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「自立!」

自律との違いは?

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  • kanto-i
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回答No.20

読み返してみました。 >「通常は、「親が、子のニーズを満たしてやる」というのが、もっともだが・・・ >子供にも自律させるのに、自分で決めてもらい守るってのを 小さい時から、早ければ3歳ぐらいでもできる限りやるようにしてます。 自分のニーズは、自分で満たすことを教えるのです。 それが愛です。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、ご回答ありがとうございます。 >「自分のニーズは、自分で満たすことを教えるのです。 それが愛です。」 なるほど。 「魚を獲って与えるのではなく、魚の獲り方を教えろ」というのが、ありましたね。 >「子供にも自律させるのに、自分で決めてもらい守るってのを・・・」 ・・・Ano.14ですね。 >「子供にも自律させるのに、自分で決めてもらい守るってのを 小さい時から、早ければ3歳ぐらいでもできる限りやるようにしてます。 個としての存在のあり方と自由意志の尊重は、小さいうちからがいいです。 自律がしっかりあれば、自分の意見をしっかりと持ち発言できて その発言や行動にも、責任を持つようになります。 4つや5つで、明確に意思を伝え自分の身の回りのことも大抵こなします。 気持ちが元気に育つ所が、一番いいなと思いますよ。 大人は、その延長線上ですから。」 ・・・本では、「3歳くらいで、「なんでも自分で出来る」と思い、 しかし、4歳・5歳くらいでは、「やっぱり出来ない自分」を知る」 というのですが、 kanto-i様のほうが、実践的に得られた知見であるように思われます。 「天才」が現れるのも、3~5歳くらいとか(本によれば(笑))

その他の回答 (20)

  • kanto-i
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回答No.21

お礼ありがとうございました。 >(成熟した?)大人への説教、ならば、申し分の無い、と思われます。 質問と回答なので書いたまでです。 普通は、こんなことは口にしません。 悩んでる相手に、説教になりますから(笑) >「未熟な親によって、子どもが大変だ」というのは、 >別の議論でしたね。 >なんだか、一方的に興奮してしまったようで、すみません。 いえいえ(^ ^) 基本は、親が対応すること。 困ってたり困った状態は、周りの子供については地域の大人が考え対応すること。 子育て支援もしてますが、とある人と3日後に会った時 「何であんな些細なことで、いつもあんなに怒っていたのか今は分からない」 と言われました。 親に説教しても、そんなことにはなりません。 適切な支援があれば、人はそれまでの自分を 乗り越えることができるのです。 本当の支援になる事をできる人が、今はまだ少ないだけです。 世の中には、様々な支援者になる努力をしている人は大勢います。 今に不満を持たれる方は、是非自らが支援者になって頂ければと思います。 不満だけ並べても、世の中が変わるほどの影響など無いですから。 一人一人が一歩一歩を歩けば、やがては大きなうねりとなり 社会に道が開けます。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、こんばんは。ご回答、ありがとうございました。 また、よろしくお願い致します。

  • kanto-i
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回答No.19

お礼ありがとうございます。 確かにそれは誰しも同じ傾向で、社会問題的な方向かなと思います。 そこでの問題は、自分の人生を生きるのであれば 自分の問題に取り組むこと。 問題を抱えていない人は、実は周りを見渡しても誰もいないことに 気がついたから言えるのですけどね。 自覚のあるなしは、それぞれでしょうが。 自分の人生は、自分のものですから 自由には責任が付いてくる。 自分の意思と、認識。 自分の問題を抱えているのは自分であり 逃げても人のせいにしても、何の解決にもならない。 そういう自覚を持つために、人は人生を考え 哲学に興味を持つのだと思います。 苦しい状況や辛い経験は、人を強くします。 乗り越えた人は、より強くなります。 甘えられる環境の方が、人間はより弱くなります。 自覚のため、思考と認識が人には備わっています。 自分を救えるのは、誰しも自分自身です。 その点は、誰でも平等であるのですね。 逃げるのが悪いとは考えていませんが、どう言う人生を送りたいのか。 親が認めないのは逃げであるでしょうけど 親と同じ選択をするのは自分であり同じような人生を送るのか。 それは、自身に与えられた選択の行使なのです。 自分の意志を持つことだとは思います。 問題を抱えていな人はいない。 自分を救うのは自分自身。 誰しも、その点は同じですね。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、ありがとうございます。 (成熟した?)大人への説教、ならば、申し分の無い、と思われます。 「未熟な親によって、子どもが大変だ」というのは、 別の議論でしたね。 なんだか、一方的に興奮してしまったようで、すみません。

