• ベストアンサー

ゆとり教育の功績

ゆとり教育の功罪のうち罪ばかり指摘され結果的に無くなりましたが、「功」はどうだったのでしょうか?「生きる力の育成」との当初の目的は達していたのでしょうか?また、ゆとり世代でない人に質問ですが、ゆとり世代と付き合って優れていると感じる点はありますか? 勝手ながら、ゆとり教育の罪の部分や批判は求めません。功績成果のみ回答願います。 ちなみに私はゆとり世代ではありません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

・功の部分  ⇒浅田真央選手や錦織圭選手のような世界的スポーツ選手を生み出した。減った勉強時間を練習に当てられるので。 ・ゆとり世代と付き合って優れていると感じる点  ⇒全くありません。むしろ最近の若者は能力が高いとさえ思っています。

High_Score
質問者

お礼

ありがとうございます。 スポーツがありましたね。確かにそのとおりです。

その他の回答 (5)

  • ji-young
  • ベストアンサー率24% (25/101)
回答No.5

「やる気」「向上心」「競争力」のない人たちと言われてますが、会社に入ってくると争いを好まず、ほんわかしている人が多いですね。ただ厳しいこと言われるとメンタルになる人も多いですが。 応用力では低いですが、繰り返し定型作業をこなす能力は高いですね。

High_Score
質問者

お礼

ありがとうございます。 なんだか、単純バカと言ってるように聞こえます。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.4

A2です。 >上世代の問題点を修正されてるというのは、どんな内容でしょうか? >大人の出来ない事を平気でやるというのは、どんな内容でしょうか? >無駄遣いをしない、ものを大切に、計画的に、地球に優しく、自分らしさ優先、友達を大事に、視野を広く、客観性をもて、自己主張をしろ。。。 これらは、先世代の多くができないから、経験則の結果論な教育なわけですが、 大人の自分ができないから子供に注意するし、全部できる完璧超人がいないのです。完成形を描けず逐一理念を掲げる。 無駄遣いをし、ものを大切にせず、無計画で、環境を考えず、他者に媚び、友達をないがしろにし、視野が狭く、主観が強いのに、自己主張できない人間は、実際いますし、どんな人間かビジュアルにも描け、ダメな末路を想像つきます。 >>無駄遣いをしない、ものを大切に、計画的に、地球に優しく、自分らしさ優先、友達を大事に、視野を広く、客観性をもて、自己主張をしろ。。。 こういう完璧超人は、いないのです。ガンジーの非服従主義が近い。ガンジー主義はけっして無抵抗主義ではない。 できないからしろと教育するし、できないのは社会的にしにくし、生活に支障が出るから。 それを良しと教育受けたので、ゆとりはします。社会に迷惑かけても、自分が正しいから。 就職氷河期世代の私の世代は、社会の保護を信じません。自己責任で切り捨てられてきたから。保護は自己責任において利用するものです。 今の20代後半は、裏切る社会と一定の距離をおいて、自分らしさの幸福を追求します。自己防衛で情勢の機微に敏感、あるいは拒絶します。 今の10代後半は、個人の結果を当てにしません。やることをやった過程を大切にし、結果はついてくると信じますし、ダメな結果はいつか報われると前向きです。その代わり無駄なリスクを負いません。シンデレラ・コンプレックスのような社会依存があります。 これを裏返すと、実力が伴わないのに、結果を知ったかぶりし、いうこと言うのに、やることをやらない。が社会的全体の認識になります。 で、この認識は、戦後ずっとの若者批判の同じ結論です。 過去の自己肯定が現在の否定であり、現在の若者は過去の若者の否定改良版だから。

