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はい/いいえの2択質問は対称か?

AさんがBさんに対して「CはDですか?」と尋ねた場合、AさんはCはDである場合とDでない場合の2通りを想定しているはずです。 しかし実際にそのような状況ではBさんは「Aの奴はCはDだと主張している」と受け取るケースが多いように思います。 はい/いいえの2択質問は、はいを想定して尋ねるという性質のものなのでしょうか? もしそうなら、はい/いいえのどちらにも偏りのない聞き方が別にあるのでしょうか?

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 折り返しありがとうございました。少しばかりの齟齬を生じさせてしまった様ですので補足します。 この命題を改めて分析しますと、「CはDであるかどうか」を判断する問題といえます。ここまではよろしいでしょうか。  これに対する答え方としては幾つかのバリエーションも生じます。 (1)「CはDである」 (2)「CはDではない」  ここまでは質問者様のご理解と同様です。けれども論理学として命題を立ててみるならば「CであるならばDである」となるはずです。となれば、この逆は「CでなければDではない」となるのではないでしょうか。  この前提に立つなら、Dが改めて問題となり、それはEである可能性もあればFである可能性もある。と同時にそれがDとどこが異なるのかとの問題にも至るはずです。この設定ならば、何れから選べとは言ってもいません。  この二択の質問の仕方をするならば、CおよびDを具体的に示した上で、その何れを選ぶかとの立て方が順当ではありませんか?  「貴方の性別は男性ですか、それとも女性ですか」とあった場合、答を「はい/いいえ」で回答することが可能でしょうか。いずれにしても「CはDですか?」との問い方は「何が」との主題が示されない限り、設問の仕方としては不十分といえます。

noname#257638
質問者

補足

命題「C→D」に対して 逆=「D→C」 対偶=「notD→notC」 裏=「notC→notD」 です。 これは議論するような性質のものではなく単なる定義であり、高校の数学(国語ではない)の教科書に載っています。

  • Zilant
  • ベストアンサー率38% (29/75)
回答No.3

何かやたら難しいことのようなのですが……。 >はいを想定して尋ねるという性質のものなのでしょうか? そうだと思います。 まあ、あまりにも幼稚な思考で申し訳ないけど、「ですか?」は「だよね?」と同じ意味ですので、「主張」というほど大袈裟かどうかは別にして、単に確認のための質問だと考えるものだろうと……。 >偏りのない聞き方 「CはDか、そうでないのか?」かな?

noname#257638
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ”「ですか?」は「だよね?」と同じ意味”というのは英語でいう付加疑問文みたいな感じですか。 ”「CはDか、そうでないのか?」かな?”なるほどあえて両方いうわけですね。シンプルですがわかりやすいです。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 このご質問ですが、最もシンプルである古典一階述語論理からすれば少し疑問がつきます。 論理学からすれば、「天気が良ければ、野球の試合を行う」に対し「天気が良くない。よって、野球の試合を行わない」が推論として「正しい推論」であるかそれとも「間違った推論」であるかとの二つの選択肢の真偽を問います。  結論からいえば、これは間違った推論といえ、その理由も簡単です。「天気が良いならば野球の試合を行う」とは言っていても「天気が良くない時には試合を行うかどうか」は一言も言っていないからです。  話を元に戻します。A氏がB氏に対し「CはDですか?」の問題に対し、解答の選択肢が二つであるとはなりません。この理由は先の「野球の試合」の事例とも似ていますが少し異なりもします。  「CがDである」とは言ってもいません。その上で「もしCがDでないならば」とも尋ねていません。ですからこの質問の仕方は不十分であり成り立ってもいない形になります。  「CであるものはDである」との命題に対し、その逆はどうなるでしょう。答は「CでないものはDでない」です。命題論理は真か偽かを判断する基準ですから、その答はYes or Noでしかありません。ですから「Dでない場合」というのは他のEなりFなりを選択する可能性を示唆することともなり、論理学的な質問の立て方からすれば成り立たないとの話になります。  論理学の表現と日本語での論理表現は異なりもしますので、問題の立て方に注意することも必要と存じます。

noname#257638
質問者

お礼

遅い時間に回答ありがとうございます。ああもう寝なければ・・・ さて、 ”ですからこの質問の仕方は不十分であり成り立ってもいない形になります。”とのことですが、”CはDである”を”C→D”の意味と定義するならば、 ”C → D”または”C → notD” ⇔”notC または D”または”notC または notD” ⇔”notC または D または notD” ⇔”notC または 1” ⇔1 なので常に真ですよ。 Aは”CはDである”とも”CはDでない”とも言ってはいませんが、どちらかは成り立ちます。 ”「CであるものはDである」との命題に対し、その逆はどうなるでしょう。答は「CでないものはDでない」です。”とのことですが、違いますよ。 「CであるものはDである」の逆は「DであるものはCである」です。「CでないものはDでない」というのは裏と呼びます。 論理的にはAは「CがDである」とも言っていませんし「CがDでない」とも言っていません。 以上を踏まえて、それなのに論理の世界を離れて日常生活においてBは「Aが『CはDである』と主張している」と受け取る人が多いのはなぜかというのが質問です。

noname#189878
noname#189878
回答No.1

Bさんは「Aの奴はCはDだと主張している」と受け取るケースが多いように思います。 >私なら「AはCはDだと思っている、もしくはCが何か分かっていなくて勘でとりあえず言ってみた」 と考えます。 はい/いいえの2択質問は、はいを想定して尋ねるという性質のものなのでしょうか? >2択のアンケートでは全部にはいをマークしますか。 はい/いいえのどちらにも偏りのない聞き方が別にあるのでしょうか? >Cは何ですか。はどうでしょうか。

noname#257638
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「2択のアンケートでは全部にはいをマークしますか。」の意味がわかりませんでした。 「>Cは何ですか。はどうでしょうか。」これだと分類の仕方についての情報が脱落してしまいます。

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