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和暦から西暦に書き換えるとき 月日は書き換えない
「日本の年号・和暦から 西暦に書き換えるときは、年だけ西暦に書き換えます 月日は 西暦に書き換えをしません」という内容の出典・書籍名・掲載サイトのアドレスが思い出せません教えてください。 また月日を書き換えないことは、歴史学の分野では常識ですか、それとも一部のかたの学説ですか。 ご回答をよろしくお願いいたします。
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正確にというか、本来は月日も変換するべきですね。 しかし、太陽と月の運動は人間の都合どおりにはなりません。 和暦は、立春が元旦となるのがベストの暦なのですが、閏月の挿入による調整を行なっても、立春の前後18日程のずれが生じます。勿論、誤差無しの年もありました。閏月挿入の直前では1カ月以上ずれることになります。 現在では、一般のコンピューターなどでも自動変換されると思いますが、20年ほど前までは専門書(年月日の一覧表の本)などで変換していました。私は自分で変換プログラムをベーシックで作成して使用していまたが。 結構、煩わしいものです。そのくせ、読む方は月日(季節)の意味の重要性が理解できていません。 よって、年だけの変換で良いものは年だけを、季節などの意味合いを伝えたい場合は月日も変換するということです。 これについては、特に決まりはないと思いますが。つまりは、手間と重要性の問題だと思います。 因みに、明暦の大火は明暦3年1月18日ですが、年の変換で事足りる場合は、明暦3年(1657年)1月18日、季節の情報を必要とする場合は、明暦3年1月18日(1657年3月2日)と変換します。 一般の人には1657年の火災で良い訳で、災害史の研究などでは1月の火災か3月の火災かが問題になると思います。
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- eroero4649
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西暦(太陽暦)と和暦(太陰暦)の扱いは難しいですね。他の方も記載するように、日本では明治時代に太陽暦が導入されて、今の私たちは太陽暦で生きていますから、月日のイメージは太陽暦の感覚でいます。 しかし、江戸時代以前は太陰暦なわけですから、その記録を元に考えると季節が「狂う」ことになります。 その典型がお正月でしょう。お正月を我々は「迎春」と表記しますが、冬至直後の太陽暦の1月1日ではどうも「春」って気分にはなりません。本来の太陰暦のお正月は2月上旬、つまり「旧正月」というやつです。太陽暦の正月を祝うのはアジアでは日本くらいで、中国でも韓国でもベトナムでも他のアジア諸国では概ね旧正月を祝います。2月上旬だと寒さのピークも過ぎようという頃で、伊豆などの暖かい地方からはぼちぼち河津桜の便りなども聞こえてきますから「春が来つつある」という気分にもなります。 もうひとつ有名なのが、ベートーヴェンの第九、クリスマスと共に日本の年末の風物詩である「忠臣蔵(赤穂浪士討ち入り)」です。 忠臣蔵といえば、雪がしんしんと降る中での陣太鼓、というのがお約束ですが、暖冬だったりすると12月はちっとも寒くありません。だけど、「忠臣蔵っつったら12月14日だろ?」なわけです。 しかし、元禄15年12月14日を太陽暦に換算すると、1703年1月30日です。1月30日なら、東京だって雪が降ってもおかしくない時期です。 また、戦国時代の桶狭間の合戦も、「織田軍が進撃するときに急に大雨が降った」というのが有名です。「5月19日にゲリラ豪雨」ときくとイマイチぴんとこないのですが、これも太陽暦に換算すると6月12日。梅雨の時期でもあり、急な雨がきてもまったく違和感がないですよね。 こういうことを考えないで太陰暦の月日だけを太陽暦感覚で持ってくると「間違い」が起きるのです。ただまあ、今さら忠臣蔵を1月にやられても逆に違和感を感じてしまいますけどね。個人的な意見ですが、やっぱり正月は旧正月に祝うのがスジじゃないかなと思います。
- notnot
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歴史学の専門書は分かりませんが、月日まで変換してしまうと、年初・年末とか、閏月、月初(新月)などの情報が失われてしまうので、一般人向けの書籍では、あくまで和暦だけで年月日を表示して、括弧内などに西暦で言うとおおよそこの年という補足をするのが一般的だと思います。 つまり、「そもそも西暦に書き換えない」。
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ご回答ありがとうございます。 ネット検索で入手した資料に西暦を書き込んでいましたが これからは安易に『西暦に書き換えない』ようにいたします。 自身に・周囲の人にも間違いのもとだったと教えていただきました。 これからは慎重に西暦を追記いたします。 ご回答ありがとうございました。
- trytobe
