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われわれはなんで元気がないのか?

 元気が出ないですか?  出せないですか?  なぜですか?  気力が萎えるいちばんの原因は おそらく不条理に遭ったという経験からではないか?  ほかによりよき可能性があったんだがと悔やみ得た体験ならば 一たんあきらめがつく。失敗は成功の基ゆえ。  可能性があり得るのにこれが 閉ざされていることに対しては 憤りと失望とを通り越しても こころに落ち着かない部分をかかえてしまう。  おそらく――考えるに―― 権限を持つ上司に対しては 仲間どうしの協調のためにも 多少の不合理なことに対してならこちらが折れてもよい。ガミガミ電波にも耐えて行ける。    そうすると 無謬性の神話を まだ掲げるのは アマテラス公務員か? この神話の前には いかにこちらが納得の行く話をしても あちらがダメと言えば 可能性は閉ざされる。  でもこの壁も溶融し始めたであろうか?   ならば われわれの気力を萎えさせる絶望的な垂直壁は なんだろう?  神聖にして侵すべからざるアマテラシテ天皇か? いま現代において そうか?  政府がすでにスサノヲ市民政府となっている現代社会において まさか?  仮りに国民投票をすれば その制度に賛成一色であろう。世襲という制度に民主制に反する要素があるように思うが これも その一代ごとに投票すればよいことになる。  フクシマからか?  あるいは ヒロシマ・ナガサキ問題が まだ尾を引いていたのかという問題なのか?  ひょっとして 《オリエンタリズム》の問題?  つまり欧米か? 《犯人》は。実質的に言ってわれわれは植民地化されているのか?  なら まづはその間違いを指摘してやり そうし続ければよい。  あるいは北朝鮮? 阿呆の韓国? いややはり 中国? ・・・  われわれはなんで元気がないのか?  どこで間違えたのか?  安保法制をめぐって元気が出たかと思ったら ただただお花畑を一途に志向する純粋なる阿呆状態としての元気だった。のではないか?  どこを間違えているのか?

みんなの回答

回答No.10

こんばんは、ぶらじゅろんぬさん。 >元気が出ないですか? :はい。出ませんねえ。 >出せないですか? :はい。絞っても出せませんねえ。 >なぜですか? :う~ん。 ひとりのニンゲンが処理できる情報たち、 を遥かに超えた情報たち、に襲われて 混乱しっぱなし だから なの かなあ。 【なぜですか?】と問ふよりも、 【どのやふに】元気をなくしたのか、 そしてこれからどうしたらよいのか、 と問ふたほうが意見しやすいように思ひますが? >気力が萎えるいちばんの原因は  >おそらく不条理に遭ったという経験から :うん? 不条理に一度も遭わなかった人なんかいないス。 赤ん坊だって、あんなに暗くて狭いところを ずんずんと進んで、 いきなり暗闇から眩しいところに放り出され いきなり肺に酸素が侵入する、といふ とんでもない事態に困惑して 大声で泣きわめいて、【不条理の中】 を生きますと叫んでいるのですから。 ふたたび引用しますが、 >おそらく不条理に遭ったという経験から :ええ、生きているのだから、 不条理の内容は、ひとりひとり 誰もがユニークな、つまり ひとりひとり特別な不条理に出くわして 誰もがそれを突き破って粉々に砕いて 毎日毎日何度も何度も 己の視界を クリアにして生きているのぢゃないの? かふいう生き方が何かいけませんか? ↑いや もしかしたら わたしが おかしなこと をしゃべっているかもしれないので、 明らかな間違いがあれば訂正してください。 ___________ >失敗は成功の基ゆえ。 :あ、はい。そうなのですが、 たとえばわたしが 「駆けっこしよう!」「鬼ごっこしよう!」 「かくれんぼしよう!」と提案したときに、 え゛っ!! |д゜)  オレやらない!あたしもやらない! だってオレ走るの遅いし 負けたら恥ずかしいし 鬼になるのイヤだし そもそも面白くなさそうだし つまらなさそうだし さふいうのオレ面倒だし(。-`ω-) といふ小中学生をよく見かけますが、 それはたぶん、 「>権限を持つ上司」 が怖いからぢゃないでせうか。 別に学校の先生も 小中学生と同じニンゲンだから、 上下関係 なんてのは ない はづなのだけど。 あ、スミマセン、 現在わたくし体調が悪く、 今フラフラしてきたので、 とりあえず送信して落ちます。 気が向いたら続き書きますので。 書かないかもですが。    

