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《宇宙=わたし》ってどういう意味ですか?

 《宇宙=わたし》ってどういう意味ですか?  どこからみちびいて来ますか?  根拠をもおしえてください。

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回答No.5

#2です。  ★ なので、その=は相互関係を表すと解釈するしかないように思う。  ☆ 理由説明の引用を省略しましたが まづ そうなのでしょうね。 つまり、自分の関わらない光速の外に本来存在するはずの宇宙の部分や生前の宇宙は基本的に関係の外に置かれるのでこの議論での「宇宙」は部分的な宇宙と認識して、その外のあるものは「気にしない」と宣言したことになる。 そして、「わたし」の人数だけ別々の「宇宙」が存在することになるが、その関係性も議論の対象となると思う。 >いわゆるマクロコスモスとミクロコスモスの相似性でしょうか。そういう問題なら まづイメージが浮かぶし それなりの考えも持っているのですが  そのようなものですが、関係性を示す「演算」によって、「わたし」と「宇宙」を数式のように関連付けることが出来なければ、哲学として無意味です。 >《逆変換》とか よく分かりませんし 要するに相互の関係についてそれとしての議論ができるし おこなうときに使う。・・・でしょうか。 「わたし」から「宇宙」を「演算」によって関連付けることと、「宇宙」から「わたし」を「逆演算」によって関連付けること。「わたし」が別人のときのこと。それらの一般的な法則性(どのような対称性を持つか?)を哲学するためのものと考えればよいのではないでしょうか? 導くというより、議論を発展させるための道具として意味があると思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 関係性を示す「演算」によって、「わたし」と「宇宙」を数式のように関連付ける  ☆ というところまですすむわけですね。    ★ 「わたし」から「宇宙」を「演算」によって関連付けることと、「宇宙」から「わたし」を「逆演算」によって関連付けること。「わたし」が別人のときのこと。それらの一般的な法則性(どのような対称性を持つか?)  ☆ までを数学の言葉であらわすのでしょうか。  ★ それらの一般的な法則性(どのような対称性を持つか?)を哲学するためのものと考えればよいのではないでしょうか?  ☆ それが 等号で示されているけれど 《宇宙=わたし》という表示が意味することであると。  《「わたし」が別人のときのこと。》をもふくむということは 一人ひとりの《わたし》にとってその数式で表わした世界があり それにもとづき《哲学をもおこなう》ということでしょうか。  ということは 物理学の成果をもって哲学に応用するといった思惟のいとなみなのでしょうか。  それを《宇宙=わたし》として表わした。・・・ということなのですかねぇ。  たぶん その表示が意味すること自体は 違っているものと思われます。  でも 科学において意味するところのことをおしえてもらいました。その表示が 意味しうる内容を考え出すなら こうであろうと。それは そうなのでしょうね。おそらく。  中途半端な応答になるかも分かりませんが そんなところでしょうか。  

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.9

「お礼コメント」をありがとうございました。 >裏を返せば 《宇宙=わたし》という表現で示し得る哲学的な内容は ちょっと見当たらない。ということになるようでもありますね。 >哲学向上のあゆみに一枚噛んでくださいな。 ⇒「哲学向上のあゆみに一枚噛む」ことになるかどうか分かりませんが、もう1つ哲学者の言を思い出しました。 「わたしは、わたしとわたしの環境である」(オルテガ)。これつまり、「私の半分は祖先から受け継いだものであるけれども、残りの半分は環境によって作られた」ということのようです。 そして、オルテガは、環境と宇宙とを同義語として扱っています。ということから、ちょっと無理があるかも知れませんが、このオルテガの命題は、「わたし≒宇宙」ぐらいには表わせるかも知れない(…ということがふと頭をよぎりました)。 しかし、ヤッパ飛躍のしすぎですかね。短絡ですかね。またしても、甚だ心もとないことを書いてしまったようで、どうも失礼しました。