High_Score
質問者

お礼

再回答ありがとうございます。

noname#212313
noname#212313
回答No.3

 以下、極めて個人的な私見になります。予めお詫びして、ご了解をお願いいたします。  ゆとり教育というのは、そういう名前を付けた教育方針で、その名前で導入もされましたから、確かにあります。しかし、今や卑しめるために言われる「ゆとり世代」というものはありません。その前の「詰め込み教育」による「詰め込み世代」ならあったんですが、用語としてはあまり言われません。末期には狂気じみた状況でしたが。  閑話休題。ゆとり教育は学校教育(小学校~高校)でのカリキュラム内容を多少削減しただけのものです。そんなことで、ゆとり世代と一括りにされるような、酷い駄目人間が量産されたりするでしょうか。そんなことはあり得ないんです。  ゆとり世代を批判するテンプレな例では、「98円のものを買うのにレジで103円出したら、3円はいらないと突き返して、おつり2円出しやがった。釣りが5円玉になることも分からん」といったものがあります。そんなこと、ゆとり教育以前から頻繁にあったんですよ。10代の行儀の悪さだって、昔からある。ゆとり教育以降出て来たかのように言う、思うのは、いったい何だろうと首を傾げざるを得ません。  大半の批判は当たっていません。かろうじて、PISAなどのテストの成績が下がったということは(分析方法次第な面はあるが)、確かにあります。でも、それでいいんですよ。そんなテストで好成績取っても仕方ない、といってゆとり教育を始めたんですから。狙い通りになって、何を慌てて脱ゆとりなどと言うのか。大変に頭の良くない話です。もちろん、そのように右往左往しているのは、ゆとり教育を受けていない、もっと上の世代です。  ゆとり世代(そんなものはないけれど、便宜上、この言葉を使います)は、実は恐るべき実力を持った世代です。学校教育のカリキュラムのせいではありません。小さい時から持っている、使っている道具が違うのです。PC、携帯、スマホなどでいえば、高い実力を評価して、デジタル・ネイティブと呼ばれることもあります。  計算を例にすると、算盤を必死に練習した世代は、電卓を修行なしに使う世代に駆逐されました(「電池が切れたらどうするんだ!」などと無駄なあがきをしたらしい)。四則電卓を極めて何でも計算できるまでに修行した世代は、関数電卓を練習なしに使う世代に負けました。そして関数電卓はPCに。  PC+プリンタはボールペン習字に熟達した層を不要にしました。電子辞書により、紙辞書ならとても持ち歩けない数を容易く持ち運べるようになりました。そうなると、例えば英語の上達の速さが違ってきます。さらに、今はスマホで膨大な数のネット辞書に。  時間と労力をかけて知識をただばらばらに覚た単純物知りは、誰でもネット検索ができるようになると、相手にされなくなりました。  そういう変化が、加速度的に起こって来ているわけです。今後もそうでしょう。だから、ゆとりより上の世代は、本心としては怖いのです。だから貶す。年長のため敬されているいるのをいいことに、若年者に無用、無理筋な駄目出しをするのです。  なぜそんなことをするか。変化が緩やかな時代だったら、歳を取るだけで本当に役立つ人間になれました。生きていれば、いろいろ見聞きしますからね。いろいろやってみた経験も溜まっていく。ゆとりの上の世代は、さらに上の世代をそういう様子を見て、安閑と自分も時間さえ経てば偉くなれると思っていた。  ところが、時代の変化が非常に急速になった。いろんな面で、若い連中が自分を追い越すようになった。知識自慢をしても、ググられて間違いを指摘される。それが受け入れられない。スマホ取り上げて、競おうとする。テストではシャーペンと消しゴム以外、許さない。  馬鹿げているでしょう。今の実務能力は、スマホなどのデジタル機器込みで達成されているし、その基準で判断されます。PCの主要ソフトをどれだけ使えるか試されたりもします(で、ロートルはカンニングしたり、部下にやらせたり)。  ゆとり世代を必死に貶して己が優ると言いたがっている上の世代は、そういう優れた機器を作り、ネットとつないで提供してきたわけです。「これ使って、頑張ってね」と。それなら、どんどん使って貰えばいい。子どもの頃からそういう道具を使い慣れていたら、道具込みでの能力が自分に優るのは当たり前です。  やろうとしたことがうまく行きかけると、慌てふためいて止めようとする。なんとも馬鹿げたことです。しかし、もう流れは止まりません。ゆとり教育だろうが、脱ゆとり教育だろうが、関係ありません。どちらも、10年、20年経って、今のゆとりを貶す世代と同年齢になったとき、自分たちが遥かに優れていることを実証してくれるでしょう(上の世代が自ら、自分の若い時にできていたことと比べて考えてもいいんですが、やろうとしない)。  教育方針の小手先のことなど無関係です。それにかこつけてあれこれ言うなんてのは屁理屈でしかありません。能力を増大させる道具がどんどん進歩し、普及している。だから、それで育ち、使いこなす若い世代は優秀である。それだけの話です。  上の世代の一員として、以上のように思います。