bragelonne
質問者

お礼

 つづきまして ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  ひとりのニンゲンが処理できる情報たち、  を遥かに超えた情報たち、に襲われて  混乱しっぱなし だから なの かなあ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ううーん。だから元気を出せというところにただちにつなげませんが これは 情報処理の問題ですよね。  つまり いやなら・嫌いなものは捨てればよい。だけではないの? と突っ込まれると思います。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  【どのやふに】元気をなくしたのか、  そしてこれからどうしたらよいのか、  と問ふたほうが意見しやすいように思ひますが?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ それは触れてますよ。  ☆☆ おそらく不条理に遭ったという経験からではないか?   ☆ そして 相手が役人であるとき 役人がその案件はだめだと言ったときには もうテコでも動かない。いくらマチガイがあって落ち度もあったとしても ゼッタイあやまりません。こちらは 悲哀を感じると思います。  そして 抽象的ですが  ☆☆ 垂直壁  ☆ の問題。  胎児の誕生は そんなに不条理ですか? つまり むしろ自然であって ただし過酷であるかも知れないということではないかと。    不条理の問題に戻ってですが アマテラス公務員の立ちはだかる壁は  ☆☆ でもこの壁も溶融し始めたであろうか?   ☆ と言えるようにもなって来ました。あやまちをみとめるようになったとは思います。  不条理きわまりない垂直壁ではなくなって来つつあるかも分かりません。  誘ってもいっしょに遊ばないという子どもについては よく分かりませんが 必ずしも壁であるようにも見えません。いやだという意志表示は 一方では大事だとも考えられますから。  そのとき上司との関係の問題として見られる場合には:  ☆☆ おそらく――考えるに―― 権限を持つ上司に対しては 仲間どうしの協調のためにも 多少の不合理なことに対してならこちらが折れてもよい。ガミガミ電波にも耐えて行ける。  ☆ というふうに考えて これも必ずしも垂直壁を形成するとも思わなかったのです。  それで だけれども昨今 元気を出している集団がいるんだなと思ったところそれは よく聞くとへんな――見解というほどでもないと分かるへんな――運動であると知りました。つまり:  ☆☆(No.8お礼欄) SEALDsとかママの会とかが へんな元気を出したなぁと思ったところから 再質問です。  つまり 元気を出さないなら出さないで ひとまづよいとして でも出したときには しゃれに成らない元気だったと来た日には どうなるんですかねぇ。

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  • neutral-
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.9

たびたびスミマセン。 よろしければカノン を聴きながらこちらもどうぞ。 https://www.youtube.com/watch?v=8KFAa-1sMEk あ、いやもう一度質問文 よく読み直して 気が向いたら何かしゃべります。  

bragelonne
質問者

お礼

 つづきまして。  ▲ いつもここから  ☆ 覚えています。いいともで見ましたが そのときは面白かった。  でも いま聞くと 違っていた。どうしてか?  という問題意識を持ちました。

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  • neutral-
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.8

こんにちは、ぶらじゅろんぬさん。 ご質問文を拝読しまして。 最初の感想が、 【ニンゲンには何故ワルモノが必要なのですか】。 いえ別にふざけてません。 気が向いたら もう一度質問文をよく読んで、 続きを書きます、はい。 https://www.youtube.com/watch?v=8NxEWhKzWRk          

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ちょっとこれだけでは 何とも。  なぜ元気を出さなければダメなのかという・前回のご回答は踏まえました。  SEALDsとかママの会とかが へんな元気を出したなぁと思ったところから 再質問です。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.7

 #6です。補足です。 >> ☆☆ 垂直壁  ☆ は 回答者さんには ありませんか?  あってもなくても 同じことであり あって立ちはだかっているから元気がなくなっても やがて元気を出せるし そのように元気を出したとしても 垂直壁にぶつかったとき 元気がない場合とさして違わない。こういうご回答でしょうか?  よく分かりませんが、僕には壁があまり無いようです。    言葉では表現してみましたが どうも分かりづらいように思います。それでは  ☆☆ われわれ  ☆ としては どうなんでしょう? どういう見方が答えとして返って来ましょうか。  これは皆さんがどうお考えかと言うことが分かっていないといけないと思うんですが、僕にはそうはっきりしたものが見えないので、何とも申せません。  良いご質問をありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  特には日本社会における日本人について問うているのですが その情報はさほどは無いといったご情況であるということでしょうか。  それは 分かりましたが それにしても 《元気があるか無いかは どうでもよい》といったお考えは きわめてめづらしいと思いました。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.6

