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日本はいつからJAPANと記されたのか
日本にはヤマト、邪馬台国、ニホン、ニッポン、倭国など様々な国名がありましたが、では国際的にジャパン(JAPAN)と正式に記された最初の記録はいつ頃のものなのでしょうか?もちろんジャポン(JAPON)も同様と考えます。
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「正式に」とされておられますが、どのような形態(文書)を正式とお考えでしょうか。 JAPANは英文表記で、JAPONはフランス語表記です。 要は、日本の国名を外国語特にアルファベットで表記されたのはいつ頃かという御質問でしょうか。 現代の中国音をそのまま表記すればRìběnとなります。ジーペンと発音します。 スペイン語ではJapónと表記されハポンと発音します。 ロシア語ではЯпонияと表記されヤポーニヤと発音します。 アルファベットを使う西欧人が日本の存在を知って文書として書き残したものとしては、マルコポーロの東方見聞録が有名です。 マルコポーロも実際には日本へ渡来したのではなく当時の中国人からの伝聞を記録しただけです。 ジャパンあるいはジャパングという音につきましては、日本という表記は古い中国音の漢音の発音では「ジーパングォ」と聞こえるとされ、それが語源と考えられています。 西欧の言語次第ではXipangu/Zipang/Zipanguなどと表記されます。 イエズス会の宣教師が16世紀末に作った日葡辞書には「ジッポン」とも発音するとされています。 つまり日本人自身がじっぽんと言い習わしていた時代があったということです。 7世紀以降であったろうと言われています。 現在でも日本では「日」はひ、にち、じつなどと発音されます。 日本を「じつほん」「じつぽん」と読むこともできます ヨーロッパではポルトガルが一番早く日本を発見したとされています。 下記のサイトにもありますように、それ以降頻繁にヨーロッパ人が日本を訪れ日記や旅行記を書き残しています。 参考 明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧 「日本」のアルファベットの表記が問題となっているのは、日本海の呼称問題です。 外務省がセッセと記録を調べていますが、いずれもポルトガルが日本へやってきた大航海時代以降の記録です。 帆船が航海に使う海図を基にしています。 イギリスやフランスが大航海時代に参画するのは、ポルトガルやスペインの後ですので、英文表記も当然、そのころ、即ち16世紀初頭以降ということでしょう。 イギリスが日本と外交交渉を始めるのは戦国時代末期の織豊時代ですで、冒頭の「正式に」という御質問と関係してきます。 ヨーロッパ人が何時頃から日本の存在を知っていたかということになりますと、正倉院に西域の物が保存されていますので、当時中国と交易していた西欧の商人達は中国と交易のある日本という国があることは知っていたでしょう。 記録を残していれば、当然アルファベット表記されていたでしょうけれども残念ながら見当たりません。
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- chiha2525_
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他の回答とダブるかと思いますが、JAPANの起源は日本です。 この国名を西洋に伝えたのはマルコ・ポーロです。マルコ・ポーロは直接に”日本”の読みを聞いたわけではないのですが、彼が駐留していた中国の地方で日本という漢字を”ジッパン”と発音されているのをきいて、Cipangu(ジパング)と記述したと言われています。 ただマルコ・ポーロは、何でも100万・100万(英語でいうmillion)と言うホラ吹きでも有名で、それほど信用されてなかった(ので国名が広まったか疑問)といわれています。ちなみに東方見聞録にはワークワーク(waqwaq)という金の国も書かれていますが、これも倭国(和国)がモデルだったのではないかと言われています。 マルコ・ポーロ起源説の対抗には、16世紀頃の東南アジアで日本のことを中国語からの借用語で Japang と呼んでいたことに由来するという説などがあるようです。(勿論この名も”日本”が語源です) ちなみに、邪馬台の読みはヤマトです。倭国は(上に書いたように)和国と同じです。倭が大きく一つになって大倭、この倭を好字の和に変えて大和。大和が外国人(中国人)由来の国名だからと自分達(日本人)でつけた国名が日本。大和も日本も、日本語読み(やまと言葉)はヤマトです。
お礼
面白いですね。 (´▽`)
- あずき なな(@azuki-7)