回答No.18

 ★ (No.15お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~   で、   >「☆ 《j経済の自由》のあるところでは 生活保護の権利を行使しそれを享受することがあるとき それは たとえ《自分の意志で かつ ひとりで 立っている》としても 《自律》とも《自立》とも言わないというお考えだということでしょうか?   それとも 言ってよいし 言うということでしょうか?」  なるほど。  生活保護には「生活保護司」の監督が付き物、とすると、(完全な)「自律」とは言えないかもしれませんし、 ですが、「社会的な援助」を受けたからといって、それは「自立」ではない、とするのは、相当にシビアな考え方ではないかと思います。  (そうではない、とすると、多分、問題は「社会契約説」の前、までに遡る?)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち 次のことを確認していただきました。  ○ 生活保護を受けている場合でも 権利の行使およびその享受であるほかないからには 《自立》していると言えるし またさらには自分の意志でそうしているかぎりで 《自律》しているとも言える。  ありがとうございました。

kurinal
質問者

お礼

bragelonne様、こんにちは。ありがとうございます。 >「☆ すなわち 次のことを確認していただきました。  ○ 生活保護を受けている場合でも 権利の行使およびその享受であるほかないからには 《自立》していると言える」 生活保護といっても、「全部、丸々」というケースが全て、ではありません。 「足りない分だけ、補う」ということも、(制度上、勿論、)あります。 (「最低賃金」と「生活保護」の逆転 (最低賃金で目一杯働いても、「生活保護」のレベルに届かない) 、ということも、問題となっているようです) >「またさらには自分の意志でそうしているかぎりで 《自律》しているとも言える。」 仮に、自分の意志で、そうしたくとも、制度上、(稼げる分は稼ぐ「足りなければ補う」) ということになっております。 (Ano.9様のご回答にも述べましたが、「せいかつほご」は個人主義に立脚していないので、 ・・・(純粋に)個人に責任を帰結するのは、無理というものです)  

  • kanto-i
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回答No.17

お礼ありがとうございます。 kurinalさんの、おっしゃる通りです。 大人になれば、それさえも乗り越える・訂正するチャンスがあります。 大人は、大人になるまでの多くの体験と知識を活かし経験をさらに積み上げて 自分で自分を育てると言うことですね。 大人が自分を育てないなら、発展も進歩も人類には無かったはずです。 大人が自分に責任を持つのは、自分の歩く道を選ぶことができるであろう これからはその責任において、意思で選んでいいよってことだと思います。 過去は、意志があれば精算できるようになっています。 大人という立場は、本当にいいものです。 生き延びれば、大人になる権利は平等です。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、ありがとうございます。 >「過去は、意志があれば精算できるようになっています。」 子が、「自分よりも「親」を優先しろ」と言われて育つ (というより、場合によっては「大切にされているとは思えない」という環境で) と、なかなか、難しい。 ある意味「「本当の自分」を誤魔化す」クセが付く。 あ、本ご回答で、kanto-i様が仰るのは、 「とにかく、ここまで生き延びたのだから」ということですね。 (対して、「親」は、死ぬまで自分の「非」を認められない、 ということが少なくないとか) そういう問題に対応するような「心理カウンセリング」というのは、 保険が利かないようで、 現状では、専ら薬で(派生した問題を)なんとかしよう(押さえ込もう)、 というのが(何故か)主流のようです。 (「金持ちなら、なんとか出来る」という構図そのものです?) 結果、「親の都合」で子が投薬されて、場合によっては、 (本来は親の問題で、子が) 取り返しの付かない脳機能的なダメージを受ける事態まで、あるとか。 本来、自律どころか自立さえも危うい「親」が、「親権」をふりかざす、 これは、「子」にとって、脅威ですね。 (ある意味、精神科医も(もっと)脅威ですが)