1。 元気が出ないですか?  いえ、 2。 出せないですか?    いえ、べつに。 3。なぜですか?  出しても出さなくても同じだからでしょう。

bragelonne
質問者

補足

 ご回答をありがとうございます。  元気は出るし 出せる。しかし   ★ 出しても出さなくても同じだ  ☆ ということでしょうか。  ☆☆ 垂直壁  ☆ は 回答者さんには ありませんか?  あってもなくても 同じことであり あって立ちはだかっているから元気がなくなっても やがて元気を出せるし そのように元気を出したとしても 垂直壁にぶつかったとき 元気がない場合とさして違わない。こういうご回答でしょうか?    言葉では表現してみましたが どうも分かりづらいように思います。それでは  ☆☆ われわれ  ☆ としては どうなんでしょう? どういう見方が答えとして返って来ましょうか。

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  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.5

哲学のカテゴリーですので、、、 元気になる源は、、、 ・人と会い、前向きに色々な話をすること。世間話でも良いです。 人と会うことです。 ・欲を持つこと。 一般的に“欲”を持つというと、悪い意味で捉えられがちですが、仏教では『煩悩即菩提』といって、良い欲は目標(目的)を持たせ、人間の精神、行動を向上させます。そういった意味からも、何か良い刺激を持つことは良いと思います。 ※全ての側面において、最終的にコントロールするのは人間の内在する『意思』ですので、それを良い事に捉えて行動していくことが大切です。その意思の有り方によっては、良くもなり、悪くもなるのが人間です。 また、これを『色心不二』、『依正不二』と言います。この辺りは、質問者様は熟知されているとは思います。 ※※質問者様の行動により、質問者様だけではなく、周りの方々も元気になれるよう心掛けていただきたいと思います。 ※※※あぁ~、松坂牛、、、、。 ※※※※サミットの前に、伊勢志摩に行ってみるのも良いかも、、、 台風も過ぎ去ったし、、、、。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~   元気になる源は、、、  ・人と会い、前向きに色々な話をすること。世間話でも良いです。  人と会うことです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ まぁ そうですね。というより 積極的にそうでしょうね。  問題は ただちに容易に何も抵抗もなく《ひとに会う》ことが出来る人は少ない ということでしょうね。  その代わりには 本を読んで著者と対話をするという手段があるにはあります。  じっさいこの答えは 大きいでしょうね。  たとえば落ち込んだ時には 静かなひとっけのないところにではなく 人混みの中に行きなさいというのが よいと言われています。  少なくとも それ以上は落ち込むこともないでしょう。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~   ・欲を持つこと。  一般的に“欲”を持つというと、悪い意味で捉えられがちですが、仏教では『煩悩即菩提』といって、良い欲は目標(目的)を持たせ、人間の精神、行動を向上させます。そういった意味からも、何か良い刺激を持つことは良いと思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 実際問題としては むつかしいのではないでしょうか。  元気になれば 欲を持つことも出来るでしょうが その前に欲を持てというのも。  それでも 無理にでもそうするのがよいでしょうか。  おかしくなくても 笑えというようなことも言われますね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  ※全ての側面において、最終的にコントロールするのは人間の内在する『意思』ですので、それを良い事に捉えて行動していくことが大切です。その意思の有り方によっては、良くもなり、悪くもなるのが人間です。  また、これを『色心不二』、『依正不二』と言います。この辺りは、質問者様は熟知されているとは思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうなのですが そのとおりなのですが その意志を持てるようになるには? という先立つ段階があるかも分かりません。  そして それには わたしはむしろすでに出ましたように 好きなものを食べよ これが 取りあえず手っ取り早いいちばんのキッカケではないかと思います。  なぜ前向きの意志や気持ちになりにくいか。  たとえばつまり 《『色心不二』、『依正不二』》と知って何をするか どうするかについては その《知る》という思考や理性の領域にとどまる問題だという場合が多いからだと思います。  理性は 境地をしのぐことは その物知りの度合いにおいてはありますが 意志や心の問題としては なかなかむつかしい。と思われます。  ちょっと口幅ったいことですが 申し述べます。:   《『色心不二』、『依正不二』》や一念三千やの   コトワリとしての義を知る段階を超えて    そのような旗印としての義の無きを以って むしろ義とする。  のだと思っていますが どうでしょう。この自然としての 元気のみなもとを どう呼ぶか。それは それぞれが自由に選択してよい。と考えます。神の名にはこだわらない。いっさい自由である。《無い神》でもよいと。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~  ※※※あぁ~、松坂牛、、、、。  ※※※※サミットの前に、伊勢志摩に行ってみるのも良いかも、、、  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 食べたことはありますし その地へは何度か行っていますが――ほとんど同郷であり近いです―― その地で そう言えば ギュウを食べたことは あったのか なかったのか・・・。  

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noname#210416
noname#210416
回答No.4