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ジャパンの語源はマルコポーロが東方見聞録で 日本のことを「黄金の国・ジパング」と記した事が始まりです 国際的にはかなり昔からジャパンやジャポンと呼んでたようですが 日本人が対外的に使い出したのは戦後だと言われています
お礼
戦後から、これはあり得ますね ( ..)φメモメモ
- D-Gabacho
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ciniiという論文検索サイトでさがしたら、webで公開されている論文のなかに参考になりそうなのがありました。岡本良知「ジパングよりジャパンへの推移」(1933)http://ci.nii.ac.jp/els/110007471954.pdf?id=ART0009296063&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1445242745&cp= これによると16世紀半ばに来日したポルトガル人やスペイン人が、ジャパン、ジャポンと呼んだのが本国に伝わって広まったようです。
お礼
ちょっと大学が怪しいですが、面白い説です。 (*´з`)
- 雪中庵(@psytex)
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中国の「China」が、秦王朝の「Shin」から「支那」になり、 「チャイナ」になったように、「Japan」も、「日本」の今の 中国語読みは「リーベン」ですが、中国各地や東南アジアを 回ると「ジーベン」「ジープン」といった、「ジャパン」に 近い発音が聞かれます。 (すみません経験だけなので時期は分かりません)
お礼
これは他の国の国名や民族名にも言えることですね。 古い記録になればなるほど、口伝、なまりによる変化、伝言ゲームのような状態になってゆくわけですが。 あるいは、ではなぜ中国ではリーベンと呼ばれていたのかなど、外から考えてゆくと、面白い事が見えてきそうですね。 (´▽`)
- SPS700
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#1です。補足です。 >>JavaneseとJapaneseの繋がりについて、少し気になっています。この質問の前に、バリ島の話題があったものですから。 名詞から形容詞を作る付けたりの一種でしょう。 -ese がつくのは、ほかにも Chinese, Portuguese, Burmese, Sinhalese, Taiwanese などがあります。 Turkish, Polish, Danish, English が、みんな -ish に終わるから、トルコ、ポーランド、デンマーク、英国に繋がりがある、と論じるようなものです。
お礼
まさにそういうことなのですが、日系人はダジャレが好きという事ですね。 (*´з`)
JAPANは国名ではなくて。 日本工業規格 japanese lndutial standard は日本国 JAPANと規格。1949-6-1 国際規格 ISOでは JPN JP 国号=日本国・日本は法令化されていない。 ヤーパン ドイツ ジャポン フランス ハポン スエデン ジャッポネ イタリヤ アンチャンパイ アイルランド ヤポーニヤ ロシヤ 欧州古地図表記 IAPAM 1960年頃 IAPAN 1567年頃 JAPAN 表記なし
お礼
法令化されていないのにも、訳があるのでしょうね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1565年に Giapon と記された例が比較的早いと思われます。「国際的にジャパンと正式に記されるのは」名称よりも実体が出来たのがいつかにかかっているのかもしれません。 Mancall, Peter C. (2006). "Of the Ilande of Giapan, 1565". Travel narratives from the age of discovery: an anthology. Oxford University Press. 語頭の子音表記は、中国語の「日本」の発音をマルコ•ポーロが Chipangu (日本「国」でしょう)と書き、Giapan に至ったものでしょう。 J で始めるのは、中国南部の言葉による「日本」の読みから、マレー語の Japang を経て、ポルトガル語の Japao に影響されたものと思います。 言い換えれば、日本が近代国家として国際的に登場する前からジャパンという言葉はあったと思われます。
お礼
1565年ですね。 ( ..)φメモメモ
補足
JavaneseとJapaneseの繋がりについて、少し気になっています。この質問の前に、バリ島の話題があったものですから。 ヤマトの民と、琉球。 東南アジアとの交易。 そして明治維新へ。 くぅ~ (;´д`)
お礼
そこですね。 正式、公式の定義。