現代版般若心経???
以下の文章は現代版般若心経、と捉えてよいでしょうか。
私にはそう思えるのですが。
法 身
本質と體量
法身の體。内容本質如何に就いては。唯物論者は実在の本質は物質的分子なりと曰ひ。亦た唯心論者は実體は唯観念體にして物質は妄現に過ぎずと論じ。唯理論者は宇宙の本質は物に非ず心に非ず物心を超えたる真理即ち真如なりと曰ふ。
また物心平行論者は物と心とは一體の両面にして外観すれば物質内観すれば心質にして。若し密教によれば宇宙の実體本質は物心一如これを六大無礙常瑜伽と曰ふ。六大とは地は堅、水は湿、火は燸(温める、焼く)、風は動、空は無礙、此の五大は物質にして識大は心質、六大即ち物心二元が相依て万物を成立す。
相互に無礙なり。無礙の故に心として観ずれば物も心ならざるなく、又物として見れば一切物ならざるなく物即心なり。物を外にして心作用を現すなく心を離れて物の用をなす能わず。
六大互いに具し地大に他の五大を包含し他の五大も亦然り、互いに主となり伴となる。一塵に一切世界萬有を具し一心に十界三千の理を備え、物心一如色心不二の故に常瑜伽と曰ふ。
六大は即ち物と心との二質なり。もと一體の両面なれども此の両面は同等の位にあらず。心大は眞の実在にして五大は意志に実現せられたる現象に過ぎず。五大は何故に意志の実現なりや、曰く意志は心の力なり。
絶対観念態が意志に実現せられたる相態を五大となす。堅湿燸動等は質にあらずして力なり。五大は観念の相なり。写象と意力を属性とせる所の絶対精神なりとす。
密には現象即実在とし、華厳には現象は力に実現せられたる相にして本質は萬有内在と云ふ。
華厳によれば宇宙の実體本質は一大精神なりとし之を一心法界と名ずく。亦た一切萬法を総括せる精神態なれば総該萬有心とも名づく。所謂精神態とは物心相対の心にあらず、絶対的精神。万象は其の実體上の影現に過ぎず。
例によってこの文章は山崎弁栄と云うお坊さんのものです。
補足
私の質問は、音声付のものです。なぜかここから消えてしまいました。回答は質問に対してなされていないように見えます。 現代語訳は今まで意味も分からず葬式で聞いていたものに 対して「心配いらないよ」と言っている優しいものだったという印象を与えてくれました。たぶん多くに人は意味も分からず葬式だから聞いているのだと思います。この意味ならお通夜に 逃げずに本葬に行こうかと思っています。