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臨済宗の日本での開祖 明庵栄西
めいあんえいさい みんなんようさい みょうあんようさい 読み方がいろいろあります。 どれが正しい読み方ののですか。学校では えいさい と習いましたが 建長寺では みょうさい とききました。 同じ人物ですが、読み分けて意味を変えるのでしょうか。 ついでながら、もともと、ご存命中は、どの名で呼ばれてらしたのでしょうか。
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http://zh.wiktionary.org/wiki/%E6%98%8E mjæng http://zh.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%B5 http://zh.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%84 http://zh.wiktionary.org/wiki/%E6%A6%AE róng http://zh.wiktionary.org/wiki/%E8%A5%BF sej 本来的には、当時の中国宋の時代の発音が正しい。 中古音の発音が当時のものなので、そういった発音。 一部しか中古音の表示がないが、日本語音で表記するならば みょうあんようさい これが一番近いと思われる。 一方「みんなんようさい」の発音は、清代のものに近いので、江戸時代からの表記法ではないかと思われる。 江戸時代の漢学(つまり中国語学習)において、現代日本人のように漢文訓読法で「しのたまわく」なんてやる流派に対して、漢文も現代中国語(江戸時代で言えば、清朝)で読むべきだ!という流派もあったそうだ。 その流派で言えば みんなんようさい この発音が正しいとするはず。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 私の手元にある「日本の宗教辞典」によりますと、 明庵栄西・・・みょうなん えいさい と解説されています。 また、出自については、 備中・吉備津神社の神職・賀陽(かや)氏の子として生まれ、父が三井寺(みいでら=園城寺・おんじょうじ)の出身者だったため、台密三井寺流を学ぶ。 14歳のとき比叡山で受戒し 「葉上房」(ようじょうぼう)と号していた。 仁安3年(1168)と文治3年(1187)と二度にわたって入宗。臨済宗黄龍派(おうりゅうは)の禅を嗣法、この頃より禅号としての「明庵栄西」(みょうなん えいさい)名乗るようになった。 と、あります。
お礼
日本史ではえいさいとならい、鎌倉の建長寺ではようさいと聞きました。そういえば、伊藤博文はひろふみなのに、博翁(はくおう)とよんだりしますね。日本は文字主体で音があとからくる不思議さを再確認できました。ありがとうございます。
お礼
単に中国といっても長い歴史と変化がありますし、日本での発音ですもんね。文字が残って音がわからなくなったというのも不思議な現象ですね。ありがとうございました。