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2003年 原監督の辞任セレモニーが甲子園だった訳

この辞任セレモニーのシーンは鮮明に覚えています。 原監督に、星野監督が花束を渡し、 抱き合ったシーンは感動的でした。 当時私は、原監督が辞任を決めた時点で、 本拠地(東京ドーム)での試合をすべて消化してしまっていたので、 阪神球団の好意で辞任セレモニーが行われたと認識していましたが、 後に、辞任を表明した時点でも、 本拠地での残り試合があった事が分かりました。 どうやら、原監督とフロントの間に確執があって、 本拠地での辞任セレモニーが行われなかったようですが、 それ以上の詳しい事情は分かりません。 当時の事を詳しく知っている方へ質問です。 あの時、巨人に何があったのでしょうか?

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回答No.5

あれぇ?年齢が変だぁ εミ(ο_ _)οドテッ… 画像の私は2001年中二だったような・・・ (;一_一)  当時はまだ監督2年目のホヤホヤでしたから編成権が与えてもらえず、コーチ編成などチーム編成を巡って三山球団代表と対立が激しくなったためです。どちらかが身を引かないと収まりそうもない状況までになったせいです。  原監督を慰留したナベツネ氏も球団代表に就任仕立てでもあり、自らの腹心でもある三山氏を簡単に解任する訳にもいかなかったので、原監督の方が自ら身を引く形で辞任しました。当時ナベツネ氏も(原監督は)まだ若いんだからまた次もあるだろうと話していました。  監督クラスは人事権では上層部との太いパイプやさまざまな根回しが必要になってきますからね。原監督も当時はまだ若く球団首脳部との連携が不足していたんでしょう。  原監督も確執が原因でやめましたなんてマスコミに公表できるはずもなく、表向きの辞任理由は連敗など成績を名目にしていますが、実際は成績がやめた理由ではなく、解任ではありません。ナベツネ氏にやめさせられた訳でもありません。後になってはその三山氏も能力不足が露呈し、ゆくゆくはやめる羽目になります。  記者会見はしても勇退以外ではセレモニーを行なわないのが慣例です。辞任や解任の場合は行ないません。監督1年目で日本一を達成。ですから甲子園での花束セレモニーは、実績があるのにわずか2年でグランドを去らなければならなくなった原監督の無念な事情を考慮しての阪神球団の特別な好意によるものです。あくまで阪神球団が原監督の功績を特別に、そして好意的に認めてくれたのが花束セレモニーに繫がったわけです。 <当時の事情> http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1109/kiji/K20110926001703520.html http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1119082946 ぉ疲れさまぁ (▻‿◅❀)  ぐっ ”o(。◕ฺ‿ฺ◕ฺ。)ノ ばぁい

Siori_Kasiwagi
質問者

お礼

こんばんは^^ お礼を書く前に、三山秀昭という人物を調べてみました。 「江川事件の空白の1日」を提案した人物との記載がありました。 江川事件とは? 空白の1日とは? 野球の事は無知でも、悪知恵は働く人だなという印象を持ちました。 志半ばでの退任。 無念だったでしょうね・・ 花束セレモニーの件も、星野監督が阪神球団に直談判 したという話もあります。 所詮、現場の人の苦悩は、同じ現場の人にしか分からないという事でしょうか・・ 星野監督が直談判したという事を差し引いても、あの時の阪神球団の対応は素晴らしかったと思います。 時は流れて2013年。 10年前の「男の約束」が、頂上対決(日本シリーズ)で実現しそうですね! ご回答頂き、ありがとうございました!

その他の回答 (4)

  • chiychiy
  • ベストアンサー率60% (18612/31009)
回答No.4

こんにちは 相変わらず可愛いですね。 他の方が言われているように事実上の解任です。 ちょっとよく覚えてないですが・・・。 就任時にも問題があり、本来は原監督で考えてはいなかったようです。 長嶋監督も解任だったようでそれは勿論面白いわけはなく、裏で「原君次は頼むよ」と直に行ってしまったので 原にせざる負えなかった誤算。 そして就任1年目で優勝してしまった誤算。 まだ監督に成りてはいるとのことで、堀内が指名されたが選手には信頼がなく 散々たる結果に・・・ごれも誤算。 あれだけ、歯切れのいい理論的な解説をしていれば、上手くいくと思うのでしょうね。 後は原監督と前のオーナー三山氏の確執。 それと、原監督が(お相手が再婚)、結婚式の時に川上氏に 「原君、今年優勝できなかったのは君の責任だよ」と主賓の挨拶で 言われてしまったことは有名です。 原監督は選手からの信頼はあるけど、ある一定の経営陣からは疎まれていた可能性もあります。 就任1回目は、色々な思惑があったので、あのようになったのかと思います。

