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産業革命の発端である、木綿について
お世話になります。 産業革命についてふと興味が湧き調べたのですが、こちらのページによると、 そもそもの発端は「インド綿花による木綿衣料の需要が高まったため」とのことです。 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-88.html そこで質問なのですが、それほど綿織物は着心地が良かったのでしょうか? 毛織物=ウールという印象があるため、そんなに違うのだろうか、と思いました。 上のページの解説によると、1.木綿の爆発的な需要 2.毛織物業者の反発 3.政府が輸入禁止 4.英自国内での製造の開始 5.紡績機の発明 という流れで、産業革命は急速に進行したようです。 民衆がそこまで木綿の衣服を求めたのは、何か理由があるのでしょうか? 同じくインド製品のお茶も17世紀に既に非常に人気があったようですが、 これは産業革命を起こすほどのものではなかったようですが・・・ ご存知の通り、この産業革命のプロセスの中で蒸気機関の発明があり、 その後の電気の発明につながり、今の人類の繁栄があります。その発端である 「木綿」がそこまでインパクトのあったものなのかが知りたくなりました。 産業革命の前と後で違うのは、人類の生活水準に対する認識です。 封建的な社会では、何百年も前から決められた世襲制の社会的地位があり、 それをひっくり返すことは不可能でした。しかし産業革命によって 資本主義が生まれ、経済的成功によって生活向上(地位)の向上が可能になりました。 人類の歴史にとって最大級のインパクトがあった事件ですが、 その端緒である「より着心地の良い服を着たい」という欲求は、 そのような歴史的大変革をもたらすほど、強いものだったのでしょうか? 個人的には、肉を保存できて味が良くなる「コショウが発端で産業革命が起きた」 の方が、まだしっくり来るような気がしております。イギリス人は、それまで 何百年も着てきたウールの毛織物に、それほど不満だったのでしょうか? 衣食住で言えば、なんとなく食が最初に来るのでは・・・という考えです。 また、歴史にifはありませんが、もし仮にイギリス人の木綿への欲求が それほどでもないとしたら、ジョン・ケイの飛び梭も発明されず、 産業革命が数百年遅れた可能性もあったでしょうか? 上記、個人的お考えで構いませんので、お気軽にご意見頂けましたら幸いです。
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- ithi
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OKWaver2013 さん、こんばんは。 そうですね。着心地はともかく、冬暖かいためではないでしょうか?毛織物はとても肌触りが悪いそうです。チクチクするようですね。 そして、需要の問題は毛織物は16世紀までフランスやフランドル(宗主はスペイン)から輸入していました。しかし、イギリスで宗教改革が起こると、カトリックとプロテスタントの対立の構造の問題で、輸入が途絶えたらしいです。つまり毛織物の代用としてインドの綿が使われたらしいです。 詳細は下記のURLを参照ください。 ウール https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%AB 産業革命 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD 宗教改革 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%94%B9%E9%9D%A9 木綿 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B6%BF
- hekiyu
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"それほど綿織物は着心地が良かったのでしょうか?" ↑ 毛織物しか知らなかった英国人にとっては 良かったのでしょうね。 その他にも、洗濯が簡単であったこと、染色や 刺繍も楽に出来たことが指摘されています。 ”「より着心地の良い服を着たい」という欲求は、 そのような歴史的大変革をもたらすほど、強いものだったのでしょうか?” ↑ あくまでもきっかけです。 その他にも、 (1) 技術革新を行うことができる技術力 (2) 工場で働く労働者 (3) 製品および動力の原料 (4) 自由な生産活動を保証する制度 (5) 工場や機械などに投資する資本 (6) 商品を購入する消費者 などの諸条件が上手く重なり、産業革命に到った のだと思います。 要するに。 既に条件が整っていて、いつでも産業革命が 興る準備が出来ていた。 そこへ、木綿が針の一刺し、ということだと思います。 免罪符事件にしてもそうです。 教会に対する反感が募っているところに免罪符 事件がおき、あっという間にプロテスタントが 勃興し、30年戦争に到ったわけです。 たった四隻の軍艦が来日して、300年近く続いた 江戸幕府が瓦解しました。