bragelonne
質問者

お礼

 なかい702さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   「わたしは、わたしとわたしの環境である」(オルテガ)。  これつまり、「私の半分は祖先から受け継いだものであるけれども、残りの半分は環境によって作られた」ということのようです。  そして、オルテガは、環境と宇宙とを同義語として扱っています。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ オルテガは 解説書を読んだのみで横着しています。    生物学のほうで 遺伝子とそして環境のチカラ(ミームでしたか)の両方を捉える見方にも通じていましょうか。  ちょうどまだ湯気が立っているかたちで あ_ほなさん(◆)から 次のような見解を寄せてもらいました。    ☆☆(【Q:あやまつなら われあり。わたしは存在である。】No.13お礼欄) ~~~~~   ◆ 私の言う空論は、精神というもののあり方を示しています。それは、言葉を超えた言語作用であり、例えば犬や猫に空観が起こりえるかというと、ちょっと難しいのでは無いかと思います。そういう意味で、私は人であるというのは一つの条件と成り得ます。   ◆ 全体性によって担保された個我は一種の確かさを持っています。故に、生命史や人類史に比べて僅かな時間かもしれないが、そこには永遠ともいうべき存在の仕方が内包されている、ということなのです。それは観念ではないのかという問いに対しては、これは精神の有り様について述べたものであると答えることになるでしょう。      ◆ [・・・]私の空論によれば、個は一種の絶対性を(内包する全体性により)持っているのであり、内側を通じて他者と等しいと言えるのです。然るに外的な要因、例えば社会の有り様や、意見の擦り合わせ、などのことによって担保される等さとは異なる等さによって、異なる主観を以ってしかも存在としては等しいと見るのです。   ☆ (1) おそらく経験合理性にもとづこうとする特にプラグマティズムのような哲学の立ち場からすれば もっと簡略に    ○ 人びとがそのマジハリをとおして 見解の一致を見る場合 それはヒトとしての存在の類としての同等性・同質性にもとづくのだと捉える。   くらいにとどめるのではないかとは思います。内面は重要ですが そこへ根拠を持って行かないと言いますか そういう方向もあるかと考えます。  (2) 存在に《内包する全体性・互いのあいだの共通性》を初めに前提しているならば それだけで共同主観は潜在していると捉えられるでしょう。  (3) もう少し形而上学に片向くならばと言いましょうか 神学をも交えるとすれば これは単純に一切衆生が悉く有すると言われるブッダター(仏性)の仮説にもとづき 内面における主観の共同性をすでに作業仮説のごとく前提することが考えられます。  ほかでもなく そういうハタラキを持つアートマン(霊我)のことだと見られます。  神の霊がやどる神の神殿がわれらが《身と心とから成る自然本性》だと 想定において 言われます。  あるいはつまり フッサール関係で《相互主観性 Intersubjektaet 》というふうにも呼ばれるかと思います。  微妙と言えば微妙ですね。  取りあえずわたしのほうからは こんな感じです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ まさに  ★ このオルテガの命題は、「わたし≒宇宙」ぐらいには表わせるかも知れない(…ということがふと頭をよぎりました)。  ☆ という見方と方向を同じくしているかと思いました。    どうも問題は 《唯心論》であり わるく言えば《独我論》のようであり そこに――もっと大きな論点なのですが―― 量子力学を初めとする物理学の世界像が横たわっている。ここにあるかと考えられます。  《世界が認識によって発生する》というものですから ではその認識は・つまり認識能力は どこから来たのか? という問いを質問として挙げました。  まぁ まめですね わたしも。つまり すっぽんみたいなのですが。

