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小説を書くことのメリットとデメリットは何?
メリットとして挙げられているのは、 ■頭がよくなる ■考える力がつく ですが小説を書いていても頭が良くなるのは本当かと疑問に思うし、 考える力は小説を書く以外のことの方がもっとつくような気がするんですよ。実際のところどうなのでしょうか。この二つについては詳しく教えて頂きたいです。 その他のメリット、デメリットとはなんでしょう?
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頭が良くなるとか、考える力がつくと言う話は、知りませんでしたが。 言われて見れば、鍛えられそうですね。 私の子供の時代では、本を読むと頭が良くなると言われていました。 確かに、 文章を書くという行為により、認知力が向上すると思いますよ。 人の脳みそは単純で、味噌というくらいですから、結構いい加減です。 コンピュータとは方式が違っていて、一定数の脳細胞があれば、それなりの仕事をします。 仕事に参加する脳細胞の量が多いと、精度が上がったり鮮明になったりするらしいです。 私たちは、「できる」「できない」と言う言葉で、能力を測りますが、 実際は、「はっきりわかる」「ぼんやりしている」と言うのが能力の差のようです。 ですので、普通の人と同じ生活が出来ていて、 「特に自分は頭が良いわけではないが、そんなに悪くはない」 と思っていると、 実際には、病気一歩手前くらいに、頭が悪い(医学的にとなりますね)こともあるようです。 鮮明に理解していないと、取り組めない内容が確かにあり、 これをやらせると、個人差が生まれ、この差で健康状態がわかります。 そういうテストがあります。 最初に確認ですが、 一般に言う、「頭が悪い」「頭が良い」と言うのは、 「内臓が悪い」「内臓が良い」と言うニュアンスと同じだと知っていましたか? 肉体の中の大事な部品ですので、ほとんど同じことをさしています。 内臓が悪いので長生きできない、と言う話があるとしたら、 頭が悪いので長生きできないという話もあるでしょう。 哺乳類の寿命は体の大きさ(脳の大きさ)で決まっている節があります。 人だけは、体の大きさと比較して長寿ですが、 大昔は人生50年と言っておりまして、体の大きさ相応の寿命であったと解釈できます。 明治維新から寿命が延び始め、 要因として、栄養価の高い食事、医療の発達が上げられていますが、 どうも、文盲率の低下が大きな要因じゃないかと私はとらえています。 言葉や文章を理解するためには、大脳をつかわなければなりません。 ところが、チンパンジーなどは、人間と同じ大脳の構造をもっていても、言葉や文字を 使わないため、大脳を使えずに死ぬそうです。 よく考えると、動物も鳴き声によりコミュニケーションをとります。 人間も、同じように”音のニュアンス”でコミュニケーションを取れるはずです。 としたら、私たちは言葉で会話をしているのか? 実は鳴き声で会話をしているのか? 個人の脳の使い方は、違うはずなのです。 さて、「うぜー」「ちょべりぐ」これは、言葉なのでしょうか?鳴き声なのでしょうか? 使っている脳の場所により、コミュニケーションと言うのは、どちらかが楽になります。 動物的な脳を使っている時は、鳴き声でしょう。(酔ってる時、起き抜け) 大脳を使っている時は、言葉でしょうね。 どちらも使えるほうが、健康なのですが、余りにも偏って使うと、 使い慣れていないため、使うのがシンドクなると思われます。 これが固定化されてしまったり、生まれてから一度も使わなかったりしたら、 チンパンジーと余り変わりませんから、寿命も短くなるはずです。 で、一応、そういう現象が蔓延しているそうです。 適応障害や新型ウツといわれていますが、別名幼児性ウツと言いまして、 脳が発達しきっておらず、ストレスがたまり、いつも頭が疲れてしまう病気です。 そういった背景があり、「ゆとり教育」が批判されているのだと思います。 つまりは、頭が良くなる、悪くなると言う話を、 「内臓が悪くなる」「内臓が良くなる」と言うものと同じに捉えていないと、 いけませんね(本来は同じ意味ですし、実際の体の仕組みも同じものだからです) 頭を良くする方法は、他の臓器と同じでしょうから、 負担を掛けないことと、適度に使うことです。 