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利休はキリシタンだったから殺された?
千利休の茶道にはキリスト教の要素が組み込まれているのだとか もしそうだとしたら 秀吉によって弾圧されたキリシタンの1犠牲者として利休は切腹させられたのでしょうか? 親友の高山右近は追放したのに利休だけお咎めなしってわけにゃいかねーだろ って感じに
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いいえ 千利休ノの妻女・友人に、キリシタンがおり、文化的にカトリックの影響受けていたのは確かですが、 確たるキリスト教信仰は、なかったのは 自刃(自ら切腹したこと)したことから、 明らかです。 カトリック教徒に自殺は許されないという絶対的戒律から、 斬首されるか、細川ガラシャのように、自決でも、形だけは他殺にするのが、 キリシタンの慣習です。 「へうげもの」に書かれたように、茶道に対する認識の違いが、秀吉の逆鱗に触れたからですね。 皮肉にも、切腹で名を高めたがために、秀吉の好みに反し 茶道は「わびさび」であるということに、なってしまいましたが。\(^^;)...
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- Nebusoku3
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私は歴史書ではなく、物語として読みましたので史実とは多少、異なるかもしれませんが、利休の娘と 後妻がキリシタンだったとのことです。 利休はキリスト教の要素を 茶室に取り入れることがあったようです。 キリシタンの集会にも妻子と共に参加した事もあったと書いてありました。 そこで得たヒントが茶室とのことです。 キリシタンの教えが 神の前では 裸になる、つまり本来の人間そのものになると言うような考えであることをそこで妻子を通じて聞いたようです。(現存する作法のうち出入り口を1人が、かがんで入れる大きさにした。 大小の刀を持たないようにした。 つまり外界の権力も何も無い裸の状態を考案したとありました。) 又、神様を移動させる → 移動茶室の考案(御所で披露) など つまり、利休自身は キリシタンではなく、その様式を発想の原点にしたとの事がその物語ではいっていました。 利休が殺されたのは、光秀の反乱で信長が殺されたとき、徳川家康もその近くにいて、非常に危ない状態であったのを伊賀越えで逃れることが出来たことの一端に利休が絡んでいて、その事が後々、秀吉から殺される原因になったようです。
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ありがとうございます
- denbee
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もし利休がキリシタンなら、自殺を禁じられているキリスト教の信者が切腹はしないでしょう。 逆に考えると、切腹したということは、それほど深くキリスト教に帰依していなかったということになります。 そうだとすると、自分の大名の座を捨てるほど帰依した高山右近が追放で済んでいるのに、 利休は切腹となった点が矛盾します。
お礼
まぁキリシタン(キリスト教の信者)とまでは行かなかったでしょうが 利休の茶道にキリスト教の影響があることが分かっています もしかすると少なからず信仰心はあったのかも? 意外と知られてないですがキリシタンでも自害した人は結構居たらしいです
お礼
ありがとうございます