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.8

人間は、脳で心や体をコントロールして管理している。そして、無理なく頑張れることを善しとしている。 宇宙は、宇宙が生まれた時から、宇宙の法則に従って広がってきた。太陽系だけ見ても、大陽という中心の星の周りを、惑星や岩石やちりが回っている。人の体で言えば、宇宙の法則に当たるのが脳で、心臓や他の臓器、血液や一つひとつの細胞が、体がうまく回っていくように役割分担をしていて、宇宙では、水星、金星、木星のように、地球と同じように存在していて、役割分担をしている。 宇宙の法則が、そのまま、人の体に組み込まれているそうです。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ 人間は、脳で心や体をコントロールして管理している。そして、無理なく頑張れることを善しとしている。  ☆ ええ。このとき おのれの意志で考え振る舞うところと 脳じたいがたとえば記憶するときにすでにその神経組織だけで情報を秩序立てて整理しておくといったところとがあるとは思います。意志によるコントロールと意志を超えて身のほうがみづからをコントロールしている場合と。    ★ 宇宙は、宇宙が生まれた時から、宇宙の法則に従って広がってきた。  ☆ よく知らないのですが 宇宙がみづから運動するところに 宇宙の法則があるならそれを人間が捉え名づけた だけなのではないのですか?  法則があるとしたら その法則に従わず 法則のようなものじたいでみづからを変えてしまう場合がある――ことは考えられませんか?  ★ 宇宙の法則が、そのまま、人の体に組み込まれているそうです。  ☆ 未知な部分は 未知なだけでいづれはぜんぶ人間に分かるように成る――ということでしょうか?  勝手ながら分からないまま疑問をしるしましたが。    

noname#205897
noname#205897
回答No.7

宇宙=・・・・が そもそも間違ってるだけです・・・ 宇宙の中の・・・となれば良いだけです・・・ =で示せないのが宇宙なのだから・・・

bragelonne
質問者

お礼

 そのとおりでしょう。おそらくとつけ添えなければならないのかも知れませんが おそらくおっしゃるとおりでしょう。  てるふぁいう゛さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  じつは この命題を出した人がここの回答者の中にいます。回答を寄せてくれたわけですが いまひとつすっきりしません。   目を閉じれば何も見えない。   心の目もがはたらかなければ 世界を知るよしもなくなる。   身も朽ちてしまえば 認識も消え 世界は消滅する。   ゆえに 宇宙は即わたしである。  ということを言おうとしているのだと思われます。《認識がすべてだ》と。   だったらその認識の能力あるいは主体たる人間は どうやって発生したのか? と問えば そう問う人も 《わたし》が死ねば同じく死ぬのだそうです。ですから 問うてもムダであると。  ちがっているかも知れませんが 最新の物理学の成果だそうです。  たぶん とにかく《宇宙=わたし》であると言っているのだと思います。  宇宙は わたしのあり方とつねにともにあるといったことを言おうとしているのではないかと。つまりあたまの中の観念の宇宙なのだと考えられます。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.6

「宇宙=わたし」という表現、確かにそういう表現が使われることってあるようですね。私もどこかで見たような覚えがあります。2つの意味があるだろうと考えます。 (1)絶対王朝時代に、宇宙と人体の相似性に着目して、そういう表現が用いられたらしいですね。お礼コメントで触れていたマクロコスモスとミクロコスモスですね。当時はこれにトポロジカルな意味づけが伴っていました。つまり、(今の目で見れば、ほとんどこじつけとしか言いようがありませんが!)宇宙の地球に当るものが、わたしで言えば頭で、王国で言えば国王である…などの類です。 なお、最近では、宇宙と人体の構造に共通の「フラクタル現象」を見て相似性を云々することがあるかも知れませんね。 (2)絶対に曲がらない高速ロケットで宇宙空間をまっすぐ飛んでいくとします。すると、最終的にどうなるかと言うと、不思議なことに、「元の場所」に戻ってくるというのです。以前、確か科学雑誌「ネイチャー」か何かに掲載された論文だったと思います。もちろん、100%理論上の、4次元宇宙空間の原理的仮説です。 光は常識の世界ではまっすぐに飛ぶとされますが、宇宙論レベルで見ればブラックホールなどの高質量に引っ張られて曲がることが知れらていますね。それと同じで、宇宙空間をまっすぐ飛ぶということは、その「宇宙の曲がりに沿って(まっすぐに?)」飛ぶということのようなんです。 どんなに速いロケットでも光速を越えて飛ぶことはできないことが証明されています。ということは、ロケットはこの宇宙から飛び出すことはできず、直進している(つもりの)ロケットが、実はただこの宇宙空間内をぐるぐる回るだけ、ということになるようです。そこから、「宇宙の最果てはわたしである」という結論が導き出されたのでしょう。 何やらよう分からなくなりましたが、以上、ご「怪答」まで。