しかし、脳の場合は問題がありまして、働く脳の場所が仕事内容により変わります。 例えば良く言われるのは、「計算や文章は左脳」「絵を描いたり想像したりは右脳」 などです。他にも色々と検証されています。 人により左右が変わったりする様ですが、大筋で大脳を使うのだと思います。 人の脳はカロリーを良く使うらしく、全体の25%消費するらしいです。 ところが、文章ばかり書いていると、当然ながら左脳だけ疲れるはずです。 これは肉体で言うところの筋肉痛が生じますよね。 としたら、絵を描いたり(一般に右)、音楽(一般に大脳以外、運動と同じ)を聴 いたりして、別の場所に血液を送り込めば、楽になるはずです。(マッサージですね) ストレス発散などで、 運動が効果があるとか、音楽があるとか、自然を眺めるのがいいとか、 いろんなことが言われていますが、音楽だけを聴いていると、同じように疲れて、 変調をきたしますし、運動や絵もやりすぎると、体調を崩します。 単に、同じ場所を使いすぎると、疲れると言うことです。 さて、こうして考えると、 脳は沢山の血液をもらい、沢山カロリーを消費するように出来ているのに、 一部の場所(左脳、右脳、前頭葉などの大脳)を全くつかわないとなった場合、 その血液はどこに集中するのでしょう? 大脳のほうが大きいわけですから、窮屈な場所に沢山血が集まるはずです。 勿論、その場所が疲れてしまい、体調を崩すはずです。 しかも、そこが動物としての本能を司る脳であったばあい、性格や性質も悪くなり、 俗に言う悪徳ばかり考え付くことになります。 質問者さんの言う、 考える力は、心臓から最も遠い、おでこの辺りまで使って実施すると思われます。 ですので、途中にある、左脳や右脳を使い慣れていないと、血液を送り込み辛い んじゃないでしょうか。 また、この論法から応用すると、左だけ使うと疲れやすいはずです。 なので、文章を書くとか読むとき、計算をする時は、同時に絵やシーンを想像すると 疲れないことが知られています。 問題なのは、あんまり使っていないと、使おうとしただけで強烈な頭痛がするそうです。 ためしに、会社の同僚で実験(絵を想像しながら文章を読む)した時、 その人は頭が痛くなって動けなくなりました。 これくらい、普段は頭を使っておらず、鈍っており、健康を害する一歩手前の状態を、 普通だと思って生活しているわけですね。 さてご質問に対しての考えとしてまとめます。 頭が良くなる、悪くなるというのは、本当は健康の話です。 利発な人は、脳が健康であると言うことです。 これを成すためには、大雑把に血液を満遍なく脳に送り込み、偏らないようにする。 普段まったく字を読んだり書いたりしない人は、特に危ない状態だと想定する。 この人は絵を見たり、書いたりしても(前より)頭が良くなる。 当然、字を書いたり、計算したりしてもいい。 楽しく長く続けるために、日記でも良いし、コラムでも良い。 物語が好きな人は、小説に挑んでも良い。 デメリットとしては、使いすぎると同じ場所が更に活性化し、 自分では止められなくなるため、中毒症状が起きる。(文章書きも同様) そのため、運動したり、音楽を聴いたり、絵を描いたりして、脳をほぐすことが大事。 特に音楽は、ギリシャ時代に哲学者により、リラクゼーションのために発明されたもの。 現代の天才を遥かに凌ぐ、超天才が、頭を使いすぎてウツになるため、 職業上での対抗策として発明したそうです。 現代音楽の音階は、ピタゴラス(数理物理学者)が作りました。 動物的な脳を使いすぎて、嘘や恨み、怒り、盗み、サボりなどの症状が多発する人は、 文章や言葉、絵、憧れや夢(最も健康な状態の脳しかできない。しかも最も知能が高い) から縁遠いせいと考えましょう。 昔お札と言うのがありました。 これは迷信ではなく、野党など、悪徳に染まったひとや、恨みで心が暗くなった人、 にとっては、頭が痛くなる図案であり、本当に魔よけになったのだと思います。 (悪徳は、文字や絵を見ると、頭痛がするくらい、不健康な人だけが出来る行為) さて、こうして考えると、文字を見たり、数えたり、絵を見たりするだけで、 頭が良くなるのでは無いでしょうか? 更に、動物的な脳を使うシーンが減るため、性格もよくなるのでは? 