まっ 一応 他にも回答が付いたみたいですね・・・ しかし 元気がないだとか 云々って 必要なのかな? この世に存在するって事は それだけで充分な役目を担ってるのです・・・ もっともっと  色んな事を学んで下さい・・ 最終的に 国が問題では無くなった時 初めて 人間の これからの未来が見えて来ます・・ インターネットは 全世界共通で閲覧 書き込み出来ます・・ 二次元は もう 既に 世界が繋がってるのです・・・ 三次元も オリンピックや 音楽 首脳会談等 あらゆる面から一つに繋がっていってる事が判れば 地球の未来は 見えて来ますよ・・・

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ しかし 元気がないだとか 云々って 必要なのかな?  ☆ 《必要ではない》という回答は 細かいことを言えば 筋がちがいます。  《なぜ元気がないか》と問うています。  ですから たとえばNo.2&3さんのように 《いや 元気ですよ》という内容が 回答のあり方です。  ★☆ もっともっと  色んな事を学んで下さい・・  いまは元気がとぼしいけれど あなたの言う学びをおこなえば《地球の未来が 見えて来》て 元気になるというのか。あるいは それでも元気が出なくても かまわないという見解なのか。  回答の仕方をもまなんでください。

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  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.3

★ 全国的に全ては『民主党政権』でしょう。  ☆ ん? そういう雰囲気だということですか? ・雰囲気ではなくて、実質的に民主党のデタラメ政策により、国政は無茶苦茶になってしまった。その余波を受け、多くの企業は体力を失い未だ立ち上がれてはいません。  ★ 個人的には、皆さん元気ですよ。  ☆ ん? だとしたら 《『民主党政権』のクウキ》で わたしはチンタラチンタラの停滞模様かと思ったのですが そうではなく 元気なのですか。 ・多くの国民、特にお年寄りは元気に動き回っていますよ。消費は少なくなったものの、あまりお金を使わずに人生を楽しんでいる方が多いように思います。 ※質問者様は、パソコンの前にいるのが多いのでしょうか?? 地域的に、美味しい食べ物が沢山あるように思いますが、、、。 たまにはプチトリップなどされているのでしょうか?? あぁ~、、、松坂牛が食べたい。 ※※やはり人間食ですな。食欲が無くなると、体力も無くなり、貧しくなるものです。精神的にもね。元気になるこつは、贅沢と思っていても美味いものを堪能することですよ。 あぁ~、、、松坂牛、、、 近江牛も良いか、、、。 暑さも過ぎ去ったので、お出かけしましょうよ。 『食欲の秋』だし、、、。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ・雰囲気ではなくて、実質的に民主党のデタラメ政策により・・・  ☆ そんなに いまだに後遺症がありますか。わたしがよく知らないだけなんですかね。  中小企業が まだまだで なかなか浮上しないようではありますが。  とは言うものの:  ★ ・多くの国民、特にお年寄りは元気に動き回っていますよ。消費は少なくなったものの、あまりお金を使わずに人生を楽しんでいる方が多いように思います。  ☆ そういう意味でしたか。底力と言いますか 元気のみなもとは 失われていないのですね。  ★ たまにはプチトリップなどされているのでしょうか??  ☆ なるほど。ここ数年は うちの周囲での自転車の散歩と同じく自転車のプチトリップで済ませています。  ★ あぁ~、、、松坂牛、、、 / 近江牛も良いか、、、。  ☆ たしかにわたしも肉好きです。黒毛和牛の弁当があって それもうまいです。  あとは 夏にはウナギをよく食べました。和食のレストランで。  ★ 暑さも過ぎ去ったので、お出かけしましょうよ。 / 『食欲の秋』だし、、、。  ☆ 旅行はすきですね。知らないところを歩くだけとして。田んぼの風景がいちばんです。近くにもあるにはあります。  まぁ このようにして世の中 まわって行きますか。ご投稿をありがとう。

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  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.2

>われわれはなんで元気がないのか? >どこで間違えたのか? 全国的に全ては『民主党政権』でしょう。 個人的には、皆さん元気ですよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 全国的に全ては『民主党政権』でしょう。  ☆ ん? そういう雰囲気だということですか?  ★ 個人的には、皆さん元気ですよ。  ☆ ん? だとしたら 《『民主党政権』のクウキ》で わたしはチンタラチンタラの停滞模様かと思ったのですが そうではなく 元気なのですか。  そういう見方もありましょうか。

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noname#210416
noname#210416
回答No.1

どこを間違えているのか?」←何処って あなたが考えてる事が・・・としか言えない・・ もっと 自身を見直せば? あなたが書いた この文章で 誰が感動し 動くと思う? 誰も動かない・・

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 誰も動かない・・  ★☆ って あなたが考えてる事が・・・としか言えない・・  ☆☆ 垂直壁  ☆ は ないですか? みんな元気でしょうか?

