• 締切済み

カリスマと人望の違いについて

私が以前読んだ小説に、「カリスマはあるが人望はない」と評されるリーダー格の人物が登場したのですが、私にはどのような性質を言っているのかいまいちよくわかりませんでした。 これは今まで私がカリスマ性と人望を同じものとして間違って認識していたからでしょう。 しかし、分からないことは他にもあります。 作中ではおそらく、「仲間(手下)は集まるがリーダーの言うことを聞かない」というような状況を指していると思われるのですが、私には「カリスマってそもそも人を従える素質じゃないの?」と思えるのですね。 つまり、カリスマがあるのに仲間(手下)が言うことを聞かない(作中で言えば「人望がない」)、ということは矛盾しているような気がするのです。また、その仲間にしても、「従うつもりがないならなぜ仲間になったのか?」と思います。 (1)「カリスマ」と「人望」はどのように違うのでしょうか。 (2)「カリスマがあるのに人望はない」という状況が飲み込めないので、分かりやすく説明してほしいです。

みんなの回答

回答No.8

こんにちは。 カリスマというのは、特殊な能力を持っているかのように、多くの人を先導したり、感化させたり、時には、威圧したりする力のことだと思います。ある意味では、非人間性を現しているのではないでしょうか。 それに対して、人望というのは、要するに人から尊敬されたり、信頼されたりすることです。ただ、内面的なものを知らない限りは、なかなか、その人に人望があるとは言いにくいと思います。 例えば、政治家の田中角栄さんは、カリスマ性もあり、人望にも厚かったとは言われるものの、人望について、本当のところは、疑問がつくかと思います。意図的に行っていたとも言われますし、現在でも、議員さんたちは、彼を真似て、特に、人の葬式の時には、議員秘書や本人が香典を持って駆けつけるスタイルは続いているようです。 先日、相撲協会理事選挙で、九重親方(元千代の富士)は選ばれませんでしたが、ふと、彼の現役の頃の相撲部屋内の評判の悪さを思い出してしまいました。彼は、当時から人気も強さもダントツだったにも関わらず、人望という点では、どうだったかと思います。 私は、「カリスマがあるのに人望はない」という言葉を考えるうちに、本来、この2つは相反するものではないかという気がしました。カリスマ性は非日常性の力であるのに対し、人望は、大げさではない心遣いが基になる、いわば日常性なのだと思います。 さて、#2様に反論を立てるようで申し訳ありませんが、ビリー・グラハムが出てきたので、この人について言わせていただきたいです。もう、40年近く前に活躍した、テレビ伝道師として有名ですが、今の人たちは、知らないと思います。ただ、テレビだからこそ、論理的・分析的な目で観ることになるのだと思いますが、当時、私は、あんなインチキ臭いやらせの演出で、感動するなんていうのは、アメリカ人というものは、バカなのかと思いました。あのように人を感動させるような手法は、日本の新興宗教団体の集会のそれと大差がありません。 私には、新約聖書の「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い」という言葉を真っ先に連想させられます。アメリカ国内外でも、グラハムには、辛辣な批判を加えた人たちも多くあったし、映画で、彼を批判する内容のものもありました。ただ、日本と同様、宗教団体には、集票力や集金力があるから、政治的に利用されるのだと思います。 カリスマは、好き嫌いとは別に、多くの人に一種の威圧感として分かるけれども、人望というのは、信じている人には、そうと見えても、そうではない人には、別の面が見えるものだと思います。それは、内面性の問題なのだろうと思います。

hr95122
質問者

お礼

なるほど。 そうするとやはり、カリスマは「パッと見のオーラ」、人望は「人となりを知った上での信頼」というようなことになりますかね。 回答ありがとうございました。

noname#208507
noname#208507
回答No.7

> (2)「カリスマがあるのに人望はない」という状況... リーダー格の人物とは、その小説の悪役、または手下に裏切られる役ですか? ・読者が共感できない人物である方が、ストーリーに都合が良い。 ・しかし性格が悪い、または手下が従わないのにリーダーという設定は不自然。 そこで作者はすこし無理のあるのを承知で、解説を加えたのではないでしょうか。「カリスマがあるのに人望はない」と書いておけば、読者が(なんとなく)納得しやすいと思って。

