• 締切済み

1980年代半ばの「F1四天王」の中で一番の

お気に入りのレーサーは誰ですか?お気に入りはどのようなところですか? (四天王はアイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、ネルソン・ピケです)

みんなの回答

回答No.6

4人 う-ん全てタイトルホルダーですね プロストもセナと組んで以降はキャリアを汚した風に見えましたし セナも自分が出た時に言われた「危ない奴」というのをシューマッハに言ってた無責任なイメージがありますし マンセルはご機嫌伺わないと速く走れませんし ピケですか 昔はウィングカ-の申し子でプッツン格の代表でしたがウィリアムズに移籍して大人になりました 年俸の650万ポンドをホンダが肩代わりしたので立ち位置がおかしいと感じる中での87年のタイトルは見事でした  

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.5

fujimi-ice さん、こんばんわ。 私はアラン・プロストのファンでした。やはり、あの4人の中で一番の現実派だと思いますし、あの中で一番、自分自身に対して理論があり、理解できる人物だと思いますので・・・ ほかの3人はなんだか自分の性格と感情のままに動いてるようで私には理解できないと思います。

  • 60818
  • ベストアンサー率26% (11/41)
回答No.4
  • ga21265
  • ベストアンサー率34% (114/326)
回答No.3

私もマンセルが大好きでした。 誰よりも速いことに価値を見出だし、政治的駆け引きなんぞ 軽蔑の対象でしかない。 そんな姿勢が大好きです。

fujimi-ice
質問者

お礼

テストでも速さを求めていたと聞いています。政治的駆け引きはマンセル自体はしていなくても周りが。ウイリアムズ・ホンダ時代は、チームナンバー2のパトリック・ヘッドがマンセル専門に着いたりと、チームがマンセルとピケを不仲にさせた部分も大きかったような気がします。 フェラーリ時代は、プロストのやり方には不満だったようですね。 それぞれが勝利のためにそれぞれのやり方、マンセルの場合はとにかく速さを求めることでしたね。

  • yotani0425
  • ベストアンサー率30% (1185/3898)
回答No.2

こんにちは。 当時の私の一番のお気に入りは、マンセルでしたね。 理由は、良し悪しは別として「暴れ者」といわれていたように、行け行けどんどん・破天荒・ヤンチャで、見ていて面白かったところでしょうか。

fujimi-ice
質問者

お礼

マンセルの魅力はやはりそれですから。そして、大事なレースでスピンしリタイアも多く、それが「らしい」レーサーでしたね。「無冠の帝王」はドライバーズチャンピオンに輝きましたが、あの時もスタートでエンストさせていたような。でも、それが「ナイジェル・マンセル」なので。

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.1

ファンとしては難しいところですね。 でも、F1マシンになったとして考えるならばアラン・プロストです。 シャシーやタイヤに優しい、現代に通じる走りだと思います。 今のレギュレーションで勝てるのはセナとプロストだと思います。 民明書房刊「驚異のフォーミュラ-16連制覇」より、 かつてF1に参戦していた富士重工の前身はゼロ戦を作った中島製作所です。 そのため、富士重工の車体はシャシー中島と呼ばれていました。 制作時には車体重量を大幅に減らすことができたのですが、テスト走行前には 元の重量に戻っており、ほとんど完走することはできなかったようです。

fujimi-ice
質問者

お礼

4人それぞれ個性が強かったので難しいでしょうね。 プロストの走法はそのような走法ですね。四天王はそれぞれ不仲説がかなり言われましたが、唯一、不仲ではなく私的には友人だったのは、プロストとピケ。お互いに認める仲でもあります。ピケも完走率が高く、マシンに優しい走りだったと言われますよね。 後述については詳しくありませんので、参考にさせて頂きます。

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