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     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明をともなったフィギュアの心の解明です。お聞きください。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。

  • 村上隆のフィギュアは 天皇へのオマージュか?

     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明を添えた・フィギュアの心の解明です。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。    *  天皇が存在することによって ほかの人びとはすべて平等であって そのぶん社会の風通しがよいから 皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても(*1) 存続している。それゆえ オマージュをささげている。というのか?  それとも このようなそれぞれの立ち場でのそれぞれの自己満足は起きていると思われるが これではやはり風通しはわるいのだ いつまで経ってもよくならないのではないかというパロディなのか?    *1 《皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても》:これ    は ほかのすべての人びとが平等であると言っても ひとり(ひと    つの家系)は 特別な存在とされている。したがって その設定が    特別視の根拠や理由などについて 社会的な虚構を構成すると    いうような意味において 民族にとっての自己満足でたといあった    としても の意です。 

  • アマテラスお二階さんは 一階に大政奉還すべし。

     アマテラスお二階さんは 一階のスサノヲ市民社会に大政奉還すべし。  いわゆる地域主権について問うものです。  ムラ=市町村 の主体性を発揮する時代へと移行しましょうか?  なぜ大政(ムラムラのマツリをつうじての共同自治)をいまの二階にあるマツリゴトから元の一階スサノヲらのくにに奉還すべきか?  それは もともと平屋建ての市民社会が どうして二階建てになったか? を見てみると分かるはずだ。  すっ飛びの仮説によって考えてみます。       *  1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人 この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき――スサノヲらはとうとう根競べに負けて―― 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス‐スサノヲ》連関制の完成である。くにのいえと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前がある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. 大政奉還のもんだいは 《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制としてのマのあり方を問う。  6-1. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガイをめぐる正し方 こういった問題である。  6-2. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガイがつねに起こり得るのではないか?  6-3. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガイが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは 《 S (大政主権)- A (従属)》の連関だったものが A圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-4. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろ理念に合わせたものなのではないか?  6-5. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-6. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。  6-7. つまりそれが アマテラス科学語およびアマテラス人格語であるが これは アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。つまりその神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-8. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところの二枚舌現象である。  6-9. ゆえにアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。  6-10. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとする反措定に対する反措定であるから 綜合であり人間のふつうの存在(知性)の肯定であると考えてよいのではないか?   6-11. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマチガイからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また 経済的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。(かな?)

  • 国家のアウフヘーベンを!――いまでしょ。 

     1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人≫ この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよ その《いと高き者》に似て来たとき――きわめて人間的な人間になったとき――周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったときスサノヲらはとうとう根競べに負けて 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがムラムラでおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス公民‐スサノヲ市民》連関制の完成である。くにのいへと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前とがある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. さて 大政奉還――国家のアウフヘーベン――のもんだい。  6-1. 大政奉還の問題は    《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制  としてのマのあり方を問う。  6-2. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガヒをめぐるその正し方 こういった問題である。  6-3. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガヒがつねに起こり得るのではないか?  6-4. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガヒが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは    《 S (大政主権)- A (従属)》の連関  だったものが A圏主導の《 A主導 - S 従属》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-5. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろただ理念に合わせただけのものではないか?  6-6. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-7. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。お二階へのアマアガリをおこなった。  6-8. つまりそれが アマテラス普遍語(つまり科学語および人格語)であるが これは実際には アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。クウキである。つまりそのクウキとしての神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-9. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところのダブル・スタンダード現象である。  6-10. ゆえに普遍語をよそおうところのアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。アマテラス科学語は資料等において部分的にしか表に出さない。アマテラス人格語は ウラとオモテとを使い分ける。  6-11. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとするアマテラス神話なる反措定に対するための反措定であるから 肯定的な綜合であり 人間のふつうの存在(知性)の復権(ルネサンス)であると考えてよいのではないか?   6-12. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)主導‐ S (スサノヲ)従属》連関制としてのマチガヒからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。ウラで何をやっているか分からないばかりである。そして 経済・財政的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公民の無謬性なる神話がくづれた。D.トランプ現象?  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。――かな?

  • スサノヲの話を聞く気に、君はなるか?