  • kanto-i
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回答No.16

お礼ありがとうございます。 >・・・抱える問題は大きくなる一方、ですからね。 確かにそうですよね。 何もしないと問題は膨れ上がっていきますよね。 大人と子供は違いがあります。 子供は知識と体験不足から、誰かに育ててもらわなければ生きていけません。 大人は、自分で自分を育てることができます。 人間の内面は一生成長することができるし あとは、本人の意思で何を選ぶかです。 抱えた問題は、自分の力で解決できます。 人間は、大きな力と可能性を持っています。 自分に必要な、教育や経験を自分で増やして行くことができる。 それが、大人と言う立場の特権でもあると思います。 日本は、そういった部分でも世界でも非常に恵まれた国と言えます。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、ご回答ありがとうございます。 >「大人と子供は違いがあります。 子供は知識と体験不足から、誰かに育ててもらわなければ生きていけません。 大人は、自分で自分を育てることができます。」 んー、それがですね。 全員が全員、順調な発達を遂げて来ているかというと、 そうとは限らないということも、あるわけです。 「通常は、「親が、子のニーズを満たしてやる」というのが、もっともだが、 場合によっては、「親が、子に対して「オレの「(時に理不尽な)ニーズ」を満たせ!」 と言う」そういう問題があるようです。 (で、昨今では、そういうことが無いように、まずは「親」の問題について、 「親が追い込まれることで、その子が苦境に立たされていないか」ということが、 クローズアップされてもいるようです・・・「生活保護」って、機能してますか?) >「人間の内面は一生成長することができるし あとは、本人の意思で何を選ぶかです。 抱えた問題は、自分の力で解決できます。 人間は、大きな力と可能性を持っています。 自分に必要な、教育や経験を自分で増やして行くことができる。 それが、大人と言う立場の特権でもあると思います。 日本は、そういった部分でも世界でも非常に恵まれた国と言えます。」 個別具体的に見れば、(必ずしも当人に責任があるとは限らないが「未熟な親」の)問題までを 幼いうちから背負わされた、 (ま、判り易く言えば、親が未熟な故に、社会的に(無理解もあって)苦労して、 それを家庭に持ち帰ると、どうしようもない(大人ではない)子どもに当たる、とか) そういうケースも、あるものと思います。 (「尊属殺」の問題などは、まさにその延長で、 「むしろ罪を犯した子どもの側に情状酌量の余地が余りある」というほど、 酷い親だった、ということが、多いらしいです。)

回答No.15

 ★ (No.4お礼欄) ~~~~~~~~~~~      ▽ 自立=一人で立っている事。      ▽ 自律=自分の意志で立っている事。       >「(お) [・・・]このときの生活保護なる状態は 権利を行使しそれを享受しているだけであるゆえに その意味では《依存》したりしていず また《他人の指図による》ことはいっさいないと考えられます。」    (単に)「享受」を問題とするなら、  (「有能」を以って自認する)経済人だって「経済の自由」無しでは、立ち行かないでしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《j経済の自由》のあるところでは 生活保護の権利を行使しそれを享受することがあるとき それは たとえ《自分の意志で かつ ひとりで 立っている》としても 《自律》とも《自立》とも言わないというお考えだということでしょうか?  それとも 言ってよいし 言うということでしょうか?

kurinal
質問者

お礼

bragelonne様、ご回答ありがとうございます。 >「☆ 《j経済の自由》のあるところでは 生活保護の権利を行使しそれを享受することがあるとき それは たとえ《自分の意志で かつ ひとりで 立っている》としても 《自律》とも《自立》とも言わないというお考えだということでしょうか?  それとも 言ってよいし 言うということでしょうか?」 まずは、 >「(お) [・・・]このときの生活保護なる状態は 権利を行使しそれを享受しているだけであるゆえに その意味では《依存》したりしていず また《他人の指図による》ことはいっさいないと考えられます。」    (単に)「享受」を問題とするなら、  (「有能」を以って自認する)経済人だって「経済の自由」無しでは、立ち行かないでしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 生活保護は、現状(現行法)では、「生活保護司」がチェックを入れるでしょう。 しかし、基本的には「貧困の原因を問わず、貧困という状態を許さない」とするものです。 で、 >「☆ 《j経済の自由》のあるところでは 生活保護の権利を行使しそれを享受することがあるとき それは たとえ《自分の意志で かつ ひとりで 立っている》としても 《自律》とも《自立》とも言わないというお考えだということでしょうか?  それとも 言ってよいし 言うということでしょうか?」 なるほど。 生活保護には「生活保護司」の監督が付き物、とすると、(完全な)「自律」とは言えないかもしれませんし、 ですが、「社会的な援助」を受けたからといって、それは「自立」ではない、とするのは、相当にシビアな考え方ではないかと思います。 (そうではない、とすると、多分、問題は「社会契約説」の前、までに遡る?)