hr95122
質問者

お礼

確かに、私は作者の「カリスマがあるのに人望はない」という表現で「まあそんなものか」と少なからず納得した部分はありますね。具体的に理解できなかっただけで。 回答ありがとうございました。

hr95122
質問者

補足

手下たちはあくまで従わないだけで裏切るわけではないのです。 no.4の方のところにも書きましたが、「良かれと思っての独断専行」なのです。 手下たちは、リーダーの目標などに惹かれて仲間になったわけですが、たとえリーダーがダメだと言ったことでも、「いや、こうするのが一番リーダーのためになるはずだ」と信じて疑わず行動に移すわけです。

  • fxq11011
  • ベストアンサー率11% (379/3170)
回答No.6

まず、人望あり、とリーダーシップはまったく無関係。 カリスマ性ありとリーダーシップは一部相関あり?、形はとれるが、ついてくるものがなければ意味なし。 人望=ただの人気投票 カリスマはその個人に着目した表現、人望はその個人の周囲に着目した表現。 したがって、その個人と、その周囲の関係については何も表現していない、リーダーたるには、その関係も重要。

hr95122
質問者

お礼

>カリスマはその個人に着目した表現、人望はその個人の周囲に着目した表現 なるほど……。 理解の助けになりました。 回答ありがとうございました。

  • akeshigsb
  • ベストアンサー率49% (536/1074)
回答No.5

あなたの意図する回答になるか分かりませんが、現在巷で使われている「カリスマ」と「人望」について書きます(語源などは他の方が書かれているので)  「カリスマ」ですが、世間的に有名になったのは「浜崎あゆみ」さんや、「美容師」の前に付いて「カリスマ美容師」等によってでしょう。出版社等が彼女らにカリスマを使い始めた理由として「スーパー等では表現しきれない人知を超えた魅力・能力がある人(達)」ということです。人そのものに魅力があるというわけでなく、まず彼女らの能力に魅力があり、それに付随して人としても魅力があるであろうということです(そのような能力を身につけるにはそれ相当の努力をしている・才能があるはずで、そこを魅力とすると人としても魅力があるということです)。  一方、人望ですが、これは仕事等の能力ではなく「他人に共感できる能力があるか」ということだと思います。人が、「この人、人望があるだろうな」と感じるのは、窮地に陥った自分の感情を理解しそのサポート(助言だけでも)してくれる人でしょう。こうした人が困っている状況を理解する力、そこでどのようなサポートを求めているかを瞬時に判断できる力の有無が人望の有無になっていると思います。  勿論、こうした能力は管理職に求められることであり、この能力が突出して「カリスマ管理職」にもなりえますが、これはまた違った見方です。  両方の例を挙げるとカリスマは「高嶺の花」であり、人望は「良妻賢母」と言えるでしょう。カリスマは凡人ではなく、また自分が近付けない(ライバルや対等と見なせない)人であること、人望は相手から自分に近づいてくれることからこうした例にしました。他にもカリスマは「猫(こっちを見向きもしない)」と人望は「犬(こちらのサポートをし評価を上昇させる)」などもあるでしょう。

hr95122
質問者

お礼

非常に分かりやすい例でした。 能力などではなく、人間的・内面的な信頼が、人望につながっていくのですね。 回答ありがとうございました。

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.4

芸能人のたとえはなるほどと思いました。 カリスマというのは元来は神が与えた特別な力らしいですが、英雄とか指導者に備わった資質でしょう。 「カリスマとそれに帰依する者」というのはウェーバーが支配類型のひとつとしてあげたもの、だそうです(広辞苑・2)。 特殊な能力をもった教祖様とその下に帰依する手下だとしたら質問でおっしゃるように、影ではそれに反発するとか従わないという事は起こりにくいように思います。(カリスマ型はそういう官僚型の支配スタイルではない) ただその意味から転じた俳優や歌手が多くの人を心酔させる能力(広辞苑.3)という意味だったら1の人が言ってることは成り立つなあと思いました。 ですのでその本の言ってるカリスマは支配ではなくて演説能力や容姿がすぐれているということではないでしょうか。(手下の人望が無いとしたら支配類型としては官僚型そのものでしょう) ただ2の人が言っているように超能力というのは実際には無いわけですから、現代ではカリスマはいつかは扇動政治家として引きずり下ろされる物なのかもしれない、そういう局面への移りかわりの時期はあるとも思いました。そう考えると宗教的な心情というのは現代でもやはり気をつけなければいけないものかもしれませんね。 本当に優秀なデマゴーグは自分は官僚であるという立場を捨てないで、その外に宗教的なシンボルを聖域として立てて利用するかもしれません。 https://www.google.co.jp/#q=%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%80%80%E6%94%AF%E9%85%8D%E9%A1%9E%E5%9E%8B http://philosophy.hix05.com/Politics/politics102.reign.html