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文献に残っている確実な年月日は、元号・年・月・日なのでそのまま文献通り記載するが、 当時の暦との換算には閏月などの取り扱いも必要なので、月日は太陽暦に換算したほうが不確定性が生まれるため、 元号での年表記に、「ちなみに西暦ならこの時代だよ」と参考の西暦年を併記して、「把握しやすく誤解しにくい」年月日の記述をします、 という宣言をしたかっただけかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ネット検索で入手した資料に、安易に西暦を書き込んでいましたが、次に見たさいや、人に見せたさいに『閏月などの取り扱いも必要』なのにそれに気づかずに、歴史上のことを今の月で考えていました。 これからは慎重に西暦を追記いたします。 ご回答ありがとうございました。
>また月日を書き換えないことは、歴史学の分野では常識ですか、それとも一部のかたの学説ですか。 この様な常識も学説もしりません。 下記のように学校でも月日まで換算しないさいと指導しています。 和暦西暦対応表 - 熊本国府高等学校 www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/wa_seireki.html 抜粋 明治5年12月2日までは旧暦(太陰太陽暦)、西暦の1年とは月日のずれがあり、単純に年号を西暦に置き換えることはできません。和暦の月日と西暦の月日も異なります。年号を西暦に置き換えるだけで、月日はそのまま使ってしまいそうですね 下記のような詳細な換算サイトやソフトも沢山あります。 和暦から西暦変換(年月日) - 高精度計算サイト keisan.casio.jp/exec/system/1239884730 旧暦には閏月というのがありますので(同じ月が二回続きます)歴史的に時間の経緯を追う場合には正確に換算しないと、史実の事実誤認が起きてしまいます。 「という内容の出典・書籍名・掲載サイトのアドレスが思い出せません」とありますが何か記憶違いではありませんでしょうか。 何かの文献や時代小説などで、この文献あるいは時代小説では書き変えていないとあえて断り書きとして書かれていたものではないのでしょうか。 時代小説やエッセイなどの場合にはいちいち面倒なので省いていることはよくあります。 習慣的にあえて換算しないこともあります。 有名なのが赤穂浪士の討ち入り日です。 西暦の12月14日に義士祭などが開催されますが、これホントなどということは誰も言いません。 節分などの行事も歴史的に使われていた太陰太陽暦(二十四節季)から正確に換算している訳ではありません。 これを言いだすと年賀状で迎春、初春、などという言葉を使うのはおかしくないか、などということになってしまいます。 七草粥などは、いちいち換算してやっていたらおそろしく間の抜けたことになってしまいます。 一方で土用の鰻、新茶の売り出し文句の八十八夜などはある程度換算しているようです。 お盆の行事が地方によって旧暦でやる、新暦でやるという違いがあるのも、換算しなくてはならないとか換算しなくていいとかいう決まりがないことが原因とも言えます。
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早速のご回答ありがとうございます。 沢山の事例や問題点を教えていただき参考になります、 また熊本国府高等学校 のことは、若い人には西暦を添えた説明が求められているかと思いました。 ご回答ありがとうございました。
- maiko0318
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日本では明治5年12月3日に明治の改暦があり、この日を明治6年(1872)1月1日とした「太陽暦」(グレゴリオ暦)に切り替えられました。現在、わたしたちが使っている暦が、この日から使われ始めたということになります。 http://www.geocities.jp/mishimagoyomi/shinrekikyureki/shinrekikyuureki.htm よって1871年以前ならば日付は変わってしまいますね。 変えるのが一般か、変えないのが一般かはわかりませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 1871年以前の歴史の日付を、西暦に書き換えたさいの問題を教えていただき、 あわせてサイトの紹介も頂きました。 ありがとうございました。
- shintaro-2
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>また月日を書き換えないことは、歴史学の分野では常識ですか、それとも一部のかたの学説ですか。 歴史学に限らず、一般常識だと思うのですが? 平成2年4月3日は1990年4月3日であって 1990年4月2日でも1990年4月4日でもありません どのような文脈での月日を書き換えないという意味でしょう? 旧暦を新暦にしないという意味でしょうか?
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 中世の歴史を元号でいうと判りにくいので、 西暦を書添えていましたが、 これからは安易に西暦を書添えないようにいたします。 自身・周囲の人の混乱の始まりだったと気づきました。 ありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 中世の歴史を元号だけだとなじみ難いので 西暦を書添えていましたが、 これからは安易に西暦を書添えないようにしないと、 自身・周囲の人の混乱の始まりだったと気づきました。 災害などの場合に限って自身の資料や・理解のために西暦を書添えるようにします。 ご回答ありがとうございました。