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.14

こんばんは。 >福祉では、「ADL」というのがあり、 日常生活自立度ですね。 >また、「自律=存在的」とは、精神的な面について注目するもの、 >と考えて、いいのでしょうか。 精神面も包括してですね。 たとえば、家族に言われて嫌々勉強するのは他律ですし 自分で決めて自分で始めるのは自律です。 自分の行動規範を自分で決めて動く。 規範が我欲や、わがままなら違いますね。 子供にも自律させるのに、自分で決めてもらい守るってのを 小さい時から、早ければ3歳ぐらいでもできる限りやるようにしてます。 個としての存在のあり方と自由意志の尊重は、小さいうちからがいいです。 自律がしっかりあれば、自分の意見をしっかりと持ち発言できて その発言や行動にも、責任を持つようになります。 4つや5つで、明確に意思を伝え自分の身の回りのことも大抵こなします。 気持ちが元気に育つ所が、一番いいなと思いますよ。 大人は、その延長線上ですから。

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「たとえば、家族に言われて嫌々勉強するのは他律ですし 自分で決めて自分で始めるのは自律です。 自分の行動規範を自分で決めて動く。 規範が我欲や、わがままなら違いますね。」 「未成年者の自律」については、これまでのご回答においても、 問題とさせて頂いています。 >「子供にも自律させるのに、自分で決めてもらい守るってのを 小さい時から、早ければ3歳ぐらいでもできる限りやるようにしてます。 個としての存在のあり方と自由意志の尊重は、小さいうちからがいいです。 自律がしっかりあれば、自分の意見をしっかりと持ち発言できて その発言や行動にも、責任を持つようになります。 4つや5つで、明確に意思を伝え自分の身の回りのことも大抵こなします。 気持ちが元気に育つ所が、一番いいなと思いますよ。 大人は、その延長線上ですから。」 ・・・抱える問題は大きくなる一方、ですからね。

回答No.13

Kさま。 宿主不在のまま回答者が勝手にしゃべる図がおもしろいです。 Kさまは人の話を聴くだろうという信頼あるいは期待だろうか。 信頼なら「じりつした者同士」の協力関係だし、 期待なら「じりつしていない者同士」の甘え合い関係。 なかなか笑えます。 人間のような、一人で立つまでに時間のかかる哺乳類が これほどのさばっているのもまた不思議。 なんと日本では15歳までは(親に)保護義務がある。 子どもは別に学校に行きたくなければ 「行かない」という選択をする権利がある。 登校させられるのと登校しないのと、どちらが自律しているのか。 う~ん。親から「自立」しているのは前者で 「自律」しているのが後者かな。 老人もそうで、 歩けなくなったときに子や孫の世話にはならんぞ、と言って 自分は立派だの淋しいだのと自慢や文句を垂れる人と、 自分はどのような状態を望むのか感じ、考え、把握し、 必要な助けを求めて感謝する人、 どちらが自分の力で生きていると言えるのかしら。 モノを作りっぱなしでどんどん次の新製品を作りたがる人と、 自分の作ったモノの使い方を訊かれれば訊かれるだけ教える人と、 どちらがモノや人をじりつさせる人なのかしら。 ほとんどつぶやきになってしまいました。 どうもお邪魔しました。 引き続き誰かしゃべってくださると喜びます。  

