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諦め
こんばんは。 「満場の「諦めない!」の中で「諦めちゃった」が行われた」、というような。 仏教的には諦めるのがスジ、と思われるのです。 このコントラストは、何でしょう?
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Kurinalさん お礼文ありがとうございました。 >文脈的に「納得がいかなくても」/「腑に落ちなくても」・・・でしょうか。 能力的になんです。 >(1)「〰までなら、努力で成れる」 (2)「その上に成れるかどうかは、「運」にもよる」 (3)「成ったところで、やりたいことが出来るとは限らない」 やるときは全力です。ですが、 できそうもないことは最初からしないですね。 >仏教的「消極性」について、人権侵害との関係では、むしろ消極的であることが功を奏して、問題を起こさない、と思われるのですが、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」で、やり過ぎると、自らの人権を軽視しかねない意味もあるように思われます。 勇気も、人権を侵害しては、「蛮勇」です。 (仏教も、勿論、「信教の自由」の範囲内での行為が求められる) 「勇気も、人権を侵害しては、「蛮勇」です。」 深い言葉だと思いました。 勇気には理性がありますが、 蛮勇は理性の欠如からだと思います。 Kurinalさん 私は仏教を知らないため、 趣旨の違えた回答をお許しください。 無理に理解しようとせず、 再回答させていただきました。 本題から外れた回答と いう「諦め」。
こんばんは。 どんなに自分の納得いかないことでも やり遂げるのが無理なら、諦めることも 同じくらい勇気のいることだと 思いました。 ちょっとちがいますか?
お礼
suvi様、ご回答ありがとうございます。 >「どんなに自分の納得いかないことでも」 文脈的に「納得がいかなくても」/「腑に落ちなくても」・・・でしょうか。 >「やり遂げるのが無理なら、諦めることも 同じくらい勇気のいることだと 思いました。」 聞いたことがあるのは、 (1)「〰までなら、努力で成れる」 (2)「その上に成れるかどうかは、「運」にもよる」 (3)「成ったところで、やりたいことが出来るとは限らない」 >「諦めることも同じくらい勇気のいること」 仏教的「消極性」について、人権侵害との関係では、むしろ消極的であることが功を奏して、問題を起こさない、と思われるのですが、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」で、やり過ぎると、自らの人権を軽視しかねない意味もあるように思われます。 勇気も、人権を侵害しては、「蛮勇」です。 (仏教も、勿論、「信教の自由」の範囲内での行為が求められる)
お礼
suvi様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「やるときは全力です。ですが、 できそうもないことは最初からしないですね。」 「人権を侵害しない」は、諦めたりしない、でしょうか。 >「勇気には理性がありますが、 蛮勇は理性の欠如からだと思います。」 ところが、私は、どうも仰る「理性」には、懐疑的なんです。 仮に「理性ある勇気はOK」としたら、、、 オウムすらOKになりませんか? >「Kurinalさん 私は仏教を知らないため、 趣旨の違えた回答をお許しください。」 許すも許さないも何も。 >「無理に理解しようとせず、 再回答させていただきました。」 はい。 >「本題から外れた回答と いう「諦め」。」 「理性」が、キーワードではないでしょうか? (・・・「信教の自由にも限界があります」と、述べておきます)