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宗教浸透における聖書と伝道師の役割を教えて下さい
聖書(それに準じるもの)や伝道師によってどのように宗教が浸透していったのか教えてください。 例えば聖書がどのようにして使われて信仰が広まったのか 伝道師がどのように信仰を浸透させていくかなど 参照元を付けていただけるとありがたいです。 キリスト教でもイスラム教でも仏教でも構いません。 よろしくお願いします。
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No.1です 補足を頂戴して御主旨が判りましたので説明さていただきます。 >教祖であるイエスやブッダの死後にそのはなしを伝え聞いた弟子たちが経典を編纂したものだと言われています。 ご指摘の通りです。 キリスト教やイスラム教と仏教では、編纂の過程がやや異なります。 キリスト教やイスラム教の場合には、ご指摘の通りの過程ですが、仏教の場合はやや異なります。 仏教の場合には、南方仏教(小乗仏教)の場合は、ご指摘のケースと同じですが、日本に伝わった北方仏教(大乗仏教)の場合はやや趣きが異なります。 北方仏教(大乗仏教)の仏典(お経)は、教祖である釈迦死滅後約500年程経った時期に、信徒が釈迦ならこのように言ったであろう、このように考えたであろう、という推測というか議論を基に新たに作りだされました。 その過程で各々の主張が入り込みますので、個々の説というか仏典(お経)を比べると矛盾が多々あります。 なにせ全部で3527の仏典(お経)があります。 これに日本人独特の解釈が加わっていますので、日本の仏教はインド古来の仏教とは相当に懸け離れています。 たぶんお釈迦様に聞けば、わしゃそんなもん知らんというでしょう。 >つまり、教祖が死ぬ前は本人が自ら口で人々に教えを広めていましたが、教祖がこの世を去った後には「言語化」することで宣教師たちが経典をもちいて教祖の教えを歪みなく伝えることができたのではないかと考えています。 「歪みなく」というところが問題です。 何分にも、本人にも、書いた人にも、確認ができないので、遺された聖典を読んで、この文章をおれはこう解釈する、いやおれはこうだということが起きてきます。 キリスト教で、この論争を大々的にやったのが、いわゆるヨーロッパ史で宗教改革と呼ばれるものです。 未だに意見が分かれていて、カトリックだのプロテスタントだのとやっています。 >そのようなエピソードや具体的な話が書かれている書籍や文献等があれば是非教えていただきたいと思っています。 あの人がこうやりました、この人がこうしましたということを簡潔に正確に纏めたものは寡聞にして知りません。 ご希望に近いものとしては 蓮如 五木寛之 岩波新書 が手頃ではないかと思います 極めて間接的ですが バベルの謎 ヤハウエストの冒険 長谷川三千子 中公文庫 旧約聖書にかかわるお話です ローマ人の物語 塩野七生 新潮社 キリスト教がヨーロッパに広がったのはローマ帝国が国教化したことによるものと考えられています。 その歴史的な経緯が書かれています。 宣教師の活動については 沈黙 遠藤周作 新潮文庫 遠藤周作は敬虔クリスチャンです。 作品の末尾に、宣教師に「この国の民が信じた神はわたしが教えた神ではない」と言わせています。 日本人の宗教観を考える上での参考になるとか思います。 日本仏教の歴史的経緯としては 日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 コンパクトに判り易く解説されています 逆説的なものとしては 聖徳太子はいなかった 谷沢永一 新潮文庫 聖人というのは、ときとして作り上げられていくことがある、ということが書かれています。 但し、本書の主張の真偽は不明です。 以上ですが、何かあれば遠慮なく補足をお願いします。 蛇足 儒教は本来宗教です。日本の儒教は箴言や訓話の部分だけを切り取ったものです。 中国や韓国の人達とは基本的に解釈が違っていることにご注意願います。 参考 儒教とは何か 加地信行 中公新書
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ご質問の主旨がよく理解できません。 「宗教」というものをどのような範囲を指す言葉とお考えになられておられるのでしょうか。 キリスト教、イスラム教、仏教はいずれも聖典である聖書、コーラン、経典をもって成立しています。 聖典を持たない日本の神道も含めて宗教とお考えでしょうか。 聖典をその存続基盤としているものについて、その役割とは、どのようなことをお考えになられておられるでしょうか。 例えば、犯罪というのは、法があって初めて成立します。法が存在しなければ犯罪というものも存在しません。 法を文字として書き表したものが日本国憲法などの法律書です。 逆に言うと、聖典がなければ、キリスト教、もイスラム教、も仏教も成立しないというか存在しないこととなります。 聖典の有無に関わらず存在しうる信仰と同一にした上でのご質問でしょうか。 再度、補足を頂戴できますでしょうか。 尚、「宗教」という言葉は明治時代になってから作られた言葉です。 言葉の定義はキリスト教圏の言葉を翻訳した関係で、キリスト教圏での定義が適用されています。 その定義にしたがえば、文字として書かれた聖典を持たないものは宗教から除外されます。 日本の神道は宗教とは認められないこととなります。 邪教、風俗となってしまいます。 学問上とは全く異なってきます。 学問上は日本の神道も宗教に含まれます。 学問上は信仰とか信心のほうが適した言葉となります。 日本語は本当にややこしいです。
補足
返答が遅くなってしまい申し訳ありません。 回答有難うございます。 宗教の定義もよく考えずに質問をしてしまい申し訳ありません。 ここで質問する「宗教」の対象は今現在経典が存在していて比較的多くの人びとに信仰されている宗教ということにさせていただきます。 確かに経典がなければ宗教とは言えないかもしれないですが、3大宗教も本人が直接広めていた時期は経典は勿論なく、経典はキリスト教や仏教などにおいては教祖であるイエスやブッダの死後にそのはなしを伝え聞いた弟子たちが経典を編纂したものだと言われています。 つまり、教祖が死ぬ前は本人が自ら口で人々に教えを広めていましたが、教祖がこの世を去った後には「言語化」することで宣教師たちが経典をもちいて教祖の教えを歪みなく伝えることができたのではないかと考えています。そのようなエピソードや具体的な話が書かれている書籍や文献等があれば是非教えていただきたいと思っています。 質問の意図が伝わりづらくてすみませんでした。