hr95122
質問者

お礼

リンク先、参考になりました。 私やその小説が意図した「カリスマ」というのはもちろん「広辞苑3」の意味でしょうけれども、その手下たちも別に反発したわけではなく、「良かれと思っての独断専行」ですので、「広辞苑2」の意味でもあながち間違いではないように思いました。 今にしてみれば、その小説での「カリスマはあるが人望はない」というのは、「味方を増やす素質はあっても統率力がない」といった類の意味にも取れますね。 回答ありがとうございました。

回答No.3

カリスマとは、アニメ、巨人の星に出てくる、星飛馬の様な存在です。 この人、天才すぎる。 ですから、皆で、いじめてやりたくなってくる。 天才が天才を認めるというのがありますが、 その天才よりも超えた天才を見てしまうと、相手をたたきつぶしたくなってきます。 そのたたきつぶしたいほど、あこがれてしまう存在が、カリスマじゃないかな。 だから、カリスマを持った人って、絶えず絶望せねばならない。 そして、そこから不死鳥の様に舞い上がってくれなければならない。 そして、不死鳥になったら、また、皆で叩き潰してやりたがる天才達が集まってくる。 巨人軍の川上。これって、おとなげない事を子供の頃の星飛馬にやってしまう。 それは、どうだ。俺は偉いんだぞという事を示したいがゆえにです。 天才が、それ以上の天才を見たら、どうだ、俺が偉いんだぞと大人げない人間、矮小な人間いさせられる人間こそ、カリスマを持っていると言えるでしょう。 だから、星一徹は、親であるがゆえに、一生懸命に、鍛えたのですが、 その親である星一徹まで、狂ってしまって、「親が、子供を超えただと。そんな事は許せん。だから、子供である星飛馬の前に立ちはだかって、挑戦したい。」とまでならせる超天才の事をカリスマと呼びます。 また、大リーグボール1号を打つ時の花形満。 破滅のスイング。鉄バットに超ド級の重りをつかって打撃の訓練。その先に破滅があろうとも、それでも、挑戦して戦いたいと思わせる天才達のあこがれの存在。 これこそ、カリスマです。 ですから、一見、このカリスマの前では、誰もが、敵対していて、実に人望が無い様に思えるのですが・・・・・ だから、ツンデレなんですよ。 人望のツンデレ状態を起こさせるのがカリスマなんです。 カリスマを持つ人間は誰もが大好きなんですが、超天才達は、自分の存在価値が薄れる事を恐れて、敵対する。そして、立ちはだかるが、実は、大好きなんです。 実は、ボーイズラヴ状態なんです。 ナルシスト状態なんです。 危ないラブでもOK状態。 これが、カリスマと超天才との間にある断絶なんですね。 カリスマと人望の関係が分かったかな~!! 人と言うのは、本当に人を愛したら、ツンデレ状態になってしまうものですよ。 であるから、表面的な人望なんてくそくらえというのが、本当の愛じゃないかな。

