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神道から見た一神教の神
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- michael-m
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既に受け入れています。実際神世の時代においても少彦名神なども渡来系の神ですからね。 教義を持たず、敬神崇祖を実践する神道は理詰めで口先だけの仏教に当時の天皇をはじめ宮中が惑わされて神仏習合などとしてしまいました。しかし今はそんな時代ではありません。 既に高麗神社もありますし、弁財天なども神としてあります。 キリストもアラーもシャカも神として扱う事に何の支障もありませんよ。 あとはどこまで、理解を得られるかだけです。
>「八百万の神」として数え受け入れるのでしょうか? 受け入れるのではなく、ハナからone of themです。 仏教が百済から渡来したときも、外つ国の客人神(とつくにのまれびとかみ)として神様扱いでした。 唯一絶対神などという考え方はまったく受け付けません。 キリストもあくまでも天主教の神様です。 阿弥陀様や天照大神と同居しても一向に差支えがありませんでした。 マリア様もマリア観音と、観音様の三十三変化が少し増えたかな、程度の感覚です。 この辺の感覚を、敬虔なクリスチャンである遠藤周作が小説で日本に来た修道士の言葉として 「この国の民が信じた神は、私が教えた神ではない」と嘆かせています。 そもそも、一神教だの多神教だのと分ける考え方はキリスト教徒の考え方です。 神道にはそんな考え方はありません。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7194/21844)
神道という宗教は極めて特異な宗教で、教義も体系も ありません。 ただ先祖や自然を想う、というだけの宗教です。 だから、信者であるとの自覚も必要とされません。 日本人のほとんどが神道の信者だ、というのは これが理由です。 こんな宗教ですから一神教の受け入れ方も、ひとそれ ぞれです。 ある人は、百百万神々の一人、と捉えますし、 ある人は、異教と捉えます。 尚、仏教を一神教というのはどうですかね。 そもそも神というものはいないのが仏教です。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
基本的に、受け入れます。 東北のどこだったかな、小さなものでしたが、キリストを祀る「神社」があります。アッラーは見たことがありませんが、モーゼの墓というのもありましたね (^O^ ;; 仏陀関係については特殊で、仏陀や如来や観音などさまざまな仏が、日本の衆生を救うために権(かり)に現れた姿が八百万の神々だ、と解釈しています。 これを「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」と言います。つまり、この説によると「仏=日本の神」です。日本の神は権に現れたので、「権現」とも言います。 ですから、取り込んだと言えば取り込んだのでしょうね。形としては「仏が神になって日本に出現した」ということなので、神が仏に取り込まれたと言えなくもないのですが、他国の仏教徒はそんなことを考えていないので、やはり神道のほうが仏教を取り込んでしまったと解釈するのが妥当でしょう。 この説が一般化したので、お寺の境内に神社ができたり、逆に神社の一角にお寺ができたりしてしまいました。日本は宗教対立というのが(他国からみると)ほとんどない国になったわけです。 神道は、ホントの神様でなくてもエライ人なら神様に加えて祀りますからね。熊本ですか鹿児島ですか、朝鮮から来た陶工を神様として祀っている神社もあります。何でもありです。 ちなみに、様を付けて「権現様」というと徳川家康のことで、正式な神号は「東照大権現」と言って、日光東照宮に祀られています。
- hideka0404
- ベストアンサー率16% (819/5105)
本来は祀ろわぬ神なんですが蝦夷の神のアラハバキ神のように、古代日本で影響のあった神様は、それぞれ祭られています。 アラハバキ神は、伊勢神宮にも祀られていますし、各地に神社もあります。 またヒンドゥ教のシヴァ神は、大国主として大国主神社で祀られています。 また、キリスト教のゼウスやイスラム教のアラー、エジプト神話のラーは、神道ではイサナギと解釈できます。 仏陀も同様です。 もう一度、その視点で神道を見直してみて下さい。 また伊勢神宮の鳥居には六芒星(ソロモン王の印)があります。 キリスト信者やイスラム信者やユダヤ信者に教えると喜びますよ。
- philasts
- ベストアンサー率40% (44/108)
神道は異教を拒むことはありませんが、異教の神をそのままの形で神道に受け入れるということはやっていません。 キリストをまつる神社が無いことを見てもわかると思います。 キリストなどの一神教の神は、異教の神として認識されます。
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お礼
なるほど…「異教の神」と言う扱いなのですね。 よくわかりました。 ありがとうございました。