    哲学カテをご利用の方はご存じの通り、「スサノヲ」とは、他の方の作ったタームです。別にスサノヲと言わないでも、別のタームを使ってもいいのですし、それは類似する問題として項目4で示します。しかし、一つの現代的な問題を浮かび上がらせる手掛かりにはなるだろうと考え、敢えて、それを一つの理論とみなし、私の関心から自由に検討してみます。これは理論的にその意義を検討することを目的としており、個人の誹謗中傷とはなっていないはずです。なお、議論の背景を説明するために紙幅を多く使っていますが、質問は項目5で示しました。 1. スサノヲの定義 「スサノヲ」には神話的な意味があるそうですが、ここでは命名の由来を割愛し、むしろ、その機能に特化して、定義しておきます。なぜ由来を無視するかと言えば、ここでは「相手が話す気になるか、ならないか」というコミュニケーション問題に特化するからであって、スサノヲとアマテラスの神話の話を交える必要がないからです。 およそスサノヲとは、次のような存在であると、定義しておくことにします。 ・専門的な知識がない人間である。 ・しかし、モノを考えることは続けている。 ・専門家でもないのに、専門家を批判(罵倒?)する発言を行う。 普通、知識がない者は、専門家に対して敬意を払い、「自分はわからないから黙っている」という態度をとるものです。しかし、スサノヲは違います。「俺も俺なりに考えている。それを聞いてもらおうじゃないか」という発想で、知らないことについても口を挟みます。その結果、正確な批判になっていることもあれば、ただの罵倒になっていることもあります。 2.スサノヲ批判 上記のスサノヲの態度は、「知識がない者は黙っている」という真理を追究する者らが普通に持っているコンセンサスを破っています。またKY「空気読めない」とほとんど同じです。 かつ、会話は、無益なものになることが多いのです。というのも、スサノヲには、「専門知識がない」存在であるのです。そこで堂々と語れば語るほど、一種の知ったかぶりになります。しかも、専門家ではないのですから、大体の場合、話が整理されていません。質問をされると、それに端的に答えることはできません。「これを説明すれば、自分の言いたいことを推測してもらえるのではないか?」という目測のものとで、関係ない神話の話をするとか、日本のために話しをしているのだ、と主張します。しかし、精密な議論とはこういうものではありません。そこで、多くの人は、呆れ果てて去って行きます。 3.スサノヲ的階級闘争 しかし、これは、スサノヲが傲慢で、知ったかぶりで、見栄っ張りだというだけのことなのでしょうか。もう少し、問題を掘り下げてみましょう。 現代では、様々なことが、専門性に特化しています。だから、ちょっとやそっと勉強した程度では「専門家」と認められません。そして、専門家ではない者は、発言できないという風潮が高まっています。原子力には原子力の専門家がおり、政治には政治の専門家がいる。専門のことは、専門家に任せなければならないという分業制が、現代では進んでいます。 だが、そうであるとするのなら、一般的な市民は、発言権がないのか。いえ、法的には発言権があるはずです。そして「専門家に任せておけばいい」という安易なことでもありません。たとえば、原子力はどうなりましたか? 年金はどうなりましたか? 社会保障制度はどうなりましたか? 任せておいた結果、おかしくなったきりです。こうした時、専門家でない者が、自分の生活を考えて声を上げようとすれば、誰であれ、スサノヲ的な愚かさを行う可能性があるのです。 するとスサノヲとは、実は高度に専門家による分業が確立した現代社会において、一市民が発言を行う際の一つの例ではあるのです。スサノヲの「暴言」とは、個人の気質や見栄の問題ではありません。知識がある者と知識がない者、あるいは、管理する者と管理される者の間にある、階級闘争として考える必要があるのです。 4.サバルタンとの類似 しかし、スサノヲ的階級闘争とは何なのか。他と比べることで、論点をさらに絞り込んで見ましょう。最初にスサノヲというタームを使わないでよいと言いましたが、普通、現代思想でこの問題を論じるときは、「マイノリティ」であるとか、「サバルタン」というタームを使います。特にガヤトリ・スピヴァクの用語「サバルタン」は、有識者ではないという意味で、スサノヲと共通点が見出せます。Subalternとは【「他者」alternの「下位」subに従属する者】という意味で、もともとは、グラムシのタームでした。しかしスピヴァクの場合、この他者に従属する者を、インドのカーストにあてはめます。カーストの下位にいる者は、 ・文字も読めないし、知識もない。 ・そのための教育も受けていない。 ・万が一、何か話しても、卑しいと思われ、上部の者に話も聞いてもらえない。 という立場に甘んじています。こうした搾取され、搾取について訴えかける力もない者を、サバルタンとスピヴァクは呼んだのです。 しかし、厳密にいえば、スサノヲとサバルタンは違います。そのことによって、問題設定も、かなり変わるのです。スサノヲは無知蒙昧と言ったところで、文盲ではないし、大学まで出ていても、スサノヲになることはあり得ます。専門家ではないというだけのことで、サバルタンと無知のレヴェルが異なります。しかしサバルタンとは、徹底的な無知蒙昧で、自分の欲求を口にする以外、言葉を持たないのです。極端にいえば「腹が減った」「眠たい」以外に、言えないのです。たとえば「なぜ腹が減るのか。収入が少ないからだ。収入が少ないのはなぜか。搾取されているからだ。搾取されているのはなぜか。階級差があるからだ。では、この格差の不当性を訴えかけなければならない」という論じ方はできません。この点、スサノヲの方は、サバルタンと異なります。 5.【質問】スサノヲの話を聞く気になるか? スピヴァクの場合、「サバルタンが語ることができるか?」ということが、問題でしたし、彼女の主著の表題にもなっています。彼女にとっては、サバルタンが、ある程度まで、知的階級に向かって、認知されるような形で話しかけられるか否か、が問題でした。これはサバルタンの場合、実質的に、言いたいことを表明する力が根本的に欠けているからです。そしてスピヴァクは、それが不可能だと考え、主著の末尾で絶望的な結論を下します。「サバルタンは語ることができない」と。 しかし、スサノヲの場合は、ある程度までは話せるのです。すると問題は、聞く側です。つまりスサノヲが論理的に、精密に話すか否かが問題ではなく、意味不明なことが一部あっても、話を聞くことができるか、否かが問題なのです。無論、スサノヲの「話を聞く側」には二通りあると言ってよいのです。つまり、専門家としての聞き手。一つは専門家ではない聞き手。このウェブ上で問いたいのは、後者の場合についてです。つまり、問いを説明するのなら、次のようなものになります。 専門家ではないが、コンセンサスに従って沈黙している者は、スサノヲが発言し出すと、「コイツはバカな奴だ」と冷笑し、スサノヲの話を聞かないということがおきうるでしょう。だが、この冷笑をやめて、ある程度、話相手として認めることはできるのか?――これが、この質問の問いです。 6.回答の仕方について この質問欄は「聞くことができるか、できないか」という二択の問いなので、立場を明確に示した上で、その理由を論述するという形の回答を求めます。 また理論的な問題として扱ってもらいたいと思うので、とある特定の人物と話したいかどうか?という人気投票的な意見は求めていません。むしろ、いずれの答えにせよ、階級差や社会的格差の是正の問題について、どのように考えるかをメインに論じてください。スサノヲ的な提言は、格差是正の仕方として何ら意味がないと考えているから聞かないとか、意味があると思うから少々難点があっても聞く――というような話です。 また「スサノヲ的」問題と幅広く解釈して、関連性があると思われる身の回りの他の事例をあげて、話を膨らませてくださった回答も歓迎します。質問者自身は、特にどちらと答えを出そうと無頓着であって、特にバイアスをかけることはしません。 7.B氏へ 投稿してくれて構いませんが、次の一点に気をつけてください。「スサノヲの話を聞く必要がある、俺の話を聞け!!!」という話し方をしたのなら、「ああ、単にこの人は傲慢で見栄っ張りなんだ」という印象を与えかねないということです。スサノヲ当人の自己弁明をしても、メリットはないかと思います。むしろ「聞く気になるか?」という問いを設定したのですから、「話し手」ではなく、あくまで、「聞き手」の側で考えてほしいと思います。 このウェブ上には、他にもスサノヲ的にも整理されない発言をしている人がいることでしょう。Pさんだとか、アルケーだとか、ナントカ百年という方々です。皆、五十歩百歩だという印象を受けました。あなたは、彼らがスサノヲではないというかもしれない。しかし、いくらアマテラス的と言っても、本物のアマテラスならば、ウェブで油を売っていることはないでしょうから、結局、社会で認められていないという点では、理由は違えど、似たり寄ったりといえるのではないでしょうか。私自身もそこに含めなければ、フェアではないかもしれません。こうした相手の言い分を聞く気になるか否か、という相互の問題として考えてくださった方が、建設的に問いが広がると思います。

