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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:父の大学観に怒りを感じます。)

父の大学観に怒りを感じます。

このQ&Aのポイント
  • 大学生の私が父の大学観について感じる怒りとは何なのか、そして父の感情はどのような理由に基づくものなのかについて考えてみました。
  • 私は父に対して感じる怒りの正当性について考えています。一方、父が高等教育に対して抱く感情は、彼の経験や宗教信仰によるものなのかもしれません。
  • 私は自分の大学進学に不満を持っており、それを父への怒りとして表現しています。一方の父は、自身の経験と宗教信仰からくる高等教育への不信感を表明しているのかもしれません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hinamisan
  • ベストアンサー率31% (84/264)
回答No.14

親と成長した子の間に葛藤があるのは通常のことです。 あなたの場合は、「大学経験」という同じように見える経験からの価値観の違いが葛藤の原因です。 お父様が大学を否定することは、あなたにとってはまさに自分の今生きている人生を否定されたことになるので、怒りを感じるわけです。だから、それは正当、といえば正当、当然の怒りです。 ただし、あなたが怒るのが当然でも、あなたの価値観が正当でお父様の価値観が不当ということではありません。 そこを間違えないでいただきたい。 価値観はいろいろあっていいのです。 お互いの価値観を尊重し合ったうえで、適当にすり合わせ、すり抜けながら人は社会生活を行っています。 父と子、というごく近しい関係で、しかも子はまだ父の庇護下にあるという状況のなかで、あなたはお父様の意見を高圧的、支配的に受け止めてします。 だから、怒りが生じるのです。 育ってきた時代が違えば価値観は違います。 価値観が違えば社会観、世界観がちがいます。人は自分の価値観によっていきているので、否定し合ってもしかたがないことです。 お父様の感情は、コンプレックスです。他の方も書いていらっしゃいますが、「劣等感」ではなく、複雑な、屈折した思い、と言う意味でのコンプレックスです。 自分の希望とは違った大学、退学したかった(別の道を選びたかった)が出来なかった大学への憎しみに似たものが「大学一般」への侮蔑に転じているのだと思います。 宗教の教義はお父様の感情を「そうです、あなたは正しいのです」と支持してくれたのです。 人は自分の屈折した思いを慰めてくれるものを求めます。 じゃ、あなたはどう考えればいいのか。 結局のところ人間は弱いものであり、屈折した感情をなんとかなだめながら生きているものだということを、お父様はあなたに教えてくれている、のです。 お父様を強く正しいもの、と思えばこそ、その言動に腹が立ちます。 あなたはそろそろ親を、自分の上に立つものではなく、対等の人間として受容していくことを学ぶ年齢なのです。 生きてきた時代が違えば、同じ「大学」と言う経験も違うものになります。ましてお父様とあなたは違う人間です。同じものを見て、同じ反応をするのではない、別の人格です。そして別の価値観を持ち、別の人生を生きるのです。 価値観は違ってもお互いを思いやり、手を携えて生きていかなければなりません。 この点では、親よりも子の方が優れています。 親はいつまでたっても子に対し「指導し、教訓を垂れなければならない」と思い込んでいて、対等の人間という立場に立てません。 親のいうことにいちいち目くじらを立てない、という訓練は、あなたがこれから社会を生きる上できっと役立ちます。

noname#182266
質問者

お礼

親切な回答ありがとうございます。やはり私は十分に親離れが出来ていないませんね。私自身、父親の価値観に対する拒否感がまず強く出てしまっているようです。もう少し時間をかけて、父を見ていきたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (14)

noname#187562
noname#187562
回答No.4

■私の父に対する感情は正当なものか。 そのように考えることに異常な点はありません。 お父さんに対する感情と、自分の道を歩もうとする希望は別でなければなりません。 質問者の人生は質問者のものです。 ■父の感情はどのような理由に基づくものか。 人生経験です。(ちょっと宗教も関係あるかな?) 質問者には経験した入ないものを経験していますのでそれなりの考えがあるとおもいます。 お互い別の人格を持つ”大人”として接するほうが良いでしょう。 近い将来、質問者が進歩して、違う生き方を互いに認め合うことが出来るように。 そして、お父さんを超えて親孝行してあげてください。

noname#182266
質問者

お礼

回答ありがとうございます。父の考えを受け入れられれば良いのですけど……やはり強い違和感を感じます。父の言動を人生経験の一言で済ませるのは少し納得がいきません。わざわざ回答してくださったのに済みません。