High_Score
質問者

お礼

ありがとうございます。 デジタルネイティブ、初めて目にしましたが確かにその通りですね。教育水準が下がるのも、どうしても過去と比べてしまうのでクローズアップされるだけで、実問題は無いのかも知れません。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.2

>「生きる力の育成」との当初の目的は達していたのでしょうか? 達していると思いますよ。過去の社会問題を全部修正し、大人の小言を全部受け入れた理想型の子供がゆとり世代。 就職氷河期世代の自分からすると、10歳下のゆとり第一世代は、自分達世代の問題を全部改善しているし、 その10歳下のゆとり最終世代は、第一世代の問題を全部改善している。 どんな困難も前向きに受け入れる包容力を持っていると思いますよ。受け入れるから克服しないし、受け入れられないと反発せずに逃げる引きこもる。 無駄遣いをしない、ものを大切に、計画的に、地球に優しく、自分らしさ優先、友達を大事に、視野を広く、客観性をもて、自己主張をしろ。。。 理想の子供は、理想の大人とは違ったのです。 子供を子供扱いして、教育の先を見据えなかった泡沫的な大人の産物。 理想の教育で、大人のできないことを平気でやる大人になったから、鏡写しの自己嫌悪で嫌われる。

High_Score
質問者

お礼

ありがとうございます。 もう少し教えて下さい。 上世代の問題点を修正されてるというのは、どんな内容でしょうか? 大人の出来ない事を平気でやるというのは、どんな内容でしょうか?

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

 僕はゆとり教育がいいとか、悪いとかは分かりませんが、その実施の時期が、というか実施の動機が、まずかったと言うか、情けないと思います。  日本には、外の目を気にする癖があります。国内では不評だった邦画が、国下の映画祭で賞を貰った途端に国内での評価が上がったことがありますが、同じような背景を感じます。  実は外国で日本教育の詰め込みを見習わなければ、という風潮が広がり始めた時に、日本では外国を見習ってゆとりを、とすれ違いの決定をしてしまったような気がします。

High_Score
質問者

お礼

ありがとうございます。

関連するQ&A

  • ゆとり教育が「社会」にもたらした功績と罪過について

    ゆとり教育が「社会」にもたらした罪過の一つとして経済格差が学力格差を広げることがあると考えたのですが、その他の罪過、そして功績が思いつきません。 ある大学の小論文の過去問として載っていた物なのですが、模範回答は省略されていました。 二日間夢にも見る程ににずっと考えていたのですが、どうしても思いつきません。 ゆとり教育が社会にもたらした功罪には何があると皆さんは考えますか? 回答どうか宜しくお願い致します。

  • 「ゆとり」について、どう思いますか?

    今日の日経新聞に出ていたんですが、 「ゆとり世代特有の、ひ弱さ」が原因で就職活動が進まない、って書いてありました。 今男子大学生ですが、僕の立場から言わせていただくと、 「ゆとり世代にこの世に生を受けてしまって、従来のうち何割かの質と量の教育しか受けられないゆとり教育という国の政策によって、こんなふうになってしまった」と声を大にして言いたいのです。いろんなところで、「これだからゆとり世代は困る」とか聞きますが、はっきり言いますが、それは私たちのせいではなく、国のせいです。 私たちはたまたま、1988年以降とかに生まれてきただけです。 何の罪もありません。 しかし、なんでこういう風に風当たりばかり強くなるのでしょう。 「ゆとり教育」を希望した覚えはありません。 たまたま人生歩んできたらこうなっていた、ってだけのことです。 そんなのもわからないなんて、ゆとり世代を批判する人たちのほうが、「ゆとり」なんじゃないですか? 「ゆとり」を批判する人たちが「ゆとり」、素晴らしいパラドックスですね。

  • ゆとり教育って

    ゆとり教育について、どう思うか、是か非かなどの意見を聞かせてください。 私は、そもそもゆとり教育がなぜ実行されたのか理解できません。 ゆとり教育がなんの目的があってされたのかも解りません。 私はゆとり教育といわれる世代で育ちました。(高校卒業しました) 楽だったのかなぁ。くらいとしか言えません。土曜日が学校であるか、そうでないかの違いくらいしか解りません。深い部分も知りたいです。 土曜日が休みだと有意義に過ごせる(遊べるだけですが)くらいしかプラスな面がないし、最終的に教育の向上が目的なら、こういう考えの若者が増えるだけだとも思いますし、 いいとこないんじゃないの?と思ってしまいます。 皆さんのご意見をお聞かせください。 よろしくお願いいたします。