kurinal
質問者

お礼

neutral様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「宿主不在のまま回答者が勝手にしゃべる図がおもしろいです。 Kさまは人の話を聴くだろうという信頼あるいは期待だろうか。 信頼なら「じりつした者同士」の協力関係だし、 期待なら「じりつしていない者同士」の甘え合い関係。 なかなか笑えます。」 「三日見ざれば、刮目して待つべし」という、好きな言葉があります。 昨日の今日、では、ちょっと待ってね。 >「人間のような、一人で立つまでに時間のかかる哺乳類が これほどのさばっているのもまた不思議。」 それだけ、「チカラ」があるんでしょうね。 >「なんと日本では15歳までは(親に)保護義務がある。 子どもは別に学校に行きたくなければ 「行かない」という選択をする権利がある。 登校させられるのと登校しないのと、どちらが自律しているのか。 う~ん。親から「自立」しているのは前者で 「自律」しているのが後者かな。」 えー、「登校させられる」は、既に問題と思います。 (「本人を適応させる」ではなく、「環境を、本人に合わせて、変える」という考え方が、 参考になると思います。) >「老人もそうで、 歩けなくなったときに子や孫の世話にはならんぞ、と言って 自分は立派だの淋しいだのと自慢や文句を垂れる人と、 自分はどのような状態を望むのか感じ、考え、把握し、 必要な助けを求めて感謝する人、 どちらが自分の力で生きていると言えるのかしら。」 「どちらが自分の力で生きている」? これは、問いの立てられ方が、「平板」であると思います。 >「モノを作りっぱなしでどんどん次の新製品を作りたがる人と、 自分の作ったモノの使い方を訊かれれば訊かれるだけ教える人と、 どちらがモノや人をじりつさせる人なのかしら。」 ISO規格というのもありますし、「フィードバック」というのは、 既に、人口に膾炙していると、思います。 >「ほとんどつぶやきになってしまいました。 どうもお邪魔しました。 引き続き誰かしゃべってくださると喜びます。」 女性のお喋りって、 「お互いに一方的に喋り捲って、お互いに、相手が何を喋って居るのか把握してなくても、 それでいいのだ」って、お互いに満足出来るのだとか。

回答No.12

数年前のことにあるんですが、 風俗で働く女性がヒモにお金を支払うところの映像をTVで見たことがあります。 その女性の給料日にヒモが現われ、新聞の集金のようにお金を受け取り、その女性の目の前でお札の枚数を数える。 そして、何事もなかったように去っていく…。 しかも、このヒモには、この女性以外にもそのような女性が何人かいて、 この女性はそのことを知っている。 そして、今の自分の状態に対して何の疑問も抱いていない。 何なのでしょう、これは。 一種のマインドコントロール? それとも、 《共依存》? ───────── 共依存(きょういそん・きょういぞん)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存する、その人間関係に囚われている状態を指す。一般的に「共依存」と言うと、病的な人間関係などを指すことが多い。共依存者は自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存関係を形成し続けることが多いと言われる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98 ───────── 宿主さまに気付かれないようにそっと寄生させていただき、 栄養のお余りをいただく代わりに、 宿主さまがガンやアレルギー体質にならないような物質を作るサナダムシは、 血を吸うだけでは飽き足らず、様々な病原菌を宿主さまに移す《ダニ》は大嫌いだ~♪

kurinal
質問者

お礼

NemurinekoNya様、ありがとうございます。 >「風俗で働く女性がヒモにお金を支払うところの映像をTVで見たことがあります。 その女性の給料日にヒモが現われ、新聞の集金のようにお金を受け取り、その女性の目の前でお札の枚数を数える。 そして、何事もなかったように去っていく…。 しかも、このヒモには、この女性以外にもそのような女性が何人かいて、 この女性はそのことを知っている。 そして、今の自分の状態に対して何の疑問も抱いていない。 何なのでしょう、これは。 一種のマインドコントロール? それとも、 《共依存》?」 そうですねえ。 風俗では「私が、店を盛り立てている!」という、ような、動機(に弱い)というのも、 本では、読んだことが、あります。 >「宿主さまに気付かれないようにそっと寄生させていただき、 栄養のお余りをいただく代わりに、 宿主さまがガンやアレルギー体質にならないような物質を作るサナダムシは、 血を吸うだけでは飽き足らず、様々な病原菌を宿主さまに移す《ダニ》は大嫌いだ~♪」 「宿主さまがガンやアレルギー体質にならないような物質」 へえ!!。

回答No.11

Kさま。 カントの理性批判が役に立ちませんですか。  

kurinal
質問者

お礼

neutral様、ありがとうございます。 「理性」についてはですね。 常々、批判させて頂いています。

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