冒頭で脳のつくりが意外と単純と言いましたが、本当にそうなります。 左脳を使わないで、数を数えれる限界が、どうも3までのようです。 ですので、自分が良く知っている何かについて、想像しながら4つ以上指折り数えると、 それだけで脳に血液が大量に送り込まれ、目が覚めます。 逆にこれがきつい人は、まずはここからです。 おきぬけは、一つしか思い出せず、次に二つ。次に三つ。 この段階で、人は普通に目が覚めたと思い込み、四つ目を思い出すことを嫌がります。 ここが頭が良く動くかどうかの境目であり、頑張って四つ目にトライします。 すると、これだけで相当頭が良くなります。(20分ぐらいしか持ちませんが) また、歌いながら文章を読んだりすると、これは大変良いことなりますよね。 つまり、お経です。(南無阿弥陀仏は3拍子。何妙法蓮華今日は8分の6拍子) 内容は、高潔な知性の人が書いた文章であり、頭にしみてくると、脳が楽になります。 以上から、小説を書くと頭が良くなるのではなく、一つの方策でしょう。 昔から、脳の使い方により、健康と知性と高潔さを同時に手に入れる方法は考えられています。 如何にして大脳に血液を送り込むかを考えれば、 御大層な事をしないでも、日常の習慣でかなり効果が期待できます。 以上、ご参考になれば。
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- izumi044
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考えたこともありませんでした。 頭がよくなるのかはわかりません、考える力がつくかも難しいところです。 小説を書くということは、自分で世界を創るということですから、構成力という意味で「考える力」はつくかもしれません。 しかし、好みの世界を描くわけですから、自分の嫌いな世界とどこまで向き合い考えるかは、また別問題のように思います。 ※自分の嫌いなタイプはいつでも悪役とかだと、ある種の思考停止ですので。 メリット ・言葉を覚える 物の名前一つとっても、知らないと書けません。 ・調べることで知識がつく 嘘を書くわけにはいかないので、作品を書く時にはきちんと調べることが必要です。 ※テキトー、ダメ、ゼッタイ また、実際の場所を描く場合は、フィールドワークもしっかりしたほうがいいと思います。 これをするならば「経験も積める」ということにも繋がると思います。 デメリット 読んでもらえるならば ・客観視できなければ、単なる押しつけ・感情の垂れ流し。(人に苦行をしいて嫌がられる) ・ちょっとした間違いでも、人によってさんざん馬鹿にされる。 ※精神的なダメージを受ける可能性大 読んでもらうことが恥ずかしいならば ・黒歴史の積み重ね 個人的な意見ですが、一番のデメリットは「プライドが高くなる」じゃないかなあと。 自分が書いてるだけに、こんなのつまらない・駄作とか、他人に対してめちゃくちゃ厳しい意見を出す人とかいますので。
「小説を書くこと」って、 誰かに読まれることを想定されているのですね。 その作品によって、 金銭的に得るものがあるかどうかは別にして―― メリット 1.自らを見つめなおすことができる。 どんな設定、展開をしたとしても、 どこかしら筆者自身のクセが現れます。 2.無意識的に行っていた動作や行動を 明確に意識的に知覚することができる。 その前提でのデメリット。 自らの弱点を他人にさらしてしまう。 メリットの「1」の真逆です。 あなたを貶めたい人にとって、 最高の材料提供になります。 そして、参考になりますかどうか―― 我が若き頃の愚かしさ(つまりは小説を書いて投稿しました)を 恥さらししてしまうならば、 筆者は登場人物を動かし得うる「万能の神」である、 などと考えてしまいました。 その考えは実生活にも及び―― その先は、あまりにもひどすぎて申し上げられません。 (言うまでもないことですが、 その小説は、一次選考さえ通りませんでした……(泣) しかしながら、小説を書くという行為は、 質問者様にとって、 何らかの成長の糧にはなるかと思います。 小生のように、方向性さえ間違えなければ、という 条件つきですけれども。 (もっとも小生のようなクソ馬鹿野郎は 少数派だとは思います) 是非とも、小説に挑戦してください。 きっと何かを掴めるのではと思います。