• 締切済み

EUと冷戦

東西冷戦が終焉した後になぜEUが創設されたのでしょうか?

みんなの回答

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

度重なる大戦に懲りた、欧州は、戦争の原因に なった石炭と鉄鋼を共同管理することにして 戦争を防止しようとしました。 そのための組織を作りまして、 EUはこれが発展したものです。 この組織は、冷戦中はソ連に対抗するという 役割を果たしました。 冷戦後は、米国に対する役割という面が強く なります。 その後、日本が台頭してきて、これに対する 備えも必要になり、米日に対抗する組織として EUに発展しました。 現代は、米国と中国、ロシアに対抗するための 組織という色が強くなっています。

  • OsatKaso
  • ベストアンサー率24% (43/178)
回答No.4

僕は冷戦と関係がある、という観点で話をしましょう。 皆さんのいうように、ドイツとフランスの争いを収めるために作った組織が、EUの前身であるECSCです。 これは、ドイツとフランスの国境付近に炭田や鉄山があり、歴史的に取り合いの為の戦争が絶えなかったのを、やめようと考えて作った組織です。 ECSCでは、域内では石炭と鉄鉱石については、関税と輸入制限をやめることで、戦争を防ぐことを考えました。これが、域内のすべての商品の関税と輸入制限をやめるEECに発展し、さらに発展した組織がEUです。 なぜこんな組織を作ったのかが、冷戦と関係するのです、 これは、対ソ連で一体化するために、NATO諸国内のもめ事をなくすことが必要だったからです。 こう考えると、EUと冷戦が関係することもわかると思います。 皆さんは、こういう考え方はどう思いますか?

noname#231195
noname#231195
回答No.3

EUと冷戦は関係ありません。 冷戦がきっかけとなって話が具体的になったのかもしれませんが、ずっと以前から汎ヨーロッパ主義という考え方がありました。 オスマントルコがしばしばヨーロッパに侵入してきたことから、イスラム世界との対比から「我々はヨーロッパである」という感覚が生まれてきたというようなこともありますし、ギリシャ・ローマ文明をルーツとして共有していているという意味でもヨーロッパとしての一体感があったわけです。 汎ヨーロッパ主義が明確に表されたのは、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが1923年に著した『汎ヨーロッパ』おいてです。この本が出てあっという間に汎ヨーロッパの考え方が現実のものとして広まり、実際、国際汎ヨーロッパ連合という組織も作られました。 ちなみに、欧州の歌にベートーベンの歓喜の歌が採用されたのは、クーデンホーフ=カレルギーの提案がもとになっています。 EUが創設されたのは冷戦後ですが、EUはもともとあったECを発展させたものです。そのECは欧州石炭鉄鋼共同体、欧州経済共同体、欧州原子力共同体をまとめて言う言い方です。 3つの組織の中で一番最初に作られたのが欧州石炭鉄鋼共同体で、1951年に設立されました。これは当時のフランスの外相ロベール・シューマンが提唱したものです。シューマンはドイツ育ちのフランス人で、ドイツとフランスの友好関係を築くことに努力してきた人です。 欧州石炭鉄鋼共同体は軍事産業に直結する石炭と鉄鋼を国際的な機関で共同管理することによって、国家間の戦争を回避しようとすることを目的としていました。 当初は経済的な目的で設立されたECですが、これを政治、外交の分野にまで広げたのがEUです。 冷戦が終焉して、東西の壁がなくなってから一気に加盟国が増えました。例えば2010年にはチェコ、ハンガリー、ポーランド、バルト3国、スロバキア、スロベニアが旧東側諸国から加盟しています。ですから、ご質問に関係していえば、東西冷戦が終焉がEUの拡大に寄与したということになります。 トルコが長らく加盟候補国になっていますが、どうしても「トルコってヨーロッパなの?」というのが根本的な疑問としてあるので、加盟の目途はたっていません。 昔、鳩山首相がアジア版EUなどということを言っていたように覚えていますが、EUはそんなその場の思い付きで組織されたものではありません。何世代にもわたる議論と努力の結果なのです。 いまたまたま見つけたのですが、このウェブページ↓は面白いと思いました。ご興味があればどうぞ。 http://jfn.josuikai.net/josuikai/kaiho/0511idou_ym/main.html

  • hiroshi01
  • ベストアンサー率34% (26/76)
回答No.2

EUの始まりの歴史は、むしろ第一次、二次世界大戦に関連しています。二度の大戦の反省を経てその大きな原因になったフランスとドイツとの確執、特にロレーヌ地方の石炭など資源の奪い合いを周辺国も交えて調整する国際経済機構の発足がその始まりです。既に最初の条約は1952年に結ばれています。ベルリンの壁の崩壊は1982年ですからずっとあとです。もっとも、この東側の体制崩壊はEUの前身のEECなど大きくなり、NATOという軍事連合でソ連の衛星国へ圧力をかけたことも原因でしょう。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (839/4401)
回答No.1

東西冷戦とEUは関連がありません。 昔からフランスとドイツが仲が悪く、 というのもフランスとドイツの中間エリアで資源が出るのです。 ここを争って戦争を何度も繰り返してきました。 これではいけないと両国が立ち上がり、合併を大きな目標として 同盟を組むことにしました。そこに周辺の国が参加した形です。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう