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ラストサムライ:南北戦争後、書かれた手記に共通する傾向って?
遅ればせながら、映画「ラスト・サムライ」を見ました。 そのコメンタリーを聞いていたら、冒頭の主人公のトラウマがフラッシュ バックするシーンで、監督は「これは史実をもとにしている。こういった できごとに参加して、生還したした人々のうち、6、7割は当時手記を書いた。 それを丹念に拾っていくと、ある種の傾向がうかがえるといえるだろう。 が、その話はあとで」 と言って、流れてしまいます。その「どんな傾向があったか」に興味を 惹かれて、それを念頭においてコメンタリーをずっと見ていたのですが、 とうとう最後まで話は戻りませんでした。 歴史に詳しい方、「生還した」というからには、「南北戦争で生還した 北部ヤンキーの兵士たち」の話かな?と思うんですけど、彼らが書いた 手記はどういう傾向があるんですか? どうぞよろしくお願いします。 レンタルで借りたのですが、ラストサムライのDVDを買われた方で、 その他の特典で監督が喋っているんだったら、ぜひ教えてください! 彼らはいったいどういう手記を残したんでしょうか?
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映画で一度だけしか見ていないので思い違いがあるかもしれませんが、「ラスト・サムライ」はアメリカ人らしい解釈で作られた娯楽映画です。娯楽映画ですから都合のいいように、いいところを強調しています。サムライ社会、僅か120年前の最後の日本人同士の戦争をも理解できない日本人は「ラスト・サムライ」をほぼアメリカの観客と同じように見ている可能性があります。 それはさておき、主人公は南北戦争の英雄には違いないでしょうが、冒頭のフラッシュバックされるシーンは南北戦争のものではなく、1830年ごろから1890年ごろまで続いた西部における最後のインディアン討伐戦の模様だと思います。平和に暮らしているインディアンに無理難題を押し付け(強制移住など)たり、非武装の村を襲って無抵抗の女、子供を虐殺させられた騎兵隊幹部の苦悩を暗示しています。 彼が明治政府に雇われて(騎兵隊上がりが政府軍を指導した史実はないと思いますが)最後の抵抗をするサムライ軍を知った時、米政府の圧制に苦しみ反抗していたインディアンが二重写しになったのでしょう。つまり、監督の描きたかったのは時の権力に虐げられた人々、「教えられた」ことと現場で知った「現実、真実」との乖離に悩む権力側の兵たちの心ではなかったかと思います。 無理のあるストーリの展開を史実らしく思わせる手法として、歴史上の事実を引用し、もしかしたらこのようなこともあったかも知れないと思わせるのは小説や映画に よく使われる手です。ナレーションをあまり拘らない方がいいですよ。しょせん、娯楽映画のナレーションです。(ナレーションがウソという意味ではありません) 参考までに「ラスト・サムライ」はアメリカ人が作った 割にはよく出来ているということですが、サムライ軍が 銃を持たないこと、最後の騎馬隊による政府軍への総攻撃シーンは創作です。西部劇でも好まれた手法です。つまり連発銃で武装し、騎兵隊以上に乗馬や作戦に勝れていたインディアン軍が、弓矢とヤリをもって登場し、火に飛び込むイナゴの大群のように殺されても殺されても殺到するシーンが好まれたのです。昔の観客はウソと知らずに楽しんだのですが、現代の観客を楽しませるためにはウソをウソと思わせない演出が求められます。日本人でも騙される人が多い訳ですから、「ラスト・サムライ」は又アメリカ人解釈の新しいサムライ像を世界に広げたことになります。西欧人は好意的に受け止めているようなので、サムライ理解の功績といえるかも知れませんが・・・
- briony
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DVDで見たのでしょうか。 私は映画で見たので、監督のコメントはわかりませんが、トムクルーズ扮するオルグレンが映画の冒頭で、戦争に参加した(南北戦争)人たちの、勝ち組みではあるが北側の非人道的な行為が、彼の中でフラッシュバックし彼を苦しめるシーンがあり、それが日本に来てからの政府のサムライの迫害とリンクして、彼が勝元の側についたと理解しながら見ていました。 その傾向性とは、勝ち組みの非人道的な行為のことと、理解しています。 現在の対イラク戦争でも、同じ非人道的なことがおきています。
補足
ご回答ありがとうございます。 はい、DVDをレンタルして見ました。 えと・・DVDだと、コメンタリーってありますよね。ご覧いただければ わかるんですけど、レンタルのコメンタリーは監督が一人でしゃべってます。 その問題の、非人道的な行為のシーンで「南北戦争(もしくは、 その非人道行為に)関わった人々は、その後、彼らの6、7割が手記を出している」と語っているんです。 つまり、監督は、「史実の南北戦争(もしくは、以下略)に関わった 人々が書いた手記を読むと、ある種の傾向がうかがえると言えそうだ」 とコメントしていたんですけど・・。 それが知りたいんです。どういう傾向があるのかって。 つまり、「過去を正当化し、美化しようとする傾向がある」とか、 「行為を罪と断罪しているが、自分だけは罪はさほど深くなかったとか、 行為にはたいして関わっていなかったと棚にあがろうとする傾向」 とか、そういうことを語りたかったような口調なんです。 監督について、すごくきまじめで、教養の高い方なんだと思いました。 基本的に勉強熱心な、優等生なんですよね~・・。(コメンタリーの 他のシーンでも、シェークスピアのヘンリー4世に言及するコメントがあったりします。) ご回答ありがとうございました。 傾向とは、その手記を手当たり次第読めばわかるのかもしれ ないんですけど・・「きけ、わだつみのこえ」みたいにまとめて 出版されていないかな~。
お礼
この場を借りて、お詫びします。 残念ながら、とても考えさせられるご回答ではありましたが、 実際の手記に共通するある種の傾向、ということにたいしてコメントして 頂きたかったので、これで質問を締め切らせて頂きます。 せっかく時間を割いて回答くださったのに、ごめんなさい。
補足
ご回答ありがとうございます。 えっと・・言ってもいいですか?(^_^; 「ナレーター」ではなく、「コメンタリー」です。 「南北戦争中」と思ったのは、私の思い違いかもしれません。 でも、監督は実際に、「これは〇〇の虐殺と呼ばれる史実」 とコメントしていました。 それを忘れてしまったので違うかもしれないんですけど、 コメンタリー中、「彼らは和平のため旗を持って出迎えたの にも関わらず」という言葉があること、映画中で「彼(主人公の オルグレン)のシャイアン族の知識がもとで」というセリフから 考えて、1864年のサンド・クリークの虐殺だったんじゃないか と今は思っています。 この虐殺が「なかった」と言っているネオコンはいるかも しれませんけど、少なくとも、コメンタリーで「史実をもとに している」と言ったことはたしかです。 「アメリカ人が描いたサムライ映画」というあたりでは、 私も同感です。でも、コメンタリーをきけば、監督以下スタッフが いろいろ、外国人視点なりに一生懸命勉強していたことや、 公平であろうとつとめた感情などいろいろ伝わってきて、 おもしろかったです。 もしよかったら、ご覧ください。