bragelonne
質問者

お礼

 なかいさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  (1)  ★ つまり、(今の目で見れば、ほとんどこじつけとしか言いようがありませんが!)宇宙の地球に当るものが、わたしで言えば頭で、王国で言えば国王である…などの類です。  ☆ そうでしたか。耳にしたような知らなかったような。さもありなんとは思えますね。  ★ なお、最近では、宇宙と人体の構造に共通の「フラクタル現象」を見て相似性を云々することがあるかも知れませんね。  ☆ なるほど。これはあり得るでしょうね。と言っても具体的には わたしには示せませんが。  (2)  ★ 宇宙空間をまっすぐ飛ぶということは、その「宇宙の曲がりに沿って(まっすぐに?)」飛ぶということのようなんで・・・宇宙空間をまっすぐ飛んでいくとします[・・・]と、最終的にどうなるかと言うと、不思議なことに、「元の場所」に戻ってくるというのです。  ☆ よって 《宇宙=わたし》。――ううーん。つまり:  ★ 実はただこの宇宙空間内をぐるぐる回るだけ、ということになるようです。そこから、「宇宙の最果てはわたしである」という結論が導き出されたのでしょう。    ★ 何やらよう分からなくなりましたが、以上、ご「怪答」まで。  ☆ なるほど。まぁ たのしいおこたえでした。ね。  ということは 裏を返せば 《宇宙=わたし》という表現で示し得る哲学的な内容は ちょっと見当たらない。ということになるようでもありますね。もしそうであるとしたら:  ★ 「宇宙=わたし」という表現、確かにそういう表現が使われることってあるようですね。私もどこかで見たような覚えがあります。  ☆ というだけで 放っておいてよいだろうか? という問題に確かに――初めのねらいだったわけですが――あると思うんですよ。ただし その表現を使うひとは 問うても答えが返って来ないんです。あたらしい質問を立てたときには 一回の回答はくれるのですが。それについて補足要求をしても なしのつぶてです。いつも。  へんな表現の用語がはびこっては このカテとして困ると思うんです。  というやはり ガミガミぢぢいのよしなしごとでした。  なかいさんも 哲学向上のあゆみに一枚噛んでくださいな。

noname#205897
noname#205897
回答No.4

犬や猫・・・ついでに 虎でも狸でも 水でも空気でも 全てを含めての 「わたし達」です・・ なに 寝ぼけてんだか・・・(笑)

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 犬や猫・・・ついでに 虎でも狸でも 水でも空気でも 全てを含めての 「わたし達」です・・  ☆ というのは それが《宇宙》なのではないですか?  つまり それだと 《宇宙=宇宙》と言っているだけになりませんか?  ご回答をありがとうございます。

