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京都市の観光場所(キリシタンについて)

京都か、大阪に、キリシタンが弾圧を受けている様子がよく分かる観光地の場所を知りたいです。 友人が昔、行ったことがあるとのことでしたが、 かなり前のことなので、場所を忘れてしまったそうです。 ネットで探してもなかなか見つかりません。 そこには、実際に拷問を受けている時の様子が模型で展示されているそうです。 (遺跡などは沢山あるそうですが、「模型で展示さている」というのが見つからないのです。) お寺にあるような門の奥に入って、そこにあると・・・。 非常に曖昧で恐縮ですが、心当たりのある方がいらっしゃいましたら、 教えていただけると幸いです。 宜しくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • chomicat
  • ベストアンサー率55% (586/1047)
回答No.1

京都はキリシタン信仰が多かった街です。 信長が自ら教会(三条河原町)へ詣でのち自ら蛸薬師室町西に「南蛮寺」建て、その場所は後に珊太満利亜(サンタマリア)上人の寺と言われる礼拝堂になりました。 秀吉は突如キリシタンを禁止、弾圧したので昔からの京都人は秀吉を余り好きではありません。 お尋ねになっているのは岩上通四条下ルのところの「フランシスコの家(修道会)」と「キリスト教文化資料館」の事だとは思うのですが、現在は建物の老朽化のため2012年8月を持って、フランシスコ会会員以外は入れません。休館になりました。 現在見られる史跡は(立て札のある)上記の所と四条堀川の妙満寺跡、そこの京都四条病院の壁面に 「sus obrashablanc二十六聖人発祥の地」の銘板があります。 又、安倍清明でご存知の一条戻り橋は長崎へ送り処刑したキリシタン24名の耳を削いだキリシタンにとっては苦難の場所です。 更に、元誓願寺堀川東入ルの辺りは古い洛中図によれば「だいうす町;デウス町」と書かれていて信長が南蛮寺を建てほぼ10年ほどは布教活動が行われ信者も多かった様です。 だいうす町と付く場所は何箇所かあったそうですが、史跡として確認されているのは此処だけかも知れません。 余談ですが、応仁の乱時、京都の町衆の99%は法華宗でした。一向一揆以降浄土真宗に鞍替えした人が多く、今でも古くからの京都の人は法華宗であり、又浄土宗であってもお墓が法華宗の寺にあると言うような事も多く実在します。 残念ながら現在は資料館には入場できません。

yu-lee
質問者

お礼

歴史も含めて、ご丁寧かつ、迅速な回答をありがとうございました。 フランシスコの家、キリスト教文化資料に入館出来ないのは残念ですが、外観だけでも、いつか行ってみたいと思っています。m(_ _)m

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