回答No.3

極めて個人的な感想で申し訳ないのですが回答させて頂きたいと思います。 一つ目ですが、感情に正解も不正解もないと思います。 今現在、そう感じてしまっているのだからどうしようもないものだと思いますし、論理や倫理が介在しないから”感情”なんじゃないでしょうか。 人はだれしも考え方に合わない論理を押し付けられた時、”怒り”を感じるのではないかと思います。 そういう意味では質問者様の状況を照らし合わせるに”人として一般的な感情”を抱いてると言えると考えます。 二つ目ですが、質問者様のお父様は感情からの発言ではなく”固定観念”からの発言のように思います。 経歴を読ませていただいて気になったのは、入試に関して同じ物を何度も経験していない、という点です。 何度も浪人生活をした、一度入学してから自主退学して翌年再入試、といった経験がない為、少なくとも経験則からの発言ではないでしょう。とすると、自身が当時抱いた感情の矛先がどこに向いたのかが重要になります。 この矛先が必要としていた時期に宗教に出会ったのだとしたら、そこで高等教育の不必要性を何度も聞かされたのだとしたら・・・ おそらく強力な”固定観念”が形成されても不思議じゃありません。 ここからは個人的な感想とおせっかいなので、流していただいても構いません。 私の意見としては、高等教育は”必要・不必要”で判断されるべきものではなく、そこで勉強に励む生徒が”必要とするかしないか”ではないかと思います。 大学という場所は、より高度な学習を要求する生徒に応える場所、であるべきだと思います。 そういう意味では質問者様の”努力しだい”という部分は共感します。 ここで、お父様の弁護を少しさせていただくと中学から高校への受験に失敗したあたりから学力的なものに若干不安な点があったのではなかろうか、と思いますが、この時点で大学をあきらめ就職をしていたら、かなり以降の人生が苦しかったのではなかろうかと考えてしまうのです。 というのも、学力に不安があり社会経験もまったくない状態で企業に勤めるのはかなり大変です。しかし、大学に進学しアルバイトに励むことで社会経験を十分に積んだ上で就職されました。 この点で、大学生活には大きな意味があったと考えます。社会経験を積む時間を作ってくれたという点において。 こうした人生全体を俯瞰で捉えることができなくなっている時点で、お父様は”固定観念”に囚われ固執してしまっているのでしょう。 最後に、お父様の固定観念による”口撃”は今後も続くと思われます。おじいちゃんやおばあちゃんが、いつまでも同じ事を繰り返し言い続けるのと同じように。質問者様におかれましては、一定の理解と感謝の気持ちをお持ちのようですので、寛容の精神で「はい、はい」と受け流せるようになっていただければ波風立たず穏やかにお過ごしいただけるのではとご推察いたします。 長文になり失礼致しました。

noname#182266
質問者

お礼

非常に丁寧な回答ありがとうございます。やはりもう少し父の感情に寄り添うことが必要なのでしょうね。ただ、父にとっても「4年間が無駄だった」という感情は不幸なものだろうと感じます。将来的にはその固定観念から抜け出してもらえるとありがたいのですが……

noname#196134
noname#196134
回答No.2

大学時代よりも社会人になってからの努力の方が大変ですし、大切です。 大卒の8割程度は、専攻以外の仕事に就きます。 入れなかったというのもあるでしょうし、合わないと思ったのもあるでしょうし。 それでも、大学時代の努力は、社会人になってからの努力をよりしやすくなると思います。 質問者さんは生まれた時から、自分の人生を歩んでいるんですね。 お父さんであれ、先生であれ、友達であれ、このサイトの回答であれ、自分以外の意見は単なるアドバイスにしか過ぎません。

noname#182266
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに父は社会人になってからは努力していたと思います。そこはやはり尊敬するべき点なのでしょうね。

noname#182266
質問者

補足

父は経済学専攻で、今は銀行に務めています。ですから、専攻が仕事と直結しないというのは考えにくいです。受験予定の国公立は単科経済大学でしたし、他の私立も経済学部か法学部を受験したと聞いています。

回答No.1

めんどくせえよ。 正当性なんかはない。双方が主張するもの、力がある方が一過的に正しいとされるだけ。 父の感情は学歴コンプレックス及び、宗教的考え、そして性格によるものだろう。 変わったお父さんだね、で済ませられないの?

noname#182266
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かにそのように済ませれば楽だと感じます。私自身そのように済ませたいです。ですが私自身納得が出来ていないからこそ怒りを感じるのです。確かに正当か、という聞き方は誤解を招いたかもしれません。あなたならどう感じるか、という感覚で考えてもらえればありがたいです。

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