hr95122
質問者

お礼

叩き潰してやりたいと思いながらも「この人に従おう」と思わせるのがカリスマも人望もある人、ということでしょうかね。 回答ありがとうございました。

  • Him-hymn
  • ベストアンサー率66% (3489/5257)
回答No.2

(1)「カリスマ」と「人望」はどのように違うのでしょうか。 カリスマは、もともと聖書のペンテコステ以降の、聖霊の賜物(たまもの)のことを表すギリシア語です。すなわち、神の霊によって与えられたものを表し、ことに、聖書では、霊的な高揚を示す、異言と深く結びついて用いられています。 ですから、人を越えた力、霊力によって、見える形、聞こえる形での超能力のことです。そこから、超人的に大衆を酔わせて扇動する人をいうようになりました。 一方、人望とは、超人的な能力とは無関係に、むしろ、徳と結びついて、人徳を見込んで委ねてもいい人、この人なら大丈夫と周囲が評価する人が持つ性質です。人望が篤い人は、周囲から尊敬され、信頼される人です。超人的、洗脳的、扇動的に人を引きつけるのではありません。 (2)「カリスマがあるのに人望はない」という状況が飲み込めないので、分かりやすく説明してほしいです。 1.ヒトラー ヒトラーは、ドイツ国民を扇動し、地位を築き、ユダヤ民族を根絶やしにしようとしました。まさにカリスマ性を持った人物でしたが、人望があったかと言えば、なかったと言っていいでしょう(一部の人は人望があったと思うかもしれませんが)。 2.ビリー・グラハム 20世紀最大の伝道者と言われたビリー・グラハムは、何万人という聴衆を、特大スタジアムに集め、説教をしました。そうするとキリスト教に改心する人がたくさん出たのです。それをあちこちの国でやりました(日本ではそんなに成功しなかったようですが)。 彼は、カリスマ性がありました(それを引き継いだ息子にはカリスマ性がなく、この伝道方法は廃れたようです)。 さらには、彼は、忠実に信仰生活を営み、ホワイトハウスで危機的なときに、祈りに呼ばれたりして、政治家からも人望が篤く、教会の人たちからも慕われていました。この人は、ヒトラーとは違い、カリスマ性があり、かつ人望がある人だと言えましょう。 3.小泉純一郎 彼は、カリスマ性がありました。今回の都知事選でも、かつてほどではないにせよ、その演説では、カリスマ性を発揮していたと思います。人望に関しては、何とも言い難い人です。人望があったとも言えますし、さしてなかったとも言えます。彼はカリスマ性はあっても、人望に関しては、突出してはいなかったということかなと思います。 以上で、少し意味の違いがわかってくればと思います。

hr95122
質問者

お礼

カリスマは「パッと見で感じるような『すごさ』」、人望は「その人物の言動、性格を知った上での『評価』」ということですかね。 「すごいオーラ」を発しているのに、実際はちゃらんぽらんな人物、そういう人が「カリスマはあるが人望はない」と評されるのでしょうか。 回答ありがとうございました。

  • 1paku
  • ベストアンサー率21% (344/1575)
回答No.1

たとえば、芸能人なら、写真集の売り上げなど、ファンの多少がカリスマ性。 その人をよく知ってる芸能関係者の評価が人望。 仲間内の評判は悪いが、視聴率が取れるから、写真集だせば売れるから、というタイプのタレントが、カリスマはあるが人望はない人でしょう。

hr95122
質問者

お礼

なるほど……! カリスマ性というのは一目ぼれのような、見る人を引き込む魅力のような性質で、人望というのはその人となりについての評価の良し悪し、というようなことですかね。 私の例でいえば、「リーダーの掲げている目標などが崇高だから仲間は集まるが、リーダーの人望がないので仲間の各々が勝手に目標に向かって邁進している」ということでしょうか。 なんとなくですが理解できたと思います。 回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 起業家に必要なカリスマ性って?

