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The Power of Choice: What Happens When Our Need for Choice is Unfulfilled?
- The desire to choose is a natural drive that developed to aid our survival, but it often becomes something valuable and necessary in itself.
- But what happens when we enjoy the benefits that choice is meant to confer, yet our need for choice itself is not met?
- This raises the question of what happens when our need for choice is unfulfilled.
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>選択が与えるはずの利益 こういう考えで正しいです。 confer の後に目的語がない,ということは that は関係代名詞と考えるべきです。 「~という」という同格の that ではない。 そして,when 節の中で SV but S'V' となって,「~だが,~であるときに」 but 以下の部分は benefits とは関係しません。 選択が与えてくれる(選択があることによって与えられる)ことが意図されている恩恵を享受するのに,選択への我々の要求自体がかなえられない場合,何が起こるだろうか。 but は普通の逆接の接続詞,meet はおっしゃるように「~を満たす,かなえる」
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- litsa1234
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>【So what happens when we enjoy the benefits that choice is meant to confer but our need for choice itself is not met?】 「選択すれば権利として貰える筈の恩恵に我々はあずかることになるだろうが、そもそも選択しなければならないという必要性が本当にあるとは我々には思われない場合、さてどういう事態になるのでしょうか。」 以上、参考になれば幸いです。
お礼
回答ありがとうございました。 とても参考になりました!
- d-y
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やっぱり、親の敷いたレールにのりたくない坊ちゃんの話かな? when we enjoy the benefits that choice is meant to confer ・・・私たちが、選択が与えるはずの利益を(選択を行うまでもなく、最初から)享受しているが、 but our need for choice itself is not met ・・・選択すること自体の必要性は満たされない場合 最良の結果が最初から与えられているが、最良の選択肢しか与えられず「選択」の余地がない場合のことを言っていると思います。
お礼
回答ありがとうございました。 本の趣旨としては人には選択するという行為を 与えることが大切だということを言っている感じがします。
- marbleshit
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【So what happens when we enjoy the benefits that choice is meant to confer but our need for choice itself is not met?】 選択の享受は有り得るが、但しその選択自体の必要性が有り得ないという、 恩恵に我々が浴している場合には、一体何が起こるのだろうか。
お礼
回答ありがとうございました。 いつもためになる訳、ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございました。 文法的な説明をいただいてよく理解できました。