  • ゆとり教育のその後

    とてもささやかな疑問で恐縮です。 今、さんざんゆとり教育の汚点を指摘され、国ぐるみで改善が叫ばれていることと思います。 ですから、今後しばらくの新しい世代の子供たちへの教育はある程度明るい見通しがついているのだと思います。 しかし、今現在ゆとり教育を受けている子供たちが今度は「教える側」へと立ったとき、ちゃんとした教育ができるのかどうかと不安に思います。 もちろん、教師の年齢層も20~60代までさまざまですから、完全なゆとり世代のみの教師陣、ということは無いのでしょう。 けれども、教師の中でも大きく力を持つ世代というものはあるでしょうし、そういう人にゆとり世代の人間がなった場合にちゃんとした教育をできるのかが不安です。 国はそういう教育を受ける側だけでなく、行う側のシフトチェンジも視野に入れて、教育改革を叫んでいる。 また、もしそういうものがあるのでしたら、その具体的な対策等を教えていただけませんでしょうか。 今後進学する際に教育に興味があるので、是非ご教授頂けますようお願い致します。

  • ゆとり世代はゆとり教育の被害者ですよね?

    私は前に「勉強では男子は女子に劣った惨め存在ですよね?」という質問をしました。 http://okwave.jp/qa/q8126707.html 回答してくださった方々ありがとうございました。 potatoroomsさん(回答NO3)の回答によってやる気が出ない集中力がわかない原因がゆとり教育のせいであることがわかりました。 potatoroomsさんの回答によると 『ご質問者さんは、「ふつうの男の子」が幼少のことに身につけるように躾けられる、集中力のコントロールを習わずに大きくなってしまったんでしょう。ゆとり教育の弊害のひとつに挙げられています。』 つまり、ゆとり教育が全ての元凶であるということです。 世間では「ゆとり世代は学力が低い」「ゆとり世代はダメだ」とバカにします 我々ゆとり世代だって好きでその世代に生まれたわけではないし 好きでゆとり教育を受けたわけではない。押し付けられたのです 僕は当初からゆとり教育には反対でした。 テストの回数が減ってしまい、こけてしまった場合挽回するチャンスがなくなるわけですから。 そのため中学3年の定期試験でこけてしまい挽回できませんでした(涙) だから我々は何も悪くない!悪いのは文科省の役人たちでゆとり世代も被害者なのだ! そう思う方いませんか?またゆとり世代に同情してくださる方いませんか?

  • ゆとり教育世代が得たもの

     ゆとり教育世代の学力(まぁ、いわゆるテストの点ですがこれで、個人の力を計るのは、いかがなものかと思いますが)が、他の世代に比べて落ちているといわれていますが、この世代が失ったものがあるとすれば、なにをその代わりに得ていると思いますか?  大体の年齢(10代とか)と一緒にアンケートに回答していただけると幸いです。

  • 学力低下とゆとり教育について

    2002年に学習指導要領が改正されました。 それは「生きる力の育成」と「ゆとりある教育」をねらいとしています。 しかし、その事により、学習内容が大幅に削減され学力が低下した、という事も言われています。 そこで、 (1)ゆとり教育についてどのような意見をお持ちでしょうか? (2)ゆとり教育と学力低下の関係について、どう思われますか? 理由もお願いします。 (3)なぜ、学力が低下したと思いますか? 少し誘導的な気がしますが、よろしくお願いします。

  • ゆとり教育と内申書

    ゆとり教育と内申書の関係を教えてください。 ゆとり教育によく使われる批判的な例えは運動会でおててつないでゴールであり、現実の社会が競争であることを教えないと続くわけです。 現代のゆとり教育の前の世代は内申書に縛られた時代でした。 実力がありながら先生に従順であることへの反発から不利な評価を受けるものが多数いました。 内申書は先生の心象で成績を調節してしまう、お手てつないでと同じシステムのような気がします。 しかし逆に内申書の重みが軽くなることとゆとり教育を関連付ける考え方もあります。 ゆとり教育と内申書重視は同じ向きのベクトルでしょうか反対でしょうか。 さらに愛国心教育は本質的には競争とは反対でゆとり教育と同じ向きのベクトルではないかと思います。 (本質問はゆとり教育、内申書、愛国心教育を賛成するものでも反対するものでもありません。)