  • 観念の運河を 《空気》なるゴンドラはきょうもゆく

     玄関を一歩出ると そこは 運河である。  人びとの いや われわれの頭の中に深く穿たれた観念の水路網。  まづは ゴンドラを誂えなければならない。  船をうまくあやつれないと 通行はむつかしい。見えざる交通法規。  ゴンドラは 何を載せているか? いや ゴンドラが 何で出来ているか?  クウキですって? いやでも吸わざるを得ない空気のことですか?  ええっ?  クウキで出来たそれぞれの船。  ところが その船の材料であるクウキは 一人ひとりがあつらえるのではなく すでに千年二千年も昔から仕立て上げられて来たお古である。  お古のお仕着せ これが われらが運河の通行手形であり うるわしきゴンドラである。     *  では このクウキは 何で出来ているか?  思うに マクロとして アマテラス公民の無謬性〔なる神話としてのクウキ〕であり ミクロとして 上司のガミガミ電波であり いづれからも ややもすると 《意識の排泄》が交じって出ている。  《主権者たるスサノヲ市民 ‐ 公僕たるアマテラス公民》という二階建てから成る社会が 国家という社会形態の構造として 逆立ちしてしまった。一階よりお二階さんのほうがえらい。それが アマテラス公民の無謬性なる神話であり そういうクウキとしてゴンドラをかたちづくっている。  官僚や政治家は 間違いを侵さないというお仕着せの船であり 実際にかれらが犯した間違いを知っていても これを口に出してはいけないというのが 通行手形の中身である。〔ここのところ この神話は 崩れて来ただろうか?〕  この逆立ちした《アマテラス‐スサノヲ》連関制のもと その上下関係に似せて形作られているのが 《上司‐部下》の関係である。  しばしば送られてくるガミガミ電波は やみくもに発する意識の排泄をともないながら その観念の運河としては・そこを通行せずばなるまいという部下のあたまの中には けっきょくみづからがアース役となって この電波を受け止めざるを得ないことになる。  スルーすることも出来なくないが そうすると このミクロの・ミニ《観念の運河》は いつまで経っても 同じ絵柄しか写しださない。  まじめな人は アース役となって受けとめ 少しでも運河の水をきれいにしようと努める。  あるいは問題は ガミガミ役にかんしてその自分ひとりの昇進のためや地位の保守のためではなく その電波を会社のためという心つもりで発信するときである。  会社がつぶれたら 元も子もないというところから――いかに人間であることを守り人格をとうとぶ人であっても―― その電波の命ずる仕事を引き受けなければならないと考える。そういうゴンドラの歌もある。  一般に 資本主義の問題である。  かくて 観念の運河を クウキなるゴンドラは今日もゆく。    *  現代の哲学を つのります。  

  • 観念の運河を《クウキ》なるゴンドラはきょうもゆく

     《クウキ》論のこれでもかこれでもかです。  というよりは 先にこの質問を問うてそのあと《 KY 》の主題を問うべきでした。    この問題が広くみなさんの視野に入ることを欲して再度問います。    *  玄関を一歩出ると そこは 運河である。  人びとの いや われわれの頭の中に深く穿たれた観念の水路網。  まづは ゴンドラを誂えなければならない。  船をうまくあやつれないと 通行はむつかしい。見えざる交通法規。  ゴンドラは 何を載せているか? いや ゴンドラが 何で出来ているか?  クウキですって? いやでも吸わざるを得ない空気のことですか?  ええっ?  クウキで出来たそれぞれの船。  ところが その船の材料であるクウキは 一人ひとりがあつらえるのではなく すでに千年二千年も昔から仕立て上げられて来たお古である。  お古のお仕着せ これが われらが運河の通行手形であり うるわしきゴンドラである。     *  では このクウキは 何で出来ているか?  思うに マクロとして アマテラス公民の無謬性〔なる神話としてのクウキ〕であり ミクロとして 上司のガミガミ電波であり いづれからも ややもすると 《意識の排泄》が交じって出ている。  《主権者たるスサノヲ市民 ‐ 公僕たるアマテラス公民》という二階建てから成る社会が 国家という社会形態の構造として 逆立ちしてしまった。一階よりお二階さんのほうがえらい。それが アマテラス公民の無謬性なる神話であり そういうクウキとしてゴンドラをかたちづくっている。  官僚や政治家は 間違いを侵さないというお仕着せの船であり 実際にかれらが犯した間違いを知っていても これを口に出してはいけないというのが 通行手形の中身である。〔ここのところ この神話は 崩れて来ただろうか?〕  この逆立ちした《アマテラス‐スサノヲ》連関制のもと その上下関係に似せて形作られているのが 《上司‐部下》の関係である。  しばしば送られてくるガミガミ電波は やみくもに発する意識の排泄をともないながら その観念の運河としては・そこを通行せずばなるまいという部下のあたまの中には けっきょくみづからがアース役となって この電波を受け止めざるを得ないことになる。  スルーすることも出来なくないが そうすると このミクロの・ミニ《観念の運河》は いつまで経っても 同じ絵柄しか写しださない。  まじめな人は アース役となって受けとめ 少しでも運河の水をきれいにしようと努める。  あるいは問題は ガミガミ役にかんしてその自分ひとりの昇進のためや地位の保守のためではなく その電波を会社のためという心つもりで発信するときである。  会社がつぶれたら 元も子もないというところから――いかに人間であることを守り人格をとうとぶ人であっても―― その電波の命ずる仕事を引き受けなければならないと考える。そういうゴンドラの歌もある。  一般に 資本主義の問題である。  かくて 観念の運河を クウキなるゴンドラは今日もゆく。    *  現代の哲学を つのります。