    将来起業を目指してる30代女性です。 私が読んだ起業関係の本に、起業家として必要なものの中に「カリスマ性」と言うものがあげられていました。 が、カリスマ性・・・!鏡などで自分を見ても、ただのやつれた母親です。でも昔は趣味仲間をまとめたり、学生の時もクラスのリーダー的存在ではありました。 が、今は学生ではありません。趣味の仲間も私が子供を産んだあたりから、特に私が「将来起業する!」と決めた時点で決定的な温度差を感じてます。 友達がいないわけではないですが、いざと言う時に私を助けてくれそうな人が誰一人として心当たりがありません。 これはやはりその人が本来持っている「カリスマ性」のようなものに起因してるのではないかと思います。 私は特にルックスが優れてるわけでもなく、背も小さく目立ちにくいです。昔はその分お洒落で目立ってましたが、今はなかなかそうもいきません。 でもカリスマ性のようなものがないと、人は付いてこないし、人が付いてこないことにはどんなにいいビジネスプランを立てても上手く行かない気がします。お金以上に人脈がモノをいうと思ってます。 そこで長期的な目標として、カリスマ性を持った女性になりたいと思います。どんな立場でも構いませんが、カリスマ性を持った女性と言うと皆さんはどのような人物を想像しますか? ちなみに私は「自信を持った人」だと感じるのですが、今までは高収入を得ること、素敵な男性・女性と交流を持つことで自信が出てた気がします。 が、昔と同じ自信を求めるのは無理なため、他に価値観を見出す必要があります。 シングルマザー起業家で自分に自信をつけられる価値観、あるとしたら何でしょう?ちなみに今は実家暮らしなので「一人で子供を育て上げてる」と言う自信はありません。

  • 宗教やカリスマ、カルト団体関わる作品

    とくに新興宗教のかかわる作品やカリスマ的指導者の 登場する作品を探しています。 これまで読んだものでイメージに近い作品は カリスマもの A・クリスティ『カーテン』 永井泰宇『刑法第38条 カルト』 浦沢直樹『モンスター』『20世紀少年』 ジョン・D・マクドナルド 『夜の終り』 などです。 とくに新興宗教や、人の心をあやつる邪心をもった 人物『カーテン』『夜のおわり』のような作品を探しています。 カルト団体、過去の宗教戦争がかかわる ものでも結構です。 ジャンルはSF,時代物、ホラー、ミステリ、問いません。 また、小説、漫画だけでなく、ルポや学術論文に近いものでも かまいませんので、教えていただけると助かります。 また組織の指導者を扱った作品でも結構です。 お願いいたします。

  • 『あしながおじさん』の作者、ジェーン・ウエブスターのものとされる下記の

    『あしながおじさん』の作者、ジェーン・ウエブスターのものとされる下記の言葉は、作中の言葉でしょうか。もしそうなら、その作品名と、言わせているその登場人物名をお教えください。 もし、手紙なら誰宛の手紙か、随筆などならばどういう題名か、出典が知りたいのです。 「人間に一番大切な素質は、想像力じゃないかしら? 想像力があれば、自分を他人の立場に置き換えてみることができるでしょう。そうすれば、やさしい気持ちや同情もわいてくるし、ほかの人を理解してあげられるようにもなるんだと思うんです。」

  • 作品のタイトルが分かりません

    朧げに内容は覚えていますが、ある小説?動画?のタイトルが分かりません。以下に記憶していることを記載しますので、教えてくださると助かります。 明治以降、平成以前の3人ほどの女学生が主な登場人物で、「橋から落ちるとそこは別の場所、世界だった」という風な転移ものの小説を書いていた。日本には前からこのような小説が書かれていたと言うふうに紹介されていた気がする。1人はカリスマがあり、尊敬されていた?

  • 精神的なイジメ

    女性は精神的なイジメをすると言われますが、何故そのようなイジメをするのでしょうか? 職場にもリーダー格の女性社員がいて気に入らない社員に陰口や仕事の粗探し、ターゲットの社員がいるところで意図的に本人の口癖を真似たり、排他的に仲間外れにしようと裏で根回ししたりと形に残らない精神的なイジメをしています。 最初はリーダー格と数人の女性だけでしたが、いつの間にか女性社員の他に男性社員も加わり人数を増やして同じイジメ、嫌がらせをしています。 以前もそのリーダー格が中心で退職に追い込んだ社員がいて、必ずそういったイジメがあるとリーダー格を軸に他の社員たちを巻き込んで気に入らない社員を精神的にイジメています。 そんな精神的なイジメを繰り返す人の心理状態、人間性、性質ってどのように思いますか? 誰かを敵にしないと落ち着かないのか? 自分の気に入らない人を排他的に、仲間外れにする理由も解りません。 常に誰かを攻撃しないと気が済まないのか?

