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”宗論はどちら負けてもキリストの「 」”になりま
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「栄光」なのでは。宗論では神の栄光はゆるがないということで。
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- kurinal
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park123様。 >「日本人にとって、宗論は、仏教を理解するため切磋琢磨するもの、ではなく、外聞が悪い・みっともないもの、と理解し、釈迦の不名誉になるよ、と考えていた、と思います」 日本人にとって、仏教って、そこまで「絶対的」だったのでしょうか? 「宗論は、どちら負けてもキリストの「勝ち」」 スゴイっす。ピンと来るものがありますね。
お礼
再度の回答ありがとうございました。 回答の前半は、難解で、残念ながら、理解できませんでした。 後半は、 <キリストの「勝ち」」> ですね。宗論により、信徒が育ってくれれば、勝ち負けなどどうでもよく、キリストは喜ぶのですね。
- kurinal
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こんばんは。 >「”宗論はどちら負けても(ないし、勝っても)釈迦の恥”と言われています。日本は、恥の文化、と称されているためですね。」 そうですか。 教える側が、力、及ばなかったのでしょうね。 仏教?について考える時に、「日本は恥の文化」って、どういうことですか?? >「西洋では”宗論はどちら負けてもキリストの「 」”になりますか? 」 「どちら負けても」は有り得ない、ということかと思います。
お礼
解答ありがとうございました。 当方の力不足で、折角頂いた解答をよく理解できませんでした。下のように理解すべきなのか、あるいは他の解釈があるのか、分かりませんでした。 1、宗論では、どちらかが負ける(勝ち負けがある)ということは有り得ない。 2、キリストにとっては、どちらかが負ける(勝ち負けがある)ということは有り得ない。 江戸時代の川柳に「宗論はどちらが・・・・・」がありました。当時の庶民が、仏教をどの様にみていたか、が分かります。日本人にとって、宗論は、仏教を理解するため切磋琢磨するもの、ではなく、外聞が悪い・みっともないもの、と理解し、釈迦の不名誉になるよ、と考えていた、と思います “日本は恥の文化”については、ルース・ベネディクトの考えから借用しました。 <日本の文化を外的な批判を意識する「恥の文化」>―Wikiから引用―
- suzumenokox
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こんにちは。 仏教のそういう言葉は知りませんでしたが、それは釈迦がそこまで頼りにされていたということだと解釈できると思います。キリストに関しては「恩」ということになるのではないでしょうか。二つを併せて、「徹底的に頼りにされながらそれぞれをクリアした恩人に感謝の気持ちを持つことの大切さ」という結論に結び付けるのも面白いと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 <恩人に感謝の気持ちを持つことの大切さ> ということで、”恩”になるのですね。 なお、”…釈迦の恥”は、江戸時代の川柳と言われています。
キリストは宗論をする民衆の罪を許すというスタンスですかね どちらにせよ後生の人間が勝手にやっていることですが、勢力温存、まじめな信仰心、が混じってます・・・これが人間か。 答え「許し」ってことで・・・
お礼
早急な回答ありがとうございました。 <これが人間か> と、キリストは嘆息したようですが、結局 <許し> たのですね。
- toom00b
- ベストアンサー率12% (1/8)
宗教に 勝ち負けは ありません 全ては 同じ目的・・ 違うのは 行き方が 各駅停車で行ってるのか 急行で行ってるのか 新幹線なのか 飛行機なのかって感じです
お礼
早急な回答ありがとうございました。 おそらく、宗論とは、建前的に、どの交通機関を利用すべきなのだ、と思います。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8861)
”宗論はどちら負けてもキリストの「 勝ち 」” 翻訳すると 「漁夫の利で シャア」\(^^;)...マァマァ zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
お礼
早急な回答ありがとうございました。 両者が論争をすることで、キリスト教の理解がより進み、キリストはにんまりと笑っていることでしょうね。
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