は、その集団の「成熟度」と深く関わっていると思います。 「村八分」という言葉がありますが、あれは、村の中での暗黙の了解を理解していない場合や、共通の認識や共有できるものがない場合に孤立するのでしょう。 これは、少数であればあるほど、その力は濃く強くなっていくものでしょう。 お互いになんのストレスもなく過ごせている中に、異端を受け入れるということは、まず混乱を招くことであり、ストレスを抱えることでもあります。 ですが、それが上手くいけば、その集団は新たな価値観を手に入れ、集団として成熟していくことになります。 (これは、子どもから大人になる過程と同じだと考えてもいいかもしれません) 逆に考えれば、未成熟な集団に所属してしまえば、ほんの些細な異質であっても、排除されることは十分にあり得ます。 異端、異質。 個人の持つ特質が理由で、どこの集団に属しても確実に孤立するかといえば、私は難しいように思います。 「排除されるのは、必ずしも己が原因ではない」という視点からも考えてみると、また違ったものが見えてくるのではないでしょうか。 最後になって申し訳ないのですが。 質問者さんの質問は、純粋に自分の中に沸き上がった疑問に対して他者の考えを聞きたい&その返礼として素直な気持ちを書き込んでいるだけだと思っています。 今回の質問の場合は、私自身の個人の事情を書くと質問者さんの疑問から外れるところもあるだろうと思い、そこは排除しています。(お互いに「ケースバイケース」としか言えなくなりますので) 私は私の思う考えを素直に書いていますし、それに対して「どうだ」とも「受け入れろ」とも考えていません。 ただ、そういう考えもあるのだなと知り、それに対して質問者さんが何かを掴めるきっかけの1つになれればという程度の気持ちです。 なので、自分の考えは反対に位置するから、どうこうとかお気になさらずに。^^

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 再度のお返事をありがとうございます。 長文、結構です。長文で困るのは相応の内容がある場合に、こちらのお礼も長くなってしまうことです(苦笑) >質問者さんの質問は、純粋に自分の中に沸き上がった疑問に対して他者の考えを聞きたい&その返礼として素直な気持ちを書き込んでいるだけだと思っています。 仰るとおりです。わたしの質問はほとんど「アンケート」に投稿されていますが、内容は極個人的なものになることがほとんどのようです。 >私は私の思う考えを素直に書いていますし、それに対して「どうだ」とも「受け入れろ」とも考えていません。 ただ、そういう考えもあるのだなと知り、それに対して質問者さんが何かを掴めるきっかけの1つになれればという程度の気持ちです。 なので、自分の考えは反対に位置するから、どうこうとかお気になさらずに ええ、基本的に「お前は間違っている」というような姿勢で臨まれてしまうと、こちらも感情的になってしまいますが、別の視点を提示してもらうことは大歓迎です。(ただ、こちらの理解が及ばない場合も多いかと思いますが) お気遣いに感謝します。 >集団というものは、分母が大きくなればなるほど個性は埋没し、集団としての性格が形を成していきます。 ※日本人的な考え、中国人的な考え、アメリカ人的な考え、フランス人的な考えなど。 そう考えると。「異端」とは、自分が属する集団の内側でしか存在しないのかもしれません。 ああ、そうかもしれません。「日本人的な考え方から見ると」あいつ=わたしは「異端」だ。とか(苦笑) >ですが、それが上手くいけば、その集団は新たな価値観を手に入れ、集団として成熟していくことになります。 (これは、子どもから大人になる過程と同じだと考えてもいいかもしれません) そう思います。「正」 - 「反」 そして「合」と言った弁証法的な過程ですね。 >今回の質問の場合は、私自身の個人の事情を書くと質問者さんの疑問から外れるところもあるだろうと思い、そこは排除しています。(お互いに「ケースバイケース」としか言えなくなりますので) その辺りは、わたしとしてはいろいろと他の意見も伺いたいという気持ちもありますが、ここで長々と議論(?)することもなかなか難しいでしょうし。 いろいろな視点からのご意見、とても興味深く読ませていただきました。 ええ、充分考えるきっかけになりました。 改めて、ありがとうございます。

