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五胡十六国時代とかについて

五胡十六国時代とか戦国時代についてなのですが 例えば、戦国時代を見ると「魯」とか「周」みたいな極小の国が内陸にありますが 今みたいに核とかなく、数だけがものを言うような時代でなぜ独立出来ているのでしょうか?

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  • tanuki4u
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回答No.2

基本的には強国同士が互いに牽制しあうために、中間の小国は併合を免れる。 ということになります。 周は、日本の戦国時代で言えば、皇室というか公家集団の国です。 戦国の五覇というのがありますが、これは戦国時代の強国が「周の皇帝の命令のもと、王である俺の言うことを聞け」(聞いて、外部民族と戦うぞ)というものです。 皇帝を倒したら(周を併合したら)他の国が連合して攻撃する理由となってしまいます。 紀元前260年に趙への侵攻軍を率いた白起は、長平の戦いで撃破した趙軍の捕虜40万を坑(穴埋にして殺すこと)した。 紀元前256年、武公の西周は諸侯と通じて韓と交戦中の秦軍を妨害したため秦の将軍摎の攻撃を受けた。西周君は秦へおもむき謝罪しその領土を秦に献上した。 紀元前254年、天下の諸侯が秦に入朝したが、魏が入朝しなかったため、楊摎に魏を討たせ呉城の地を取った。秦は絶頂期を迎えた。 紀元前247年には魏の信陵君が率いる五カ国連合軍に攻め込まれた秦では、王齕と蒙驁の迎撃軍が敗退し函谷関まで撤退させられた 秦は趙を倒すことで、圧倒的になり、周を保護下に置けたが、多の連合国が生まれて函谷関まで撤退せざるを得ない状況にもなっている。 西洋史で言えば、ポーランド分割 ロシアとプロシア、オーストリアがお互いに牽制し合えば独立を保っていたが、隣国の強国が談合に成功すれば、分割、最終的にはポーランドがなくなるということになります。 圧倒的な強国が産まれるまでは、小国も「緩衝地帯」として生き延びることが出来ます。

その他の回答 (1)

  • 0fool0
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回答No.1

周の前王朝の殷の時代には、国は2000程度、周時代には200程度、戦国時代に入ると十数カ国になります。 時代の流れと共に徐々に統合されていき、時に分裂しながらも国の数は段々と集約されていきました。 殷の当初はギリシア時代のような都市国家による連合国家の形態だったようです。 それが徐々に中央集権化が強まり、国の数が集約されていったようです。 五胡十六国時代はそれとは違い、晋王朝の崩壊と、それを引き起こした各地の勢力が王として乱立した時代です。 時代背景としては魏が皇族の力を抑え過ぎた為に家臣の司馬氏の台頭を招いたとして、晋では逆に皇族の権力を強めたとの説があるようです。 その諸侯王が傭兵として異民族を登用し、それら異民族の軍事力がそれぞれの小国の独立を赦してしまった要因になったようです。 今風に言えば、皇帝が皇族の諸侯王(地方政権)に核の所有(つまり軍事力)を許可したようなものです。 それが最終的に、異民族の手にまで渡って、その軍事力で独立を果たしてしまうと言う感じでしょうか。 一度それぞれの国が細かく分裂してしまった(軍事力が分散した)為に、再統一には130年以上を要しました。

ninntomo
質問者

お礼

ありがとうございました

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