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「読破」という言葉を使う人

「読破」という言葉を使う人に違和感を感じます。 『ニーチェの本を3日で読破しました』とか 『年間300冊を読破しています』とか読んだこと自体を自ら強調する人です。 読破とは辞書的な意味は「難解な書物を最後まで読み通すこと」のようですが、 大切なのは読み通すこと自体よりも、読んで何を得たか、感じたか、学んだか、思ったか ではないでしょうか。 単に「読みました」なら分かるのですが「読破しました」と言うと自慢してるだけに 聞こえて、なんか違うだろと思ってしまいます。 読書は作者との対話を楽しむものであり「破る」ものではないと思うので。 些細なことですが、こう思うのは私だけでしょうか?

みんなの回答

  • abekaman
  • ベストアンサー率20% (9/43)
回答No.10

同意です。 >『ニーチェの本を3日で読破しました』とか >『年間300冊を読破しています』 のように、「読破」と言われると、それに対する返事は 「それはすごいですね」とか「大変な読書量ですね」(そう思っていなくても)とか 結局相手を褒めるしかない感じというか。 で、結局、相手がいかに読書をしてるか、難解な本を読んでるか、みたいな自慢話につきてしまうんですよね。 ふつうに 『ニーチェの本を3日で読んじゃいました』 『年間300冊を読んでます』だったら すごい!と言いつつ、また思いつつ、「どうでした?よかったですか?」「私は○○を読んだんですが」とか 「300冊、主にどんな本を読まれるんですか?」とか 読書についてもっと広げて楽しい話ができるのに、と思います。 まあ、自己満足の言葉なんでしょうね、結局は。

tsuruharu
質問者

お礼

みなさん、ご意見ありがとうございました。 アンケートに優劣はつけられないのでベストアンサーなしで締めさせていただきます。

  • k_mutou
  • ベストアンサー率12% (101/783)
回答No.9

まさにその通りだと思いました。 ルキウス・セネカだったか、ショーペンハウアーだったか、全然違う哲学者だったかが、『何冊読んだかが重要じゃない、何回読んだかが重要なんだ』と言ってました。 何百冊、何千冊と読んでも記憶しているのは0,000001%にも満たないんじゃ意味がない。お気に入りを何回も読んで完全に理解して初めて『読書』と呼べるのかもしれませんね。

回答No.8

おっしゃる通りです。 でも「一気読み」を「読破」って言ってることがあると思います。 夢中になっての一気読みではあるけど、家事などやるべき事をやらない「破る」って意味で。 あとは、自分には読めないだろうと思っていた長編を読んだ時は、「読破」ってつい言っちゃうなw

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.7

 読む事に快感を得ている人もいます。また、普段読まない人にとっては「難解な書物」でもありますよ。  読み慣れている人からみれば、おかしな言葉ですが、その人にとっては達成感を得たので良いのでは?  特にこの時期は読書感想文で苦労しているのだから。大目に見てあげましょう。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.6

>些細なことですが、こう思うのは私だけでしょうか? これが質問ですね。 ほかにもいますよ、質問者様と同じように感じている人。 むしろ、自分だけかも、なんて心配してしまう心性がわかりません。 で、質問者様のお考えというか感想についてですが >「読破しました」と言うと自慢してるだけに >聞こえて 自慢なんかじゃなくて、単に「読了」という言葉を知らないだけだけなんだろうなと私は思っています。 それと、難書を読み終えたのなら「読破」に間違いありません。 >読書は作者との対話を楽しむものであり「破る」ものではないと思うので 思うのはご自由ですが「読破」という言葉の存在は揺るがないでしょうね。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.5

言われてみれば、自分は使ったことがないです。本を読むのは自分にとって「喜び」や「快楽」であって、「頑張って乗り越える大変なこと」ではないからだと思います。 多くの人にとって、哲学とか精神性についての本なんて絶対読まなきゃならないという状況なんてないと思います。それを「読破」と呼ぶ人は、その人の中でそれが半ば義務化している。何に負われているのか知りませんが、心底つまらないと思ったら読まないという選択が出来る人の方が自分にははるかに「知性」を感じます。自分にとって必要なものなのかそうじゃないのか、自ら判断出来る力があるということなのでしょうから。 あと読書で言うなら、数やスピードでやたら勝負する人もどうかと思いますね。仕事に負われているビジネスマンのようなタイプの人に多い野暮な発想のような気がします。 「海」という革新的な名曲を残したドビュッシーは、生涯において船出した経験も殆どなく(当時は旅行ブームで船旅は人気でした)、幼い頃身を寄せたたった一度のカンヌでの思い出が、この作品の多くのインスピレーションとなっていたようです。「記憶の中の海の方が、現実の海よりも、私には合っている」等という言葉すら残しています。 結局のところ、ほんの少しの些細な経験でも十二分に生かして世界を変えるような素晴らしいものを生み出す人もいれば、100万回の経験をしてもそこから何も生み出せない人もいる・・・ということなのでしょう。

noname#183245
noname#183245
回答No.4

あぁ、感じますよ。 「読破」って言葉使ってる時点で、読書好きじゃないんだなって。 単に見栄張ってるだけだなって。 読書は好きな人が、好きなだけ読めばいいものであって。 義務でもなんでもないのにね。 参考になりました。 「読破」使うヤツ、見かけたら、直接指摘してみます。

  • capuran
  • ベストアンサー率14% (18/124)
回答No.3

言われてみれば そうですね~ なるほどと 思いました

noname#212854
noname#212854
回答No.2

 あなたの指摘はもっともです。  しかし、知性が低いと、簡単な本を読むのも、相当頑張らねばならないのです。  知性が低いと、あなたなら読みました程度のことが、読破した様な気持ちになってしまうのです。  たくさん「読破」したら、その間違いに気づくでしょう。  温かく、見守ってあげましょう。

回答No.1

価値観の違いじゃないですか。 難読書を読むことを山登りだと思うと読んだことが満足になります。 私も若い頃はそうでしたけどね。

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