回答No.3

あなたが死ねば、(天国でもない限り)あなたにとっ ての宇宙は消滅する。 「いや、お前が生まれる前から世界はあった」と人は 言うかも知れないが、その「人」もあなたの死と共に 消滅する以上、何の証明にもならない。 大事なのは“人の言う言葉”ではなく、その物理的 証明である。 量子力学のコペンハーゲン解釈、人間原理において、 有限な存在性は認識される事で発生しており、更に それは「自我仮説(時間の流れ=記憶=過去=超光速) と空間仮説(空間の広がり=予測=未来=光速下)の 相補分化」として「認識(私)=宇宙」につながる。 「自分の外に、認識とは独立した持続的存在が先入 する」という素朴唯物論が依存してきた物理学自身 に否定された瞬間である。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ あなたが死ねば、(天国でもない限り)あなたにとっての宇宙は消滅する。  ☆ という知覚ないし認識を わたしが持つということはないでしょうね。  《わたしにとっての宇宙が消滅した》と周りの人が認識する。という意味ですか?  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  「いや、お前が生まれる前から世界はあった」と人は  言うかも知れないが、その「人」もあなたの死と共に  消滅する以上、何の証明にもならない。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 意味が取れません。  ★ 「いや、お前が生まれる前から世界はあった」  ☆ これは ふつうに事実ですね。  そのふつうの事実を言ったところの:  ★ その「人」もあなたの死と共に消滅する以上、  ☆ というのは どういうことですか?   わたしにとって宇宙は死とともに消滅する。そのとき 《人の生まれる前から世界はあった》という事実を言った人も 宇宙に含まれているから わたしにとっては わたしの死とともに消滅する。ただし その人が どうであるかは わたしには分からないし 一般的に見ても まだ生きているかも分からないし わたしの死のあとほどなくして死ぬかも分からない。それは まったく分からない。ですよ。  この  ★ その「人」もあなたの死と共に消滅する以上  ☆ という議論は 解せません。  ★ 大事なのは“人の言う言葉”ではなく、その物理的証明である。  ☆ 《その》というのは 《わたしが死んだこと》のことですか?  だから どうなのですか?   これだけで 《宇宙=わたし》だと言うのではないでしょうね。  ★ 「認識(私)=宇宙」  ☆ と言うのと 《宇宙=わたし》なる命題は 同じことですか?  ★ 量子力学のコペンハーゲン解釈、人間原理において、有限な存在性は認識される事で発生しており  ☆ 《有限な存在性》というのは 人間もその中に含まれますよね?  だとすれば この有限な存在性なる人間が じつは《認識》するわけですから その認識の能力は どのようにして《発生》したのですか?  あるいは単純に 《認識する能力 あるいは 認識する主体である人間》は いつだれによって《認識されて発生した》のですか?   人間は 自己によって認識されることで発生するのですか?  或いは他人によって認識されることでやっと発生するのですか?  その認識する能力は どのようにして発生したのですか?  

回答No.2

その=の記号を等価と考えれば、様々な反証が付く。 局所的な「わたし」が大局的な「宇宙」等価であるはずがないし、光速を越えて宇宙と関わることは出来ない、そして多分「わたし」の方が先に死ぬ。 なので、その=は相互関係を表すと解釈するしかないように思う。 「わたし」と「宇宙」との関係を示して、対称性と関係の逆変換の在り方を議論したいとき等に使うのではないかと推測する。 出典が分からないことだし、正解である自信は全くないですね。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ なので、その=は相互関係を表すと解釈するしかないように思う。  ☆ 理由説明の引用を省略しましたが まづ そうなのでしょうね。    ★ 「わたし」と「宇宙」との関係を示して、対称性と関係の逆変換の在り方を議論したいとき等に使うのではないかと推測する。  ☆ 何かむつかしいですね。  いわゆるマクロコスモスとミクロコスモスの相似性でしょうか。そういう問題なら まづイメージが浮かぶし それなりの考えも持っているのですが 《逆変換》とか よく分かりませんし 要するに相互の関係についてそれとしての議論ができるし おこなうときに使う。・・・でしょうか。  出典は わたしの最近の質問への回答の中にあった命題〔でしょうか〕です。

noname#205897
noname#205897
回答No.1

宇宙=わたし・・・・!? 存在するもの全てが宇宙を形成してる訳だから 「宇宙=わたし」にはならない・・・ 「宇宙=わたし達」なら正解だが・・・

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  でも 《わたしたち》のほかにも イヌやネコもいますし 蠅や蚊だっていますよ?  どうなんですかねぇ。  

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