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いま・ここにおけるわれの《復活》について

 おしえを乞います。  次の聖書の文章における《終わりの日》を わたしは 現在時に わけもなく 持って来て解釈しています。ご見解をおしえてください。  ▲ (ヨハネ福音6:34-40)~~~~~~~~  そこで かれらが 《主よ そのパンをいつもわたしたちにください》と言うと イエスは答えた。   ――わたしがその生命のパンである。わたしのもとに来る人は     決して飢えることがなく わたしを信じる人は もはや決して渇    くことがない。     しかし 前にも言ったように あなたたちはわたしを見ている    のに 信じない。父がわたしにお与えになる人はみな わたし    のところに来る。わたしのもとに来る人を わたしは決して追い    出さない。     わたしが天から降って来たのは 自分の意志ではなく わた    しをお遣わしになった方の意志を行なうためである。     わたしをお遣わしになった方の意志とは わたしにお与えに    なった人を一人も失わないで 《終わりの日》に復活させること    である。     わたしの父の意志は 子を見て信じる人がみな永遠の生命    を受け わたしがその人を《終わりの日》に復活させることだか    らである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち わたしは この《最後の審判》とも言われる《終わりの日》について 死後ないし未来ないし終末にかんする議論として捉えることをしなくなっています。そうではなく いま現在の問題として 捉えるようになっています。  きわめて横着に 《終わりから歴史を始める》ことをしています。根拠はありません。信仰という無根拠です。  しかるべく 正してください。

みんなの回答

noname#207987
noname#207987
回答No.1

終わりの日の意味は「復帰歴史の終わり」を意味してるのだが それを信じる事が出来ないなら まっ 好きな様に解釈して下さい

bragelonne
質問者

お礼

 分かりました。そうします。  ご回答をありがとうございます。

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