回答No.15

平気ですね。 他人が私のことが嫌いでもどうでもいいです。 他人が考えてることなんてそもそもわかりませんから。 本当は全員が自分のことを嫌ってるかもしれないじゃないですか。 口では好きだとか愛してるなんていう恋人や夫婦でも、 ただその言葉を言ってるだけで、まったくそんなこと思ってなくて、 内心嫌いだと思ってるかもしれません。 それはわかりません。 だからどうでもいいです。 嫌いなら嫌いって勝手に思ってろって思います。 その人が私のことを嫌いっていうなら、私はその人のことをもっと嫌いになります。 全人類に嫌われてても別にひどいことをされなければ、どうでもいいです。 私に対して嫌いだという意思表示をはっきりとしてくるんだったら、 そういう人たちはやっぱり排除したいですよね。 自分が生きやすくなるために、生活にかかわりのない嫌いな人たちは、 害虫と一緒なので、駆除したいと思います。 そしたら快適に生活できそうです。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >全人類に嫌われてても別にひどいことをされなければ、どうでもいいです。 これは理解できます。 >自分が生きやすくなるために、生活にかかわりのない嫌いな人たちは、 害虫と一緒なので、駆除したいと思います。 「自分の生活にかかわらない」で、且つ「嫌な人」たちとはどのような人たちのことを指すのかがわかりません。 「ひどいことをする」人たちを嫌うことは或る意味当たり前の感情かと思いますけれど、「かかわりのない嫌な人たち」を排除というのは矛盾していませんか。 いろいろな形で、有形無形に「害」を被っているのではない、けれど、「嫌い」というところが理解できないところなのです。 とは言いながら、矛盾に満ちたお返事を読んで、いろいろと考えさせられるところがありました。 投稿いただき、ありがとうございます。

  • adele244
  • ベストアンサー率20% (36/176)
回答No.14

こんばんわ。 面白いご質問ですね、難しくて、考えは纏まりませんが、オジャマしてみたいと思います。(^^) >「すべての人から好かれる(嫌われないでいる)なんてそもそも無理なこと」という言葉の裏に、「同じように、すべての人から、まんべんなく嫌われることもない」という「自信」が潜んでいるのではないかということです。 >その自信は何処から来るのか知りたいと思います。 う~ん、それって「自信」なのでしょうか?なんかややこしいですね^^; 私は現実的なのか、「すべての人から、まんべんなく嫌われる」のはかなり難しいこと、というか、「すべての人から好かれる」のと同じくらい、そもそも無理なこと、という気がします。 「嫌う」というのも、「好き」という感情と同じくらい、か、それ以上にエネルギーの要ることですから。 >『自分が、現にある通りのものであるがゆえに自殺するのはよい。  だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。』 この言葉は、全くその通りに思います。 >では、全人類に嫌われても、人は尚生きてゆけるか? そもそもその上で、尚、生きる意味とはなにか? 私は、全人類に嫌われるのはそもそも無理と思うオメデタイ人間ですが、例えすべての人に嫌われても生きていけると思います。 それは、生きる意味が、他者にあるわけではないから、エミール・シオランの言葉の通りです。 生きる意味とはなにか?それはわかりません。 他者との関わりはとても大切で、かけがえのないものですが、ただ、生きる意味、というか、生きる歓び、生き甲斐が他者というわけではないので・・ なんだかよくわからない回答でスミマセン^^;

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 このような妙な質問に興味を持っていただいてうれしく思います。 >う~ん、それって「自信」なのでしょうか?なんかややこしいですね^^; この質問のタイトル『嫌われても平気なわけ』は、だって誰かは自分のことを好いてくれる人がいる(はず)という確信というか、自信のようなものがあるように思えたのです。だから一定数に嫌われたって平気だ、と。 >「嫌う」というのも、「好き」という感情と同じくらい、か、それ以上にエネルギーの要ることですから。 他の方へのお礼にも書いたのですが、わたしは何故か「避けられる」「敬遠される」「無視される」ということと、「嫌われること」を同一視してしまう傾向にあるようですが、これは違うのでしょうか??? >他者との関わりはとても大切で、かけがえのないものですが、ただ、生きる意味、というか、生きる歓び、生き甲斐が他者というわけではないので・・ 他者との友好的な関係はかけがえのないものだけれど、そうできないのなら必ずしも他者を必要としなくても生きられる、ということでしょうか? >なんだかよくわからない回答でスミマセン^^; いえいえ、こちらこそ、ようわからん質問&お礼コメントでスミマセン ご意見を聞かせていただきありがとございました。

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