Siori_Kasiwagi
質問者

お礼

こんにちは^^ 長島さんが監督を解任された当時、私はまだ小学生だったので、うっすらとした記憶しかないのですけど、 ジャイアンツは監督が代わるたびに、まるでお家騒動のようにゴタゴタしているのですね。 質問を投稿した後に色々調べましたけど、第一次長島政権の時も、長島さんは、半ば追い出されるように巨人を去っていった。 それは川上哲治氏との確執が原因であると記してありました。 原監督、一度目の就任は、経営陣の本意ではなかった。 経営陣のエゴに翻弄された、第一次原政権との印象を受けました。 >相変わらず可愛いですね。 ありがとうございます! え~と・・ なんか照れますね・・汗 ご回答頂き、ありがとうございました!

  • mackid
  • ベストアンサー率33% (2688/8094)
回答No.3

辞任ではなくて事実上の解任ですよ。 どうも印象が強かったのでナベツネなどと絡めてそういう見方をする人が多いのでしょうが、選手も引退する有名選手には引退セレモニーがあっても成績不振で普通に戦力外になる選手にはそのようなものはありません。それと同じで、年齢的に勇退するような監督ならともかく成績不振で解任される監督にセレモニーなんて本来ありえません。

Siori_Kasiwagi
質問者

お礼

こんにちは^^ 確かに、阪神が親切にし過ぎとの意見もありました。 通常、成績不振で解任される監督にセレモニーなんてありませんので。 ただ、その一方で2003年シーズンの巨人は、怪我人が続出したシーズンでもあり、 (怪我人が出ないよう管理するのも監督としての仕事なのかもしれませんが・・) お世辞にも輝かしい成績とは言えませんが、前年優勝した事もあり、「成績不振」と言うのは可哀想との意見もありました。 第一次原政権は、監督として「評価不能」の状態で幕を閉じたのだと感じました。 ご回答頂き、ありがとうございました!

回答No.2

確か 原となべつねが揉めてた時期です 松井の放出で一気に確執が表面化したんですよ なべつねは「原君をクビにしたわけじゃない まだ若いから将来のためにもっと勉強して来いと言っただけだ」と弁明してましたけどね 笑 で 次の監督の堀内がどうなりました? 結果はご存知のとおり あわてて原を呼び戻しましたよね 笑 まぁなべつねに謝罪されたわけじゃなく 球団の首脳部が説得して原さんを呼び戻したらしいですが…

Siori_Kasiwagi
質問者

お礼

こんにちは^^ 松井放出の件が、原監督と、ナベツネさんの確執の一因だったというのは、初めて知りました。 >「原君をクビにしたわけじゃない まだ若いから将来のためにもっと勉強して来いと言っただけだ」       ↑ この言葉を額面通り受け取れと言われてもねぇ・・ ちょっと調べてみましたけど、川相さんも、この一件でコーチ就任の話を蹴って中日で現役を続行を決めたと記してありました。 これも影響してなのか? 堀内さんが監督の時は、まさに「ジャイアンツの暗黒の時代」でしたね。 一番、貧乏くじを引いたのは、堀内さんなのかも知れませんね。 プロ野球ファンとしては、このようなゴタゴタをあまり見たくないですね・・・ ご回答頂き、ありがとうございました!

回答No.1

成績不振から、人事異動と称し、監督の座を卸されました。 ご立腹の、あの老人の手前、セレモニーもできず、 子分の原をかわいそうに思い、 星野監督(当時)以下、阪神球団が、花束をあげた、ということです。 簡単に言うと、巨人フロントの いじめ です。 感動というより、哀れでしたね。 そんな仕打ちされて、またのこのこ出戻るより、 どこかの球団の監督になれば、かっこ良かったんですけどねぇ。

Siori_Kasiwagi
質問者

お礼

こんにちは^^ あのご老人とは、ナベツネさんのことですね。。 成績不振と言っても、2002年は優勝しています。 毎年優勝しないとダメなんですかね? いじめ・・・ その通りだと思います。 よく、そのような仕打ちをされた球団に戻ったなと思います。 これも「ジャイアンツ愛」なのでしょうかね^^ ご回答頂き、ありがとうございました!

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