  • Van Halenを扱ったコミック・小説など

    ハードロックの名手、Van HalenとボーカルのDaveが主人公、もしくは作中で何かの形で出てくるフィクションをご存じないでしょうか。 登場人物が聞いていたとかファンだとか、どんなのでもいいです。 コミック、小説、映画、ゲームなんでもいいです。 由貴香織里の短編で主人公が聞いていたシーンは把握済みです。

  • 同人小説で、未成年者がAVを見る

    はじめまして。 趣味で同人小説を書いています。 そして今度、作中で未成年者の登場人物達がAVを見るシーンを書いてホームページにアップしようと思います。 未成年者がアダルトビデオを見る事を奨励するような内容ではありませんが、果たしてこの作品をホームページにアップしていいのか躊躇ってしまいました。 因みに、18禁的な内容のストーリーではありません。 ご回答お待ちしております。

  • 四字熟語の沢山でてくる小説

    四字熟語がたくさん出てくる小説とかってないでしょうか 例えば登場人物の中に四字熟語好きがいるみたいな設定のものです。 正直小説に拘る必要もないのですが 使う状況を知れるというのと読みやすさから小説としました。 四字熟語詳しい方ってどこから学ぶのでしょうか 四字熟語辞典をただ読むだけでは退屈で仕方ありません。 小説でなくとも関する何かおもしろい本ありませんでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 自分を変えようと

    こんにちは。 ここ1~2年、私は、自分の将来に不安を感じ、 生来、臆病で甘やかされて育てられた私は、 この先、この厳しい世の中を 生きていけるんだろうかと深刻な恐怖感に苛まれてきました。 そして、小説を読んで自分を変えよう、 厳しい状況で生きている小説の登場人物を読めば、 自分が変わるんじゃないかと思い立ち、 いろんな分野の小説を読んでみました。 しかし、正直、たくさんの小説を読んでも、 自分が変わったとは思いません。 自分を変えるために小説を読むのは、やめたほうがいいでしょうか?

  • いつの間にかトラブルメーカーになっています。

    いつの間にかトラブルメーカーになっています。 小さい頃からなのですが、他人の悪口を言ったりするわけでもなく、意地悪をしたりするわけでもないのに、いつの間にか嫌われ者になっています。 たとえばAさんがBさんの悪口を私に言い、私は何も言っていないのに、なぜかAさんとBさんがいつの間にか仲良くなっており、私が悪口を言っていたことにされて仲間はずれにされたり、いじめられている子に普通に話しかけたりすることで、いつの間にか、いじめられる対象が私になっていたりとか。 職場でも、入ったときからお局様が一方的に私を嫌い、それに右にならえで仲間はずれです。 周りの人たちもお局様がいないところでは話しかけてくれたりしますが、やはり自分に火の粉がかからないように、ほとんど知らん顔です。 男性達も、私が入った当初、さんざんしつこく誘いをかけてきて断られた人達が、可愛さ余って憎さ百倍のように、お局様の味方について、「こんなに嫌われてるのに辞めないの?」「図太いね、職場の嫌われ者なのに」など、もっとひどい言葉も言うようになってきました。 確かにお局様に私が嫌われている事で、職場の雰囲気も悪くなっており、私がいなくなれば職場の雰囲気は良くなるのかもしれないなと思います。 やはりお局様に嫌われた人が仲間はずれにされて辞めていくということが何度かあったようですが、私の時が一番ひどい状況のようです。 ですが・・・問題は、私の場合、どこに行っても、同じ状況になってしまうということなのです。 学生時代も、社会人になっても、なぜか、そこのリーダー格の人に一方的に嫌われて仲間はずれという・・・。 なぜ、いつも第一印象でリーダー格に嫌われ、その影響力から仲間はずれとなり、クラスの、職場の雰囲気を壊し、疎まれるトラブルメーカーとなってしまうのか・・・。 悪口を言うわけでもなく、意地悪をするわけでもなく・・・なのになぜ、こんな状況に陥るのか、まったく自分でわかりません。 でもきっと、自分にも問題があるのだと思います。 どうやったら人間関係がうまくいくようになるのか、リーダー格に一方的に嫌われないようになるのか・・・解決策があれば教えていただきたいのですが。 宜しくお願いします。