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経験論と合理論

現代では、瞬時に「パッチ」を当てられて、オシマイですか

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回答No.1

「経験」=時間軸と、「合理」=空間軸は、相容れない ようでいて、量子論の不確定性原理における「位置Sと 運動量St、時点TとTs質量の2対の確率性において、 一方を確定化しようとすると他方は無限不確定に発散 する」というように、相補性を成して、それらを確定せず 階層現象表面的に(いい加減に)捉える事で、仮象的 に有限な存在性を派生させているのです。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 正直、褒めて頂けると、うれしいです。

その他の回答 (1)

回答No.2

ちょっと的外れかもしれませんが  経験論=行動の象徴  合理論=思索の象徴 として考えを巡らせてみました。  人生のある時期に外圧への対応に時間をさくことを余儀なくされた人は  能動としての行動に出ることが困難で  そういうことがなかった人とは別な価値観に流れる傾向はあるのかもしれません。   つまり能動による行動に出ることが可能だった人はそのまま行動主義(1)へ。   それが困難だった人は悲劇を繰り返すまいという方向、   つまり価値観の改善のための思索主義(2)の方向へ。  現実ということを考えると  困っている人に対しては(1)が欠かせない。  ただし(2)がなければ焼き直しの繰り返し。  という二系統の枝分かれができることになります。  (1)がメインの中で(2)もあるというくらいが健全な世の中なのだろうな  などということにとりあえず考えが行き着きました。

kurinal
質問者

お礼

suzumenokox様、今晩は。ご回答ありがとうございます。 >「経験論=行動の象徴  合理論=思索の象徴 として考えを巡らせてみました。」 ・・・合理であっても、結局は、「ガッテン」に依存せざるを得ない、のかな。 >「人生のある時期に外圧への対応に時間をさくことを余儀なくされた人は  能動としての行動に出ることが困難で  そういうことがなかった人とは別な価値観に流れる傾向はあるのかもしれません。   つまり能動による行動に出ることが可能だった人はそのまま行動主義(1)へ。   それが困難だった人は悲劇を繰り返すまいという方向、   つまり価値観の改善のための思索主義(2)の方向へ。  現実ということを考えると  困っている人に対しては(1)が欠かせない。  ただし(2)がなければ焼き直しの繰り返し。  という二系統の枝分かれができることになります。  (1)がメインの中で(2)もあるというくらいが健全な世の中なのだろうな  などということにとりあえず考えが行き着きました。」 結構な御点前で。

kurinal
質問者

補足

>「人生のある時期に外圧への対応に時間をさくことを余儀なくされた人は  能動としての行動に出ることが困難で  そういうことがなかった人とは別な価値観に流れる傾向はあるのかもしれません。」 ・・・最近、新聞で読みました。

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