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ナポレオン法典、海外で受容された理由は?

「余の真の栄誉は40回の戦いの勝利ではなく、永久に生きる余の民法典である」 世界の民法でナポレオン法典の影響を受けていないものは無いそうですが、フランス軍に来られた側からすれば、敵のドグマじゃないですか。平和的な輸出ではない。拒否されず、まっとうに評価された理由を教えて下さい。

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  • rabbit_cat
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回答No.1

ナポレオン法典というのは、つまり、古代から続くローマ法と、ゲルマン時代からの慣習法とを、17~18世紀にヨーロッパ中で大流行した啓蒙思想の考え方のもとでまとめて、新しく法律の形にまとめたものです。 というわけで、ゼロからナポレオンが作り出したものではなくて、もともとヨーロッパで、慣習法や君主の勅令や議会の決議などとして広まっていたものをまとめて成文化したものです。 さらに言えば、取り入れた側も、取り入れても良いと思った部分だけを取り入れただけで、フランス民法典の全てを取り入れたわけでは全くありません。 実際、例えば、ナポレオン失脚の後、オーストリアではフランス民法典のつまみ食いみたいな形でオーストリア民法典ができますし、ドイツでは法典論争(まさにナポレオン法典を拒否すべきかどうかの論争)を経てドイツ民法典ができますが(少なくとも形上は)フランス民法典からの派生というよりはローマ法・ゲルマン法からの直系です。 また、英米法は、フランス民法典の直接の影響を受けていません。もちろん人間の考え方(判例や法律制定)を通じての間接的な影響はあるでしょうが。

hazukichi
質問者

お礼

詳細な経緯解説ありがとうございました。 米英が影響されていないというのは意外でした。

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