  • ゆとり教育を受けた人が何故非難されるのでしょうか。

    これはかなり前から思っていた事ですが、最近同年代にもこの様な意見を持つ方が多くなって来ているそうなので私も質問しました。 私は、昨今の若者を「ゆとり」として全体的な意味も含ませて批判する人に違和感を覚えます。この問題に関しては「若者=ゆとり。こんな教育を受けた若者が悪い」 「この教育制度を作った人が悪い」 この2つに意見が分かれていると思いますが、私は後者側の意見を支持しています。私も及ばずながら「ゆとり教育」に関して色々調べて見たら自然と後者側の意見を支持する様になりました。そもそも日本のゆとり教育の前身の制度であった「詰め込み教育」に課題を踏まえてゆとり教育に変わっていったそうですね。それでゆとり教育は1980年度~2014年度まで続くそうですが、様々なデータから俗に呼ばれる「ゆとり世代」は現教育を受けている15歳から一端の会社員の26歳までの事を言うかと思います。ゆとりとは、主に「融通が利かない」・「社会に対して甘い考え」などの事を指しているかと思いますが、私は非難されるべきは子供では無くこの教育制度を作った臨教審やゆとり世代を育てた人間にあるかと思います。子供は親や社会にそれを学び、育ちます。つまり子供が育った結果が社会の表れで、その集合体が社会になっていくんだと私は考えています。勿論、繰り返すようですが子供が育つには過程がありますが、その過程に親や社会があります。その過程を変えていくことが、未来のよりよい教育制度の確立に繋がると私は考えているんですが、その現教育制度で育った結果である青少年のみを事あるごとにただ非難する事だけの人間は間違っていませんか?本来、私はゆとりという言葉を使うのはこの教育を受けた人間で戒めの様にしてお互いを励まし合う事が正しいと思います。私は事ある毎にゆとりとして若い人を非難する人は何処か「韓国」「中国」と聞いただけで過敏に反応・非難する右翼に似ている所があると思います。ですが勿論、批判されるべき対象は何処の時代にもあるかと思います。それがゆとり教育を示唆すべき点では無く、ただ一人の「若者」として非難されるべきだと思います。なので私は以下を結論としています。 ・俗称である「ゆとり」とは元来、若者のマイナス・批判の材料として使うのでは無く、若者同士が「こんな教育で育ったからって甘えるな」等の意味合いを込めて戒めとして使われるべきだ。 ・「ゆとり」として批判するべきでは無く、以前から使われていた「若者」として言葉を変えていくべきだ。 ・ゆとりとして批判するだけで終わらず、話を社会や教育制度に持って行くべきだ。 長々と持論のみを展開しましたが、私のこの意見を皆さんはどう思うかとても気になります。私は先ほど、とある傷害事件の犯人が「24歳・無職」との理由でネットで「ゆとり」とひたすらに非難する人が居たので上記の事を聞いてみたら「制度を批判するのはゆとりの証拠」と一蹴されました。その後すぐ消えてしまったので、何とも言えずモヤモヤした気持ちが続いています。この持論を見て、どんな意見でも構いませんので皆さんが率直に思った事と意見、年齢を添えてご回答いただけると嬉しいです。

  • ゆとり世代を批判する人は

    私はゆとり世代の人間です。別に私たちの世代をどう批判してくれようと勝手ですが、なんで皆さんろくにゆとりについての知識をつけてこないんですか? PISAって何?などと言ってる人がいて呆れたことがあります。こういう人たちが痛々しい間違った知識(たとえば円周率は3)を得意顔で披露して恥をかくんですよね。私がそれを指摘するといきなり逆切れしだしたり人格批判しだしたりする姿は見ていて可哀想ですよ。ゆとりに間違いを指摘されて恥ずかしくないんですか?という感じです。 質問は最初の段落に書いたなぜ皆さんはゆとりについての知識をつけてこないのかということです。まさかマスコミが言っているゆとりのことが全てだとでも思っているんですか?