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国家をとるべきか、キンシップをとるべきか
・日本人にとって、国家に「すがる」ことの意義とは、どのようなものでしょうか? ・日本人にとって、国家に「すがる」ことと、みずからのキンシップを「重要視」することを天秤にかけたとき、日本人はどちらを選択しますか? ひとりの台湾系日本人という立場をとおして、わたしは、現代社会を生きる、さまざまな日本人と台湾人(さらには、いわゆる中華圏とされる地域に住む人々や、それに「つながり」をもつ人々も含める)をみてきました。 彼ら彼女らのひとつの「大きな違い」は、国家というものに「すがる」のか、あるいは、キンシップを「重要視」するか、ということです。ほかにも、さまざまな違いはあると思います。 近代の明治維新以降、日本人は国家に「すがる」ことを選択しました。それは、良くも悪くも、現代の日本社会を形成しました。しかしながら、そういった、国家に「すがる」姿勢に、批判的な態度をとる日本人は、少なくないと思います。国家に「すがる」ことの弊害に気がついたからでしょう。さらには、国家が「主導」して形成された<キンシップ>にたいする批判も、少なからずあると思います。 日本人も、これからの日本人の「あり方」のひとつとして、現代社会を生きる台湾人や中華圏の人々ように、キンシップを「重要視」すべきではないかと思うときがあります。
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noname#191303
回答No.1
日本人は昔から「お上意識」が強いといわれています。
お礼
コメントありがとうございます。 民主主義の社会であるはずなのに、「お上意識」とは・・・ 日本人は「情けない」のかもしれません。